第二章 第四十七幕 西への旅路
近江湖東山本村。山本勘助の青年時代の話を聞き、認識を改めた。京での仕官を望み旅だったとの事なので、その後を追う。
話を伺った住職の勧めに甘え、寺にとまり翌日京に向け出立する。京都北部等持院に寄宿していたとの事なのでそちらに向かった。
夕方には京に入れたが、目的の寺には少し遠く、夜になるので翌日に訪ねることになった。残念な事に、ここでは有用な情報は得られなかった。
記録では三年ほどこの地で働いていたようだが、その後の事は不明らしい。
十二代将軍足利義晴の弱さに呆れたのだとか。京から転々としていれば当たり前だろう。
山本勘助のその後について葵衣は次の様な推理を話してくれた。
南北朝時代の稀有の名将『楠木正成』。最終的に足利尊氏に敗れはしたが、将の器としては群を抜いていたという。その足跡を追って、畿内を巡ったのではないか。
そして、正成が眠る河内に行ってそこで何かを見つけに行ったのではないか、と。
戦が行われた近畿で戦地を視察する。軍略を確認する。伝承を検証する。約二百年前の事とはいえ十分に自分の力に出来たであろう。あの山本勘助なら。
俺たちの次の目的地は、楠木正成の菩提寺、河内国南部檜尾山観心寺。
そこで名将の墓参りを行う。この寺では北斗七星をも奉っていて珍しいという。陰陽師の朱莉にとっては興味を惹かれるだろう。
伝説では全国を巡回したとあり、甲斐が終着点と考えるなら西へ向かうのが自然だろう。
播磨から備前・備中・備後を抜け、周防へ。
船で九州に渡り豊後の大友領を見て回る。また船で四国に渡り伊予を抜け再び船で山陽倉敷へ上陸。
山越えで石見に入り、東へ向かう。
出雲尼子氏が誇る月山戸田城まで旅をしてきた。
旅の途中、野営の時に小鬼に襲われることが多くなった気がする。そして、反して日本の妖怪は減った感がある。オルルーンの邦とこの邦の繋がりが深くなっているのだろうか? そして、この邦の妖怪は鳴りを潜めているのだろうか?
本来であれば山本勘助の過去を調べる旅ではあったが、成果もほとんどなかった。
志賀城の合戦から息の詰まる事が多かったので、丁度良い息抜きにはなっただろう。朱莉も初めて見る景色に感動していたし、蓉子も現地の料理と酒を満喫しているようだし。まじめな葵衣は…成果が無い事を憂いながらも旅を満喫している様だった。
俺はあまり感動しなかったが、彼女らが満喫しているのでそれはそれで嬉しいものである。勘助は一人で回ったのであろうか。
弾丸行程で、出雲に着いたのは年の瀬が迫る十二月二十八日だった。




