序章:先生、教えて・・・っ!!
彼女は、流れる白銀の髪を1つにまとめ切れ長の赤い瞳を前方に向けていた。
「──お断りします。」
「姫様!?」
「困ります、戻って頂かなくては…!?」
整った顔立ちは一層陶磁器のよう。
眉をぴくりとも動かさず、彼女は追い縋る彼らに告げる。
「戻る気はありません──私は人間界で決めたのですから。」
「姫様…!!」
「どうあっても戻って頂けないのですか?」
うっすら桜色の口紅が塗られた口元が開かれる。
「ええ。
・・・第一“姫様”は私の他に10人は居るでしょうに」
彼女の瞳に込められた色は冷たい。
一層見下してすらいる。
「姫様!?もう、魔界の金庫は空です!!姫様に管理して頂けないと──!?」
「そ、そうですよ…!助けて下さい!?」
鈴の鳴るような声が紡ぐのは毒。
「はっ、クソ親父の色情狂だろ!私には一切関係ありませんね」
シーンと静まり返る、大通り。雷門前。
真夜中の為、周りに人気はないが…彼女の言葉は辛辣だか、事実の為彼女を呼び止めていた彼らも沈黙する。
「だ、だからこそ…姫様に──」
「知るか、上(の兄や姉)を頼れ。私は明日も仕事があんだ!とっとと帰れ!!」
「姫様ぁ~~!!」
「だーもうーー鬱陶しい!!」
「こ、こうなったら・・無理矢理にでも──!?」
「ァ゛アア~~~ッ!?」
彼女の背には“いつの間にか”蝙蝠羽根が生えていた。
彼らの背中にも同じような翼と頭には山羊の角が生えたスーツ姿の男達が手に剣を握っていた。
「ひっ──!!」
「狼狽えるな、それでも魔界騎士か!?」
「そ、そそそう言われても──!?」
「神に祈りは済んだか?ぁああ!?」
「ひ、ひいっ──!?」
「ま、待って──グボォッ!?」
「う、うわああああっつ!!?」
ドカッ、バキッ、グシャッ…。
パンパンと両手を叩いて、彼女はものの5分で男達を静めてふぅ、と息を吐いた。
「兎に角、私は帰りませんから。
──あまりにしつこいようだと・・魔界、滅ぼしますよ?」
絶対零度の微笑は折り重なるように倒れている彼らに追い討ちを掛けた。
「「「──ハイ、姫様…」」」
にぃ──っこりと彼女は嗤った。
その表情はどこまでも悪魔的に美しくかった。
否、彼女は悪魔──吸血鬼の姫だった、どこまでも。
「よろしい・・もう、私の前に現れないでくださいね?代わりを寄越そうとしたら、今度こそ魔界滅ぼしますからね?」
彼女──リリアージュ・フォン・ブラッドレインは魔界の姫である。
水銀の髪を団子でまとめ、北欧人形のような顔立ちを侮蔑の笑みに歪め、男達が消えた方向を睨む。
「──ふぅ、やれやれ。」
とんだ夜食調達になってしまった、と溜め息を吐いてバサリと蝙蝠羽根をはためかせた。
ぐんぐんと上昇していくリリアージュの姿は月明かりに照らされる。
「ん、頭を冷やすにはちょうどいいわね…綺麗な月」
蒼白い満月はただ東京の空を照らしていた。
2018年、1月4日深夜──三が日も過ぎた派遣社員である彼女はガサッと音を立てたロー○ンのレジ袋を揺らす。
「明日はスタ○でカウンターの仕事があんのに、あいつらと来たら…ほんと、マジで一回魔界潰すかな?主に魔王城周辺」
ぎろっと意味もなく、月を睨んでしまった。
リリアージュは自身の父親である、魔王が大嫌いだった。
なぜか?
決まっている。
「特にあんのクソ親父!!」
放蕩魔王、色狂い魔王、下半身魔王──これらはリリアージュが産まれた当初からずっと言われ続けていた言葉だ。
魔王城で居た当時からずっとこんな話ばかり聞かされた子供が父親を尊敬すると思うか?
答えは否だ。
それでも──、それでも!!
この400年良く我慢したとリリアージュは自身を誉めたいと拳をぐっと突き上げた。
「──れでも、ちょっとはマシなところがあるにはあるんだけどな…」
空中で体育座りした状態で月を見ながらリリアージュはぽつりと呟いた。
「母様…あんな男のどこが良かったんだろう…?」
リリアージュの母──リリス・ブラッドレインは吸血鬼の家系だが、祖に天界から堕ちた堕天使を真祖に持つ。
その真祖と同じ名前でリリアージュも少なからず偏見や侮蔑の目を向けられた過去もある。
「──男の趣味って分からないものね」
400年。魔界で力の扱い方、吸血鬼としての戦い方、魔術──それから神聖魔法を師匠から授けられある意味リリアージュは魔族でありながら、天界の者にしか扱えぬ神聖魔法も扱う特異な吸血鬼となった。
「もう、帰ろう…晩酌は自宅でしよう」
宙で立ち上がると自宅のある方向へと飛んだ──
「いっらしゃいませ、ご注文は?」
「エスプレッソ、ラージで。」
「お持ち帰りでしょうか、店内でしょうか?」
「店内で」
「かしこまりました──450円です…ちょうどですね。」
少々お待ち下さい──と銀髪に蒼い瞳の女性はコーヒーの仕込みにカウンターの奥に消えた。
会計が終わった男は常連客の会社員だった。
勝手知ったる座席に腰掛ける。
朝イチで客もそんなに居ない──そもそも平日で4日だ。
仕事初めに朝からス○バに行く人はそんなに居ないだろう。
それを知って朝から落ち着きたい常連客が数えるほどしかいないので、ゆっくり客達はこの美人の店員手ずから淹れられるコーヒーを楽しみにしているのだ。
「──お待たせ致しました、お客様」
「ありがとう」
会話はそれだけ、にこりと微笑むのは愛想笑い。
それでも、会社員の男には充分だった。
清潔な白いブラウスに紺色のエプロンと黒いズボン、革靴と他の店員とそんなに変わった物ではないが、北欧人形のような顔立ちに銀髪と蒼い瞳に会社員の男のみならずこの時間にいる男達の目を楽しませる。
「いっらしゃいませ──帰れ、クソ親父」
「なんだ、俺はお前の父親だろ?そんな邪険にしなくても──」
「お帰りはあちらですよ、クソ親父」
にっこり微笑んだその笑みは怒気を孕んでいた。
漆黒に長い黒髪を首の後ろ辺りで赤い紐で束ねた黒スーツに身を包んだ紅い瞳の青年は身長180㎝。美人店員は168㎝で彼女からしたら、十分デカイ。
「あらあら…ダメよ、リリィ?お父さんでしょ」
「母様…」
一転頬を僅かに染めて嬉しそうに笑む美人店員(?)。
「なーんか、俺と態度ちがくねぇ?」
「標準です」
「標準よね?」
リリアージュと同じ配色の髪を揺らして辛辣に旦那を毒吐く。
「・・・妻と娘が冷たい…」
そんな哀しい男は無視してリリアージュは自身の母に笑顔で応対する。
「母様、ご注文は?」
「カフェオレ、レギュラーで唐揚げセットでお願い」
「…相変わらず変わった組み合わせですね、母様」
「いいじゃない、好きなんだから」
「…はぁ、かしこまりました」
そのまま会計をしようとしたら──
「ま、待て──!?俺、ブレンドラージで頼む!カツサンド付で」
チッ
「かしこまりました──合わせて1180円です…チッ、20円のお釣りです。」
盛大に舌打ちして釣りの10円硬貨二枚を投げ付ける。
「…なんかしたか、俺?」
「自分の胸に手を宛てて考えてみたら?」
「…分からん」
「──クソ親父の分は山田さんに任せます。母様は私が用意しますからね♪ 」
ジトッ、と殊更冷たい視線で父親を一瞥してリリアージュは母には飛びきりの笑顔で応対する。
「ええ、楽しみにしているわ。」
リリアージュの母、リリスは旦那を放ってソファ席に腰掛けた。
「店員が差別する…」
「黙れ、クソ親父」
「──ぅぅ…っ!!」
とうとう涙ぐみ始めた父親は完全無視してリリアージュはカウンターの奥に引っ込む。コーヒーをさっと準備して揚げ物用のフライヤーで唐揚げを揚げる。
母の好みはカフェオレを飲みながら唐揚げを食べること。他にも甘い物の隣にはいつもしょっぱいもの、辛いものがあった。
手際よく準備されていくコーヒーを客は見惚れる。
凡そ外国人であろ容姿に流暢な日本語は下手な日本人より日本人らしい洗練された言葉使いだ。
「──お待たせ致しました、母様。」
唐揚げとカフェオレを同時に置く。
「?俺の分は──」
「新人の研修で柳瀬君に持ってきてますよ、ほら」
くいっと親指で柳瀬を指差すリリアージュ。
「お、お待たせ致しました…ブレンドラージとカツサンドです」
「・・・・」
男子高校生風の少年はやや緊張しながらも、どうにかそれだけ言って注文の品を音を立てずにテーブルに置いた。
「いい感じよ、柳瀬君」
「あ、ありがとうございます…ブラッドレイン先輩」
「ええ、時間まで頑張って頂戴」
「はい!」
そう言って彼は嬉しそうに笑って主任に呼ばれて行った。
とことん父親は無視される存在なのだ。
「──ところで。母様。」
「なぁに?」
「なぜ、ここに来られているのですか?」
「気晴らしよ、私は」
ギンッ!!
その母の一言でリリアージュは父親に殺気の籠った瞳を向けた。
「──母様を出汁に使ったのか、ク・ソ・親・父!?」
「はっはっはっ!そうだとも──嘘です、ごめんなさい」
自分の愛する娘と妻の背後に般若と死神を幻視して即座に椅子の上で土下座する魔王。
スーツが一層痛々しい。
「ラスドはねリリィに戻ってきて欲しいそうなのよ」
「お断りします」
「でしょう?なのにラスドときたら…」
ジトッと二人分の冷めた視線を向けられて、魔王は土下座のまま、
「戻ってきて下さい、リリアージュ様、娘様!!」
と、とうとう娘相手に敬語まで使い始めた駄目親父。
「戻りません、あと“娘様”ってなんですか?気持ち悪い」
リリスは平然と淹れたてのカフェオレを口に含んで唐揚げを頬張っていた。
「そうですか、今日は諦めます!」
「明日も来るようならバラす」
「ひっ──!?」
ゾクッと背中に悪寒を走らせてリリアージュの父親は娘の視線に震えていた。
「私は時々様子を見に来るからね、リリィ」
「はい、母様」
母には飛びきりの笑顔で頷く。
やはり、父と娘の確執は深いようだ。態度が180°違う。
チリンチリンと鳴ってリリアージュはカウンターへと客を出迎えに行った。
最初の客が帰り新たな客と入れ代わる。
「いらっしゃいませ──お持ち帰りで?・・かしこまりました」
リリアージュはまた忙しく客の応対をして行った。
時折新人の面倒を主任から任されたりテーブルの片付けや清掃を行って足りない豆の補充を新人に教えながらしていた。
昼を少し過ぎてからいつの間にかリリアージュの両親は帰っていた。
リリアージュのいるこの中目黒支部は電車二駅分の距離だ、リリアージュの自宅からは。
リリアージュはこの東京都内に一軒家を買って都心に住んでいる。
職業、派遣社員。
派遣会社アクオスの派遣社員として登録しており、スタ○の他に受験を控えた学生の家庭教師なんかも担当している。