初陣
高雄航空隊。
台湾は高雄で1938年に設立されたこの隊は初めて一式陸攻が配備された航空隊だ。
この航空隊は編成後すぐに中国戦線に駆り出され、1941年1月から蒋介石ルート遮断作戦に参加。
その後、三月末に編成地高雄に帰還する。
そこで機材の改変(九六式から一式への機種改変)を行った。
初めて一式陸攻を見た搭乗員はやはり(この図体で大丈夫か?三菱の新作は独活の大木か?)と感じたという。
そのまましばらく一式陸攻の操縦訓練を行い、7月25日に漢口に進駐。
再び中国戦線に戻ってきた。
既に漢口には元山航空隊、美幌航空隊が進出しており重慶、成都に対して連日攻撃を行っていた。
高雄航空隊もこれらの攻撃に参加することになっている。
7月29日、高雄航空隊は漢口から西に300キロ離れた宜昌対岸の敵野砲陣地を爆撃し陸上部隊の援護をせよという命令を受けた。
これが一式陸攻の初陣である。
この宜昌という場所じたいは既に陸軍部隊により制圧されており、制空権は完全にこちら側にある。
一式陸攻の実戦試験場というわけだ。
当日一式陸攻は爆弾槽に六番爆弾(60kg)を最大搭載量の18発を搭載。
次々に支那軍の野砲部隊を血祭りにあげた。
この作戦は無事成功するが、一式陸攻では俊敏に戦局が移り変わる地上戦の掩護は難しいという結論と機体規模が九六式に比べ大きいので飛行基地の駐留が難しく、万が一の場合には対空偽装がしにくいという欠点が判明する。
四発ならば何でも良い訳ではないということだった。
翌日30日には重慶爆撃にも参加。
初めて一式陸攻を見た支那軍は一式陸功の事を日本軍機とは思わず自軍のアメリカ製最新機と勘違いし対空戦闘を躊躇った。
その結果大損害を被り戦後日本政府にこの時の爆撃にいちゃもんを付けまくることとなる。
ともあれ29日と30日の一連の作戦で撃墜された機は一機もなかった。
初陣から約二週間後。
高雄航空隊はゼロ戦との共同作戦(オ号作戦)を命じられる。
成都にある支那空軍の一大拠点を一網打尽にする作戦である。
高空機密第13号の32 「オ」号作戦(アジア歴史資料センター)によると指揮官は鈴木正一少佐。
参加戦力には零戦20機、一式陸攻9機と書かれている。
この作戦では一式陸攻は夜間のゼロ戦隊の誘導が主任務とされ、爆弾は一発も搭載していなかった。
この作戦にはあの坂井三郎も参加しており、著書の「大空のサムライ」にもこの日の事を書いている。
作戦は順調に進んでいた。
しかし、誘導を終え帰還途中の一式陸攻達にあるアクシデントが発生した...。
時は7時33分。
一仕事終えた陸攻隊は曇り気味の空の中、宜昌にある航空基地に帰還中であった。
初めて最新鋭の機体に乗った、藤井大紀三飛曹の気分は最高だった。彼は指揮官機の副電員だ。
最初この機を見たとき「図太い機体でただの的だ。」と言ったがすぐにこの高速飛行に惚れ込んだ。
機内がやかましいのが玉にキズだが問題ない。
なんたったあのゼロ戦と同じ巡航速度で飛べるのだ。
本当は爆弾を落としてやりたかったが無いなら無いで気が軽いので心地いい。
彼以外のどの搭乗員もそう思いボーッとしながら帰還中の飛行を楽しんでいる。
飛行機の前にはいくら屈強な兵隊も心は子供であった。
その時である。
「鈴木少佐!!敵機が上がってきました!!」
誰かが叫んだ。
騒音だらけの機内に緊張が走る。
「対空戦闘用意!!」
続けざまに機長が機内ブザーに怒鳴る声が聞こえた。
藤井は慌てながら自分の持ち場に急ぐ。
対空戦闘が命令されると機長と操縦員以外は持ち場の機銃座につかなくてはならないのだ。
(ふざけんな...。護衛のいない陸攻じゃ鴨射ちじゃないか...!!)
窓越しにソ連製の戦闘機が四機、 こちらに真っ直ぐ向かうのが見える。
いつの間にか耳に入る発動機の騒音が自身の心臓のバクバクという音に取って代わっていた。
窓を注意深く見ていると、機銃弾がまるで自分を狙っているかのように一直線に飛んでくるように思えた。
その弾速はやけにゆっくりとしている気がする。
(あと五秒で機に当たる...!!)
確証はないが藤井はそう思った。
脳内に機が木っ端みじんになるイメージがよぎる。
しかし、そうはならなかった。
カンッ!!カンッ!!カンッ!!カンッ!!カンッ!!
装甲が機銃弾を弾いた。
衝撃が機に走り、何発か貫通するが大したダメージではない。
「一式は無敵だぁ!!」
気がつくとそう叫んでいた。
改めて外を見ると敵戦闘機が再びこちらに銃撃を仕掛けようと試みている所だった。
敵は今ので仕留められると思っていたらしくかなり動揺しているようだ。
飛行の仕方が稚拙になっている。
藤井がそれを機銃の射程内に入れるのはそう難しいことではなさそうに思えた。
冷静に引き金に力をいれる。
いつの間にか五月蠅く響く心音が7.7mm弾の発射音に代わっていた。
結局この戦闘で陸攻隊は一機の被害も出さずに無事帰還に成功した。
それに対し支那軍は護衛のいない陸攻相手に四機中三機の戦闘機を落とされたのだ。
「一式陸攻は無敵である。」
戦時中ゼロ戦神話とともに語り継がれる一式伝説の始まりであった。