表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/549

第一章 第二幕 女神?との邂逅

 時は天文(てんぶん)十六年(うるう)七月。

 ここは信濃国(しなののくに)南部、甲府(こうふ)から佐久(さく)への入口となる小さな平野部。目下に見える千曲川(ちくまがわ)(さかのぼ)れば、俺たちの故郷(ふるさと)がある。今この地に居るのは、元服(げんぷく)間もない七人の下級武士。




 信濃国は広大だ。数多(あまた)の川が入り乱れ、山脈が縦横無尽(じゅうおうむじん)に走り、その合間を埋めるように盆地が点在する。

 北東部に位置し上野(こうずけ)に抜ける要所、『佐久(さく)』。諏訪湖(すわこ)を中心とした南部の地域、『諏訪(すわ)』。駿河国(するがのくに)に抜ける『伊奈(いな)』。西部には『筑摩(ちくま)』、『木曽(きそ)』。北部には『上田(うえだ)』、『長野(ながの)』など地域も多彩だ。


 信濃国は山間部が多く、隣の集落とも山を隔てているので独立の気運が強い。元は同一の家系でも時代が下り、和合離反(わごうりはん)を繰り返している。


 大きく分けると、次の家々が名を連ねる。

 由緒正しき、諏訪(すわ)家、小笠原(おがさわら)家。

 土地を武力で護る、村上(むらかみ)家、高梨(たかなし)家、大井(おおい)家。

 源平合戦時に活躍した木曽(きそ)家。

 そして、外敵でもある甲斐(かい)武田(たけだ)家。


 諏訪家は、諏訪大社の大祝(おおほふり)。諏訪大明神を代々(まつ)り、護ってきた。諏訪大明神は諏訪湖に御座(おわ)す。諏訪湖は信州一(しんしゅういち)の湖で、霊験灼(れいげんあら)たかでもある。諏訪家は、一番古い一族でもあるだろう。


 小笠原家は、天皇家からこの信濃国の統治を任されていた。その職を『国司(こくし)』や『守護(しゅご)』と呼ぶ。国司は俺の知る限り小笠原家が務めていた。つい最近までは。今では、甲斐武田家が任命されている。


 甲斐の武田晴信(はるのぶ)は、領土拡大の矛先を信濃に向けている。調略を仕掛け、派兵を繰り返す。

 敵である武田晴信には悪い(うわさ)も多い。例えば五年前、家督(かとく)を奪った事が有名だ。実父である信虎(のぶとら)に謀略を仕掛け、国外に追放したのだ。

 しかし、外交・戦上手(いくさじょうず)でもある。数年前に信濃の名家、諏訪家の攻略に成功。婚姻関係(こんいんかんけい)を結び確固たる支配を実現。実質的に諏訪家を手中に収める。その結果、信州南部は武田家の領地同然となる。

 朝廷との交渉で、信濃国の守護として任命。国を治める名目を得た武田家は、信州北部の占領に動く。

 信濃国の様な、情勢が不安定な地域が狙われるのは仕方がない。しかし巻き込まれる方としては、迷惑極まりない。



 俺の仕える領主は笠原(かさはら)新三郎(しんざぶろう)清繁(きよしげ)様。志賀城(しがじょう)を拠点とした一城の(あるじ)だ。

 笠原家は代々、佐久(さく)地方の荘園(しょうえん)を治められている名家の一つ。元を辿(たど)ると諏訪家からの分家筋に当たる。

 俺は仕えているだけなので、笠原家の家格(かかく)をどうこう言っても何もないのだが。まぁ戦乱の世である中、何代も治めているのだから心強い。


 昨年、武田の軍勢が内山城(うちやまじょう)を手に入れた。内山城は志賀城の目と鼻の先。つまり喉元(のどもと)(くさび)を打ち込まれた形となる。


 領主笠原様から直々に(めい)が下り、俺たちは甲府から佐久への道を監視している。敵の軍勢が通ったら、狼煙(のろし)を上げて、次の伝令地へ走って知らせる。

 狼煙(のろし)では細かい事は伝わらないが、何かが起こった事は直ぐに伝わる。遅れて伝令が走りつき、内容を口頭で伝え、次の伝令が同じように次の地へ走る。




「おーい、清三郎(せいざぶろう)。次はお前だぞ」

「あいよー」

 読んでいた本を閉じ懐にしまい、俺は腰をあげる。そして山の中腹にある小さな洞窟(どうくつ)から外に出る。この洞窟(どうくつ)斥堠(せっこう)の中心拠点(きょてん)として、(ねぐら)として使っている。


「今日は満月か――」

 煌々(こうこう)と光る月を見上げ、一人(つぶや)く。

 志賀城を出立したのは新月だったので、丁度半月(はんつき)だな。


 戦乱の世とはいえ、元服(げんぷく)したばかりで戦場に出たことはない。

 派兵から戻ってきた怪我人や亡骸(なきがら)は何度か目にしている。しかし、それが生活の一部となっているので、殊更(ことさら)恐怖を感じる事は無い。

 つまり戦乱が日常の一部になっている俺たちの緊張は、永くは続かない。

 終日昼夜(ちゅうや)問わず交代で見張っているので、非番は寝るか博打(ばくち)猥談(わいだん)だ。


 満月の夜とはいえ、周りは闇だ。斥堠(せっこう)という隠密裏(おんみつり)に行う活動。よって松明(たいまつ)など、闇夜(やみよ)に目立つ道具は使えない。

 木々の間を抜け見張りの場所に行く時には、いつも緊張する。そして、いつもの道順を慎重に進む。

 正直、夜の番は遠慮したいが…順番なのでしょうがない。山には獣や物怪(もののけ)(たぐい)が潜んでいるからだ。

 俺は武家の人間ながら、御世辞にも武術が得意とは言えない。親兄弟にも(あき)れられ、寺で学文(がくもん)をやらされていた。まぁ俺自身には武術よりは、肌に合っていたのだが。




 斥堠(せっこう)場所まで辿(たど)り着き、身を(かが)めて準備に入る。

「さて、では始めますか……」

 今まで何も起きたことが無いので、今回も何も怒らないと心の底では思っている。しかし役目は役目だ。気合を入れて目下に集中する――。

 集中を始めたところ、後ろに何か妙な気配を感じる。背後に(ほの)かな光が発せられているのを確信する。


「神様、仏様、御先祖様、

 南無釈迦尼佛(なむしゃかにぶつ)

 南無八幡大菩薩なむはちまんだいぼさつ

 そして、おっかー」

 信じてはいなかったが、毎日唱えさせられていた御題目(おだいもく)。そして思いつく限りの助けを()う。そして、恐る恐る振り返った。

 明らかに松明(たいまつ)の光ではない。見た事のない金色(こんじき)の光だ。


「仏の…光?」

 恐ろしさはまるでなく、(いや)されるような心地すらしていた。


 光の中から木製の薙刀(なぎなた)を持った乙女が現れる。

 整った顔立ち、優しくも凛々(りり)しい眼。腰まで伸びた(つや)やかな黒髪、上質な布の上衣(うわぎ)(はかま)

 きっと神様に違いないと、咄嗟(とっさ)平伏(へいふく)する。


「えっ、ここは……。あれ、更衣室じゃない! しかも夜?」

 驚き戸惑っている女神様(?)の声が聞こえる。


「あの…女神様…で、ございますか?」

 俺は違和感を覚えながらも、平伏したまま声をかける。恐れ多いと思いながらチラリと顔を見上げ、すぐに額を地につけた。


「えっと、私は草彅(くさなぎ)葵衣(あおい)。高校生なんですけど……」

 『こうこうせい』? 物怪(もののけ)(たぐい)か? 狐か狸に化かされている?

 いずれにせよ、身動きがとれない。


「失礼ですが、あなたは?」

 ()んだ、そして優しい声が、俺に向けられた。

「は、拙者(せっしゃ)武居(たけい)清三郎茂玄(しげはる)。領主笠原様の下知(げち)にて、甲斐(かい)武田の動向に対し、斥堠(せっこう)をしております」

 なんか、自分の言葉遣いが丁寧過ぎて笑ってしまう。

 一瞬しか見えなかったが、神々(こうごう)しく美人で凛々(りり)しい乙女は、俺には刺激が強すぎた。でも、これが夢なら覚めないで!


「えっと武居茂玄さん、ですか。とりあえず、頭を上げて欲しいです」

 ()んだ声が、俺の鼓動(こどう)を加速させる。

 現れた女性が笑顔で右手を差し出した。その手を借りようと手を出して気が付く。

《俺の手、汚れているじゃん!》

 とりあえず服で手をこすって、少しでも綺麗(きれい)にする。

 柔らかさと共に、肌理細(きめこま)やかな肌。少なくとも村や城では見たことも、体験したこともない。


 さて、手を()かれて立ち上がったは良いが――。女神様ではないとの事だが、美人が(ゆえ)に顔を直視できない。

 何を話せば良いかもわからない。しかし先ほどの言動から、現状が理解できていないようだ。

 記憶喪失(きおくそうしつ)か? いや、名前もはっきり覚えていた。そういえば、『葵衣』という名も珍しい。また姓を名乗っているのだから、それなりの身分なのだろう。


 気丈にも落ち着いている様に振舞っているようだが……少し表情は硬い。ここは(おとこ)として矜持(きょうじ)を見せねば。

 先ほど平伏していた時、彼女の足が見えていた。そういえば裸足(はだし)だったな。身なりを考えれば履物が無いとは考えにくい。

 ふと、自分の腰に結び付けられた、替えの履物がある事を思い出す。新品で良かった。

「も、もしよろしければ、この足半(あしなか)をお使いください」

「あ、ありがとうございます……」

 (かかと)まである草履(ぞうり)があれば良かったが、下級武士の俺には過ぎたるものだ。

 しかし、武術に心得(こころえ)があると見えた。重心を(かかと)に乗せずに見事に履きこなしている。


 少しだが渙ち解(うちと)けて、乙女の表情も(なご)やかになる。

 この人を仲間には見せたくない。なんというか、独り占(ひとりじ)めしていたい。

 そして、猥談(わいだん)をしていた事は尚更(なおさら)知られる訳にはいかない。


「えっと、先ほど甲斐武田への斥堠と(おっしゃ)っていましたが……武田とは武田信玄(しんげん)の事ですか?」

 信玄? 聞いたことが無いな――

「いえ、武田晴信です」


「あの、武居さん。変な事伺いますが……今日はいつですか? (とし)(つき)()。全てを含めて」

 確かに妙な質問だ。しかし彼女の真剣な表情から察するに、ふざけている様子ではない。きっと重要なのだろう。


「今日は満月なので、天文(てんぶん)十六年、(うるう)七月十五日。だと思います。永く出ているので、正確な日は覚えていませんが…」

天文(てんぶん)十六年。西暦だと一五四七年。武田晴信という名前から考えても、戦国時代まっただ中ね……」

 『せいれき』? またもや聞いたことが無い言葉が出てくる。大陸(みん)の言葉だろうか? 一方の乙女は、現状を整理する事に集中しているようだ。



「これが現実ならば、タイムスリップしたのね。考えられないけど……」

 先ほどまでは状況を把握(はあく)できずに、心中は狼狽(ろうばい)していた様に思う。(おもて)には出していなかったけど。

 何を言っているのか意味は解らないが、状況を整理し始めて落ち着いてきている気がする。


「あの、武居さん」

「あ。はい、なんでしょうか?」

 背筋を伸ばして返事をしてしまった。俺の様な下級侍の悲しい(さが)でもある。

「私の事は『葵衣』と呼んでください。この時代ですと、女性は名で呼ぶと思いますので」

「葵衣さん、ですね。では拙者も茂玄とお呼びください」

 何か恐れ多い気もするが――葵衣さんに笑顔で頼まれたのだから、喜んでお言葉に甘えよう。

 名前で呼びあえることで急に距離が近くなった気がする。




《チーン、ポクポク、ジャラーン》

《チーン、ポクポク、ジャラーン》


 俺は野辺送(のべおく)り、つまり葬列の音を聞く。(りん)木魚(もくぎょ)錫杖(しゃくじょう)――。

 寺に居た時に、自然に体に染みついた感覚だろう。重々しい音が次第に近づいて来ている――。

 人は必ず死ぬ。だから、いつ葬儀(そうぎ)があっても不思議ではない。ただ、今までとは何かが違う。場違いというかなんというか……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ