混乱
「どちらが正しい?」
マレー沖の第二艦隊旗艦鳥海の艦隊司令部で小沢中将は二つの情報を見比べて当惑していた。
周りにいる参謀も難しい顔をしている。
彼らの艦隊は二つの情報により混乱に陥っていた。
一つは先程入った潜水艦伊65の電文。
もう一つはそれより前の午後二時半に九八式陸上偵察機(九七式司偵の海軍版)がシンガポールのセクター軍港にて入手した情報である。
九八式の情報によると英海軍の主力戦艦二隻は未だシンガポールセクター軍港に停泊していることになっている。
既にその情報を元に航空司令は元山、美幌、鹿屋の各陸攻隊にセクター軍港への出撃準備を命令したところだった。
(潜水艦の誤認か?だが、伊65の情報が正しければ英戦艦二隻は既に我々の目と鼻の先だ...。)
伊65から発信された電文を基に彼我の距離を計算すると110~120浬の距離しかない。
もし、POW及びレパルスに遭遇してしまえば遠距離から一方的に屠られかねないのである。
(いや、我が艦隊が狙われるならまだいい…。奴等の目標は間違いなく護衛の少ないシンゴラの輸送船団だ!!)
小沢はそう判断した。
ひとまず小沢は同海域に展開している水上艦の水偵による索敵とバラバラになって陸軍の船団護衛を行っている巡洋艦、駆逐艦を終結させ夜戦に備えることにした。
そして、17時半に航空司令の松永中将は正確な敵情報が解らない状況であったが「まだ日は明るい、対艦攻撃は可能である。攻撃隊を発進させろ!!」と攻撃目標の変更及び出撃を命令した。
出撃目標は伊65が接敵した付近から計算した場所である。
この陸攻隊で一式陸攻が配備されていたのは鹿屋空のみであった。他の元山、美幌航空隊は九六式陸攻での出撃である。そもそも、太平洋戦争開戦時に一式が配備されていたのは高雄空と鹿屋空だけだった。
しかし、陸攻隊のほとんどは悪天候のため引き返しており、それでも索敵を続けた三機の陸攻は鳥海達を敵艦隊と誤認。
あと一歩のところで同士討ちになるところであった。
その後、17時20分に伊65が英艦隊を見失った(後に再び接敵)という電文とそれに続き18時35分の軽巡洋艦「鬼怒」索敵機からの接敵報告が伊65の情報とずれていたこと、また18時30分に第一航空隊司令部から「写真解析ノ結果シンガポールニ敵艦無シ第三十潜水司令ノ報告確実ナリ」との報告が入った。
一連の電文によりいよいよ艦隊内の雰囲気は重いものになっていく。
だが、19時15分に軽巡「鈴谷」索敵機から「敵戦艦二隻見ユ 我出発点ヨリノ方位一八五度八三浬 針路二〇度」との報告が入る。
この明確な情報に基づき小沢の艦隊は初めて敵艦隊の正確な位置を把握することができたのである。
彼我の距離はたったの70浬であった。
これでやっと落ち着きを取り戻した艦隊だったが20時16分の軽巡「熊野」索敵機からの電文で再び混乱に陥ってしまう。
「敵レナウン型戦艦二隻見ユ 我出発点ヨリノ方位一八五度七〇浬 針路五○度 一六節 一九五○」
この報告から彼我の距離を再び計算しなおすとその距理は七〇浬よりもはるかに短い五〇浬に接近していた。
しかし、敵の針路から目標はシンゴラの輸送船団ではないことが判明しそれが余計に小沢達を困惑させた。
「敵の目標は何だ!我々の攪乱が目的か?」
「いや、コタバルやパタニの陸軍部隊かもしれないぞ?」
「それとも偽装航路でやはりシンゴラに向かっているのでは?」
次々に入ってくる「味方の情報」に日本海軍には英艦隊の目的が解らなかったのである。
さらに悪いことに夜間になり接敵を続けていた鈴谷索敵機と熊野索敵機が行方不明なってしまう
艦隊の目を失ったことから小沢は夜戦を決行することを断念した。
マレー近海で日本海軍が味方の情報によって混乱している頃フィリップスのZ艦隊もまた自分たちの状況に困惑していた。
日本軍に捕捉されたためである。
そのためフィリップスは駆逐艦「テドネス」を先にシンガポールに向かわせ翌朝の艦隊予定座標を10日の9時半にシンガポールに向け打電することを命令した。
テネドスは20時5分に艦隊から分離。
ここで分かれた両者はもう二度と会うことはなかった。
残った五隻でシンゴラに向かおうとしたが、三機の日本海軍の水上機(鬼怒、鈴谷、熊野の艦載機)に捕捉され日没まで追跡され続けたので、もはや奇襲は成功しないと判断した。
フィリップスと幕僚達は自分たちもシンガポールに回航することに決定する。
「既に、シンゴラの輸送船団はこちらの存在を確認し、撤退してしまったに違いない。」
そう考えたためである。
その決定の基Z艦隊はコタバル沖200浬でシンガポールに引き返すために反転を行った。
結局、小澤艦隊の巡洋艦とZ艦隊の戦艦二隻の間に夜戦は発生することはなかった。
もし夜戦が発生していたらどうなっていただろう?
16門の大口径砲の前に日本軍が大敗していただろうか?
それとも日清戦争の黄海海戦の様に速力と砲の速射スピードが勝る日本軍が勝っていただろうか?
ともあれ日付は変わり12月10日となった。
ただ昨日と同じ様にシンガポールに反転したZ艦隊を海中から警戒する者達がいた。
潜水艦伊58である。