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掌編たち

桜の噂と捻くれ者の僕

作者: 翠雫みれい

-大桜の下には、幽霊が出るらしい-

2月の中頃、卒業式手前の登校日。クラス中に、そんな噂が広がっていた。最も、共通するのはその部分だけ。噂の続きは人によって違って、通りがかりの人を喰らうだとか、木に触れると体を乗っ取られるだとか、咲かないはずの花びらが地面に散っているだとか、そんな下らないものばかりだった。

大桜。神社の境内にあるその木は、ある年を境に咲かなくなった。枯れた訳でもなく、病気になった訳でもなく、突然に。当時は神様の機嫌を損ねただとかなんとか騒ぐ町内会の老人連中はいたけれど、今になってもなお騒ぐ高校生というモノ好きの好奇心は流石だと思う。ふと神社の方に目を向ける。高台にある高校からは神社の木々も見えたが、周りの桜がほんのりと春の色を纏い始める中で、大桜は今年も蕾の1つすらつけていなかった。



大桜の噂は現実で語られるに収まらず、下校後にもクラスのグループトークをいつにない程賑わせていた。僕が気付いた時にはだいぶ話が進んだあとで、しばらく遡ったあたりから確認する羽目になったくらいだ。適当に流し見ながらトークを送る。僕の視線は、ある発言で止まった。

『あの大桜、市が伐ろうとしてるんだってさ』

それ以降のトークを流し見る。ほぼ全て大桜に関することで、早くも身もふたもない噂の種になり始めていた。伐ろうという話が町内会に来たのは今日だというのだから、半日ほどで調べ上げる探求力は計り知れない。流石モノ好きだ。大桜が気になって外を見ると、十数人の集団が、手に何かを持って神社の入り口に集まっているのが見える。流石にこの距離では何をしているのかは見えなかったが、なんとなくの予想はついた。よく言えば信仰深い、悪く言えば古臭い町の、況してや神社に植えられた大桜が伐られるとなれば、老人連中が黙っているわけが無い。彼らの中で、あの大桜には神様が宿っているんだから。

「…神様、ね」

ぽつりと呟く。いつかに見た満開の大桜。その儚い情景が脳裏に浮かぶ。それにしても、幽霊の話で盛り上がるクラスメイトといい信仰深い老人連中といい、この町の住人は胡散臭いものが余程好きらしい。そして僕も、やはりまごう事なきこの町の住人らしかった。じっとしていられなかった僕はコートを羽織り、外へ飛び出す。薄暗い中を黙々と、早足で歩いて行くと、神社に近づくにつれて少しずつ騒めきが大きくなり、まだ冷たい冬の空気を揺らしていた。老人連中と野次馬が固める鳥居正面を、揉みくちゃになりながら切り抜け参道を駆ける。拝殿と共に見えた大桜はやはり咲いてはいない。だが、その根元には1つの人影が揺れていた。

「ひさしぶり」

少女の声が聞こえる。その声にも、そのシルエットにも、僕は覚えがあった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

10年以上も前、僕は大桜の下で少女と出会っていた。小学校低学年の校外学習で神社に来た時のことだ。

当時から決して素直とは言えない性格をしていた僕は、クラスの集団から離れて1人で境内を探索していた。そうは言っても度々遊びに来る神社の境内だ。特に面白いこともなく、ただ参道をふらふら歩いているだけだった。ふと強い風が吹き、桜吹雪で視界が明るくなる。当時はまだ大桜も咲いていたけれど、その時見上げた大桜は普段の比ではないほど美しく、儚いものだったように感じる。そして、その木の下に少女は居た。日本人には見えない淡い色の髪。桜色を帯びた肌に、小柄で(といっても当時の僕からしたら十分大人っぽかったのだけれど)華奢な身体つきは、髪色こそ違えどどこか日本人形のような雰囲気を醸し出していた。

『おともだちになろう』

今思えば一目惚れでもしたのかもしれない。幼い僕は少女の元まで走り、握手を求めたのか手を伸ばした。少女は一瞬きょとんとしたあと、面白いものでも見つけたかのように楽しそうに微笑む。

『うーん、そうだなぁ…』

風が吹き、桜が舞う。乱れた髪を耳にかけ直しながら、少女は呟いた。

『あなたが大きくなってこの樹が花をつけなくなっても、私やこの樹のことを覚えていたら。…その時は、考えてもいいかな』

『…?』

首を傾げる僕に、少女は『なんでもない』と笑い、それよりと僕に問いかける。

『あなたいくつ?そんなに大きいようには見えないけど、まさか、1人で来た訳じゃないわよね?』

少女は僕をじっと見つめる。咎められているような感じがして、僕は言葉に詰まった。

『…クラスのみんなとだよ?…ちょっと、はぐれちゃっただけで』

目を逸らしながら呟くように言う。そんな僕に少女は『あら、悪い子だわ』とからかうように言った。少しだけ気不味くなった僕は、話題を逸らそうと似たようなことを少女に尋ねた。

『…おねえさんこそ、ここで何やってるの?』

『うーん…内緒?』

悪戯っぽく笑う。その後一番低い枝に手を伸ばして、小さく微笑んだ。

『そうだなぁ、大切な桜を眺めていただけかな』

僕が少女に見惚れていると、ふと遠くで教師達の声が聞こえる。僕を探しているらしかった。

『ほらほら、探されてるよ?早くお帰り』

少女がトンと僕の背中を押す。視界が桜吹雪で埋め尽くされた。

『またね、おねえさん!』

振り返り、右手を大きく振る。少女はそっと微笑んでいた。桜吹雪が一層強くなり、少女の姿は見えなくなる。強い風に顔を覆い目を瞑った。

『またね、悪い子ちゃん』

少女の声が聞こえて、少しずつ風が収まる。目を開くと普段通りのぽつぽつと蕾をつけ始めた大桜と、拝殿の陰からは教師達が見えた。辺りを見回しても、少女の姿は見当たらない。幻想じみたあの邂逅を実際に起こった真実だと知らしめるものは、僕の髪に乗っていた一輪の桜だけだった。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



後から聞いた話だと、教師達が探し回った2時間弱の間、僕は境内のどこにも居なかったらしい。僕としては確かに大桜の下に居たし、そもそも体感として精々10分弱程度の出来事だったのだから、それを知った僕は昔話の住人にでもなった気分だった。あまりの見つからなさに『誘拐されたんじゃないかと思った』と当時のクラス担任が愚痴をこぼしたことを思い出す。そんな簡単に犯罪が起きてたまるかと僕は思うが、不可思議な空間で女の子と話した、なんて言う方がよっぽど現実味に欠けるのだからどっちもどっちだろう。その後母親共々学校に呼び出され、担任と学年主任からありがたいお叱りを受けたのはまた別の話だ。ともかく、それが僕と少女の唯一の邂逅であり、僕みたいな捻くれ者が神様だの幽霊だのと言った胡散臭いものを信じている所以だった。そして今、目の前にいる少女は髪の長さを除いてあの記憶の中と全く同じ外見をしているのだから、少なくとも、やはり人間ではないだろう。

「昔あった時は髪が長かった気がするんだけど、僕の思い違いだったかな?」

再会を喜ぶ言葉よりも先にそんなことを聞いた僕に対し、少女は面白そうに笑った。

「桜が枝を剪られたからよ。…それにしても、ほんっとあなたは変わらないね。昔のまま、素直じゃなくて悪い子だわ」

それほどでも、と嗤いながら、僕は少女の横に並んで木に寄りかかる。お姉さん、と呼んだはずの少女を年上だと思えない程度には成長した僕でも、この大桜は相変わらず大きいままだ。

「…ところであなた、私のこと幽霊とでも思ってない?最近ここに来たあなたくらいの歳の子がみんな話してるんだけれど、あなたが広めたんじゃないわよね?」

唐突な問いに驚き少女を見る。少し頬を膨らませる様子は、やはり年上には見えない。それに、生憎僕に噂を広めるだけの人脈はないし、そんな悪趣味も持っていなかった。

「そういえばみんな言ってたね、そんな噂。まあ、広めたのは僕じゃないけど…」

「あら、そうなの?てっきりあなたが広めたのだと思ってたわ。ま、違うならそれはそれでいいのだけど」

意外だわ、というふうに目を少し見開いた。わざわざそんな噂を気にするとは、やはり幽霊に準じた何かなんだろうか。

「実際のところはどうなの?」

「うーん…内緒?」

いたずらっぽい微笑みを浮かべる少女。はぐらかされてしまったが、昔会った時と変わらないその笑顔は、幽霊なんて陰湿なイメージは似合わなかった。最も、神様なんて尊大なイメージも似合わないわけなんだけれど。

「それじゃあさ、もし君が神様とか幽霊とかだとして。今の僕が『友達になろう』なんて言ったら、今度こそ僕をどこかに連れて行く?」

「どーしようかなぁ。あの悪い子ちゃんが10年以上私のこと覚えてて、しかも会いにくる変わり者だとは思わなかったからなぁ…」

悶々と悩む少女。『連れて行く』という部分を否定しないのだから、噂通りに人喰らいの化け物か、あるいは憑依してくるタイプの幽霊なのか。僕が考え込んでいると、悩んでいたはずの少女が怪訝な顔で僕をみていた。

「何考えてるのかわかんないけどさ、私からも聞いていい?もし私があなたをどこかに連れて行く存在だとして、それでもあなたは私と友達になりたがる?」

打って変わって真剣な表情で少女は尋ねる。その剣幕に思わず怯むが、それでもここに来た時点で答えは決まっていた。

「勿論。その為にここに来たんだから、今更怖気ついたりなんてしないよ」

少女が喩え人喰らいの化け物だとしても。喩えあの世へ誘う幽霊だとしても。それでも少女と居られるのならまあいいかと僕は嗤って、少女に手を伸ばした。

「ー僕を、連れて行って」

少女は驚いた顔をする。少し戸惑ったあと、決心したように僕の手を取って、嬉しそうに笑った。桜吹雪が舞い、周りの景色が見えなくなる。それでも今度は、少女の姿が見えなくなることはなかった。



見知った町の中。

冬から春に変わる中を、僕らはのんびりと歩いていた。

「次はどこに行くの?」

少し前を歩く少女に、僕は尋ねる。

少女はくるっと回るように後ろを振り向き、北の方角を指差す。

「うーん、あっちのほうかなぁ」

そういうと少女は僕の手を引いて、勢いよく駆け出した。突然引かれて転びそうになりながら、なんとか僕も走り出す。通りがかりに見た大桜は、少女と出会ったあの時のように、いつにも増して綺麗だった。

「次はどこの春を見に行きたい?」

無邪気に尋ねる少女。一緒に居るのもやっぱり悪くないな、と思いながら、君に任せると短く答える。

春を告げる風が、桜吹雪を起こして翔けていった。

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