第二章 第四十六幕 山本村
織田家が斎藤領に侵攻し、斎藤利政様に敗れた合戦。
俺たちは、溺死する筈だった兵を介入し救った。明智十兵衛様の執り成しで利政様の勝利の宴に余興者として参加。利政様から通行許可証を貰い、美濃から近江に向かう。
井ノ口城から西へ向かって琵琶湖まで行き、そこから半日程南下したところが山本村だ。
井ノ口を翌朝に出て、琵琶湖にて湖を堪能。朱莉は大興奮だった。諏訪湖の大きさも信州では一番だが、日本で言えば琵琶湖の比ではない。
山本村まで一日でいけない距離ではないが、琵琶湖で野宿をすることにした。
そこで、武士六人に襲われるが……葵衣の敵ではない。急所は外したとはいえ、胸、脛、右手と三人の侍に対し次々と攻撃を当て戦えなくする。石突とは言え、かなりのダメージだろう。四人目に刃を向け構える葵衣。
「さっさと、倒れている仲間を連れて逃げた方が得策よ。命があれば、まだ働けるのだから」
蓉子がしれっと言う。気を失っている一人を除き、五人は顔を見合わせ全員で逃げ出した。
「こんな綺麗な琵琶湖のそばで、襲われることになるとは。近江も物騒だな」
「もう来ないわよ。茂玄は鈍感だから気が付かないだろうけど、あれは斎藤家の刺客。いずれ敵に回ると思ったんでしょうね」
流石は美濃の蝮。
朝出立して、昼前には山本村に着いた。五十年近く昔に生まれ、出て行った者の情報は得られるのであろうか? とりあえず、聞き込みを開始した。
手掛かりは割とすぐに見つかった。寺の先代の住職が面倒を見ていたという情報を得た。
彼の半生は次の様である。
郷士、山本藤七郎の三男として生まれる。兄二人は次々と戦死。次は自分の番と意は決していたようだ。
しかし、老いたる母を捨て置けず亡くなるまでどこにも仕官せず面倒を見ていた。
仕事の合間に、この寺に通い字を覚え、多くの知識を得ていた。流石は武士の子と言うべきか、軍記物を好んだという。
また、剣術の練習もしていたそうだ。真面目な努力家の青年だったのだ。
母の面倒を見て、山にて野良作業をしていた時に大猪に遭遇し、退治。しかしその時に右目を失った。
二十二歳の時母を亡くし、流浪の剣術家に弟子入り。数年の修行で奥義を習得したという。
そして二十六歳、時来たりと京に向かっていった。伝え聞いたところでは中々仕官できなかったらしい。
俺は認識を改めた。山本勘助は生まれたときから奇形であったわけでは無かった。母を大事に思う優しい青年であった。書や剣術を必死に学ぶ真面目な性格であった。
下半身の傷や、築城時の縄張り、陰陽道などきっと旅の先々で得ていった物なのであろう。葵衣の提案した、山本勘助の足跡をなぞる旅。
俺自身も成長させてくれそうだ。




