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第二章 第五十八幕 仕官できない理由

 山本勘助の足跡を追う旅。相馬領にて、足長・手長を式神にした朱莉。ただの妖怪のイメージだったが、神格に近い存在だったようだ。




 俺たちは、そのまま海岸線に沿って房総半島を一周。武蔵、相模三浦半島など経由して小田原に着いた。

 この小田原は、上杉家を苦しめている北条家の本拠地でもある。上杉家と敵対しているだけで、治安が悪いとかそんな事は無かった。逆に市民には活気が見られる。


「後北条家。鎌倉幕府の実権を握った北条家と区別するために付けられた名前で、北条家なんです。始祖、伊勢新九郎、通称北条早雲は領土の拡大のため民衆を利用する事にしました。簡単に言えば税制改革です。他の国は六割から七割を徴収。それ以外にも労役や兵の駆り出しがありました。北条家では五割にして、周りの国の民衆が羨み、北条家の支配になるよう力を貸してくれると考えたみたいです。現当主氏康までかけ関東をほぼ手中に収めたのですから、そういった政策が効いて、しかも運営ができているから凄いと思います」


 小田原は籠城を第一に考えた城。周りの城との連携は当たり前として、城内での作物の生産、備蓄が進んでいて、長期間の籠城にも耐えられる。

 俺が居た志賀城とは比べ物にならない城だった。


「この看板は何かしら?」

 蓉子が指さす先には領民への規則が書かれている。

「人を傷つけない、人の物を取らない・・・。当たり前の事しか書いていないですね」

 朱莉が不思議がる。


「現当主氏康は、よく視察を行いました。自ら民衆を労りました。そして手柄は家臣のお陰と大事にした様です。名君と謳われる所以です。だから自然と民衆は普通に暮らし、規則など最低限で済んでいるるようです。現在は十二条ですが、次の代ではこれが約百二十になりました。領主が代わるだけで民衆の道徳心が変わるのも不思議ですよね」

 葵衣は少し悲しそうな顔をしていた。俺も小田原城は豊臣秀吉によって落とされ、戦国最後の大きな仕置きが終わったのは知っている。これが歴史なのか。




 小田原を立ち、伊豆を過ぎて駿河国に入った。ここは今川領。

 桶狭間で討ち死にをし、暗君のイメージが強いが、東海一の弓取りと呼ばれ名将であったのは以前に葵衣から聞いていた。



 駿河国を西に行き、清水に到着する。この清水にある、庵原城に山本勘助が居たという。

 地元の侍から、山本勘助の話を聞くことができた。



 庵原城城主庵原忠胤に寄宿していら。有力家臣、朝比奈信置に推挙してもらい、今川家への仕官を申し出た。


 今川義元は、名将ではあったが特権階級意識はあったのだろう。また、家督を継いだ直後のため、人を見る目が養われていなかったのかもしれない。

 山本勘助が醜男であった事、隻眼、半身不随であった事など見た目から不採用を決めていた様である。

 そして、剣術の腕や、縄張り、軍略などの自分をアピールしても信じてもらえなかった。手柄も立てず、要職にも就いたことが無い中途社員がと小姓に笑われたという。



 全国を旅して、自分が仕えたい人物は居なかったのだろう。家督を継いだ直後とはいえ、今川義元の能力を高く評価していたからこその仕官を願い出たのだと思う。

 勘助にしてみれば、才能ではなく見た目。自分が頑張ってきた能力を全否定された。きっと内心は打ちのめされたに違いない。その後九年間を駿河で過ごし、甲斐武田へ仕官する事になる。



 話しをしてくれた侍に礼を言って、俺たちは人里離れたところに移動していた。葵衣から今日は野営をしたいとの申し出があったので、山に入る。

 夕食後、葵衣が話し始めた。


「ちょっと腑に落ちないのです」

 葵衣がぽつんという。ここからは万が一にも人には聞かれたくない話なんだろう。


「今川義元自身が、山本勘助の醜さを嫌って仕官を断ったの理解できるます。しかし他の人たちはその能力を認めなかったのかでしょうか?」

「義元が怖かったからじゃないの?」

 蓉子が持論を述べた。


「しかし養っていた庵原氏や推挙した朝比奈氏は力を認めたから推挙した筈です。今川義元にも頭が上がらない人物が一人いました。その名は太原雪斎。義元の教育係です」

「その方は、どの様な方なのですか?」


「前にも話したと思いますが、武将は教養の為に字の読める者を傍に置いていました。今川義元自身は家督争いに巻き込まれないよう僧籍に入れられ、師匠は雪斎でした。還俗して義元を名乗った後も雪斎は義元を支えていたのは間違いないと思います。

 もし雪斎が亡くなっていなければ、桶狭間の合戦は織田が敗北していた可能性が高いという意見もあります。そんな人物が、見た目だけで仕官させないなんてことするのでしょうか? 直接ではなくても、なんらかの形で手元に置いておいても良いと思うのですか――」

「それが、庵原家って事はないの?」


 俺は質問する。

「庵原家の行動には関わっていないようです。本当に居候だったと思います。軍略の話とかはしていた可能性はありますが、仕官までは行っていないのではないと思っています」


 勘助を辿る旅は、暗礁に乗り上げてしまった。


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