第一章 第五幕 ヲタクの目覚め
「さて、其方らには旅の介をしようぞ」
豊受気媛は俺たち四人に向かう。
「まずは葵衣。其方の身体はこの時代には適しておらぬ。刻を超えた世界では罹らぬ病も多い」
といって、身体に触れた。葵衣さんの身体が光ったかと思うと、これで病には罹らないという。
「病に対処しても、いつ終わるか判らないわよね?」
異邦の女神は、俺たちに不老の術をかけた。明らかに豊受気媛に対抗しているのが分かる。
「吾は豊穣の神。其方らの旅にて食に困らぬよう、これを遣わす」
俺たちにそれぞれ、腰袋を渡す。常糧袋と言って、好きなだけ水、食材を出せるらしい。
「なるほど、これは便利ね。で、こちらの女神様はお酒とかどうです?」
蓉子が煽る。
「エールは我の得意とするところ。いでよ酒の宴。これで最上級のエールも蜂蜜酒も尽きることなく呑めるわよ」
「で、異邦の女神様はお酒が無尽蔵に出せるそうですけど、稲荷の神様に出来ないわけがないですよね?」
「ふむ、米より造られし酒は格別だからの。では、其方にはこの那由多瓶子を下賜しよう。良質の酒を嗜むがよい」
豊受気媛も異邦の女神に対抗心を燃やしているな。上手く焚き付ける蓉子は凄い。
「あら、葵衣。その装備では怪物相手に劣るわよ。これを差し上げましょう」
葵衣さんが一瞬光ったかと思うと、見た事のない着物に着替えていた。やや露出のある服、肘まである布の籠手、膝まである履物。
「聖なる布で作られた、『ウルザブルン』。無双の力を発揮できる、『イーヴァルディグレイプル』。そして、俊敏さと跳躍力を高める『レッテフェッティ』」
やばい、なんだあの姿は。魔法少女そのままではないか!
あれ? 『魔法少女』? また覚えのない単語が頭をよぎる。
「ウルザンブルは清い布、汚れることはないわ。茂玄はあれでも殿方。オシャレは気にしないとね。それと下着も大人っぽく替えましょうか?」
よく聞こえなかったが、葵衣さんは顔を火照らし服の中を見た。俺は咄嗟に体の向きを変えて見ないようにした。
「あと、体臭は自分でね。あのケダモノが発情するから」
こんな感じで、豊穣の女神と異邦の女神の間で誇りを賭けた闘いが行われた。
つまり品々の提供や各種の加護が与えられる。
俺には、なんでも入る異邦の背負子が充てがわれる。
「あ、そういえば」
と言って、異邦の女神が葵衣さんを見る。
「蛮国の武器は、怪物と戦うと壊れてしまう粗悪品よね。もっと切れ味の良い武器をあげるわ。狼鉱石でできた刃。槍は不得手でしょうから、先ほどの武器と同じ形にしたわ」
ちらっと、豊受気媛を見て笑みを浮かべる。豊受気媛は負けずに返す。
「異邦の武器は刃のみで戦う無粋な物。吾の邦ではすべてを使い戦う技」
と言って、あおいさんの持つ薙刀に触れ、柄が鮮明な赤に染まってゆく。
「これぞ、吾の邦に伝わる聖なる金属、緋緋色金。刃が砕けようとも戦えるものぞ」
これは、異邦女神に対する最大の侮辱だろう。豊受気媛も負けていない。
「あ、ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
葵衣さんが二人の間をどのように渡り歩いたら良いか迷っている。
「では、吾は戻るとしよう。無事に務めを果たさんことを」
豊受気媛は、出てきたのと同じように消えていく。
「あの、魔女狐。とんだ屈辱だわ」
異邦の女神も飛び去ろうとする。
「ちょっと待って、俺への提供は箱だけ? 武器は?」
「うるさい」
異邦の女神は、俺を見るなり槍で頭を叩く。かなり気が立っていたんだろう。
まぁ、与えた武器に手を加えたのだから、誇りは踏みにじられたのは間違いない。でも、俺が叩かれるのには納得がいかない。薄れゆく意識の中で考えていた。
………
真っ暗な空間が広がり、その中心に俺はいた。周りの色が徐々に鳶色に変化する。
色が鮮明になったとき、見た事が無いような小部屋に居た。
面が高い机、話に聞く帝が座るような腰かけ。幾重にも布が重ねられた布団の様な物。そして、丁寧に綴じられた書物に不思議な箱の数々。
見た事が無い? いや違う。あれは机、椅子、ベッド。そしてマンガやラノベ、それに、あまり見たくない教科書だ。そして、テレビにパソコン、ゲーム機――。
確かに俺は、ここで生活をしていた。
机に置かれた卓上カレンダーを見る。
『令和二年八月』
写真立てを見つけ思い出す。
これは兄貴の大学入学時に家族で撮った記念写真だ。実はあまり飾りたくなかったのだが、父から命令され嫌々置いていた。父の意向は『兄の様になれ』なんだろう。
歳の離れた兄は小さいころから優秀で、文武両道を絵に描いたような人物だった。県内トップの高校も首席で卒業。国立六大に入学し、海外に留学。官庁に就職できた。よほどのことが無い限り、将来は安泰だろう。
一方の俺は兄が優秀過ぎたせいか、何かができても親は満足しない。兄が基準になってしまっているのだから仕方がないと言われればそれまでだが、褒めてもらいたい時も多かった。
何をやっても兄に敵わない俺は、現実逃避を行い始める。初めはコミック。ゲーム、ラノベ……まぁオタクというやつですな。
幸い、我が家は父が一流企業の幹部なのでお金持ちの部類に入る。
兄が海外留学できたのも、そのお陰だ。
で、俺は苦労したくないので中堅の公立高校に進学。
ネットゲームで変なのとつるんでしまったのも悪いが、昼夜逆転。高校も不登校に。
親に怒られてもなんとも思わなくなっていた。しまいには親が折れ、なし崩しになる。
人間続ければ能力が上がるもので、俺はオタクスキルを無駄に伸ばすことに成功した。
アニメDVDや深夜アニメを横目で鑑賞しつつ、ポータブルゲームで遊ぶ。
そして、他人とのコミュニケーションはネットゲームのチャットだ。
これを同時に行えるほど器用になっていた。今後役に立つことはまずない能力だと思っているが……これは俺の特技、そう、アイデンティティだ。
ゲームやアニメなどでよく出てくるアイテムやモンスターに関しては結構詳しいつもりだ。あくまでゲーム内の設定だが。
戦国時代や三国志などもゲーム化や女性化されたりもしていて、楽しんでいたのでそれなりの知識はある。と思う。
あくまでフィクションだしね。
これで俺、武居茂玄が文字を読むのが得意であったり、武芸が全然の理由も理解できた。
俺の昔(?)は思い出せたが、なぜ今戦国時代に居るのか?
武居茂玄としての親兄弟との記憶は確かにある。
なんらかで転移して、偽の記憶が埋められたのであろうか?
いや、それは考えにくい。転移していたのであれば、同じくタイムスリップしてきた葵衣さん同様、昔の衛生環境には耐えられないはずだ。豊受気媛も同じ処置をしてくれるだろう。
そして、関係者の記憶を消すというのもおかしい。
では、転生か? ならば、俺は死んだことになる。
令和二年のカレンダーが最後の記憶なら俺は高校二年で死んだことになる。死んだ理由はなんだ? 転生物の作品を思い出す。
『通り魔から後輩を庇って死んだ?』
それはない。俺には庇うような後輩はいない。
『会社間での契約を打ち切り、腹いせに線路に突き落とされた?』
それもない。俺は働いた事すらない。
『限定品を買いに行った帰りにトラックに轢かれ……』
ありえない話ではないが、そんなに運動神経は良くない。そもそも軍資金があるのだから、なんとか入手できる。
ではなんだ?
ふと、デジタル時計が目についた。
数字が表示される所がマイナス記号で点滅している。つまり、一度電源が落ちたという事だ。コンセントが刺さっているのだから、停電だろう。
色々思い出してきた。そう、あの夜は嵐が来て落雷が多発。パソコンには非常用電源を付けているから問題ないが、部屋の明かりが消えたのだ。
そう、思い出した。部屋の照明を戻すために階下のブレーカーを確認しに行く途中、階段で足を滑らせ転落。そのまま死んだのか……我が身ながら恥ずかしい。
………
すべてを思い出した時、徐々に自分の身体を認識し始めた。
なんだか、柔らかい何かで包まれている気がする。それと仄かな優しい香。
目を開けて俺は顔を紅くした。
葵衣さんが、膝枕をしてくれて、心配そうに俺の顔を覗いてくれたからだ。
「旅の初端から、この調子。命が幾つあっても足りないわよ」
蓉子にきつく言われた。
「酷い言いようだな」
と起き上がり言い返そうとして、頭の痛さに声が出なくなる。
「蓉子さんが手当してくれたんですよ。軽い脳震盪ですって」
葵衣さんが、優しく、しかも心配そうに語ってくれた。
「葵衣さん、ありがとう。それと蓉子も、手当ありがとう」
「あれ、葵衣は『さん』付けで、わたしは呼び捨て? 待遇に差があるんじゃないの?」
「あ、私も葵衣でいいですよ」
「あ、あぁ。では、葵衣。改めてありがとう」
朱莉は少し離れたところで、俺らのやり取りを見ていた。三毛介を抱いて。
「あ、朱莉。心配かけたな。俺は大丈夫だから」
俺がニンマリ笑うと、朱莉は歳相応の笑顔で返してくれた。
戦っているときは勇ましい顔つきをしていたけど、やっぱり歳相応の女の子なんだな。
「信じられないかもしれないけど、聴いて欲しい」
改めて、四人で車座になった。
そして俺は、葵衣たちに先ほど体験したことを話す。
「にわかには信じられませんが……何が起きても納得するしかないですよね」
葵衣は未来からタイムスリップ。
朱莉の陰陽道による式神。
蓉子も事故死して、ここに転生。
豊受気媛の出現や、異界のオルルーン。
葵衣のまとめた状況を考えれば、科学の発展した時代の俺たちにはファンタジーでしかない。
「ま、茂玄の場合は単なる妄想かもしれないけどね」
「その可能性も否定できないけど、横文字も聴き分けられるようになった。あの小鬼を見た時、『ゴブリン』と頭に浮かんだ。単なる妄想では説明つかないよ」
『魔法少女』の件は、色々あって黙っておく。
「あの、よく分からないのですが、式神って不思議なのですか?」
朱莉が俺たちに問いかける。確かに、科学の発展した俺たちの時代では有り得ない現象だ。
「えっと、私たちは実際に式神を扱うのは初めて見たわ。そして今回の小鬼の様に、人に害為す物怪も。あ、でも朱莉ちゃんを、信じていないとか、特別視はしないから安心して」
葵衣が上手くまとめてくれた。
実際に、俺たちが居た時代の過去が、今いる世界なのか。はたまた、パラレルワールドに集まってしまったのか。疑問は尽きないが、この世界で因果の崩れの原因を探るしかなさそうだ。




