本土防衛
史実では絶対にありえないことが起こりますご注意ください
1942年4月18日、アメリカ海軍の空母2隻がその巨体を揺らしながら日本本土を目指し進んでいた。
第16任務部隊空母「エンタープライズ」と第18任務部隊の新鋭空母「ホーネット」である。
ホーネットは1940年12月14日に進水し、昨年10月20日に就役したばかりの、ヨークタウン級空母の3番艦、就役時13㎜だった対空機銃は対日開戦のため今年の初め20㎜に換装されていた。
エンタープライズはヨークタウン級の2番艦であるため、次女と末っ子の姉妹が一緒に出撃していることになる。
ヨークタウン級は全長809ft、メートル換算すると約247m、排水量は19、576tの巨艦。
アメリカ海軍対日戦闘の切り札だ。
しかし、その新鋭空母ホーネットの飛行甲板に陣取っていたのは艦戦、艦爆、艦攻ではなかった。
双発陸上爆撃機B-25を16機。
何故、空母に陸軍機が乗っているのか?
日本本土空襲、それが彼等の使命だった。
ルーズヴェルト大統領は真珠湾の奇襲以来、日本本土の爆撃を計画していた。
アメリカ海軍の真珠湾の恨みやルーズヴェルトの復讐心など色々な要因があったが、一番の問題はアメリカ国民の士気の低下である。
連合国は対日開戦以来、フィリピンで負け、マレーで負け、南太平洋で負け続けている。
その上、開戦以来定期的にアメリカ本土近海への攻撃があった。
ほとんどは潜水艦による通商破壊及び、艦砲射撃であったが、2月24日のカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃では同施設の機能が停止する事態にも陥り、その損害は無視できないものになりつつあった。
アメリカはここ100年間他国軍からの本土攻撃を受けたことが無い。
以上の理由から、アメリカ国民の士気は駄々下がりであった。
その心理的不安を吹き飛ばす為の日本本土爆撃なのである。
作戦立案者は合衆国艦隊司令キング長官の作戦参謀であるフランシス・S・ロー大佐と航空機のスペシャリストのドナルド・B・ダンカン大佐だ。
1月10日にローは陸軍機の訓練を見て、この艦載機よりも足の長い陸軍機を空母に搭載できれば、日本本土の爆撃が可能になるのではないかと思いつき、キングの命令でダンカンにこのアイデアを持ち込んだ。
そして、ダンカンはこのアイデアを検討するために、まず機種の選定を行い、B-25とB-26に目を付けた。
防空能力の高い敵国の首都を爆撃するには滞空時間は短い方がいい、よって速度と航続距離に優るB-26の方が適任と思われたが、空母に艦載しなければならいという制約から機体規模の小さいB-25が選ばれた。
そして、ダンカンは1月15日におよそ30ページの報告書をまとめて提出した。
勿論、飛行甲板から陸上用の爆撃機の発、着艦を行うことは無茶苦茶だ。
発艦はともかく、機首が高く着艦用のフックが取り付けられず、空母の艦載機用のエレベーターにはその機体規模から乗せることができない陸用双発爆撃機の着艦は不可能である。
その為、B-25を日本本土近海500浬から飛び立たせ、飛び立ったB-25は中国大陸の基地に着陸する作戦が立案された。
使用されるB-25全機は機密保持のためノルデン照準器が外され、12機には航続距離を増大させる改造が施し、残りの4機には戦訓を基にある特別な改造が追加して施された。
実行責任者はジェイムズ・ドーリットル中佐。
日本本土に向けB-25が飛び立つのは夜間爆撃を行うため夕方ギリギリだ。
しかし、そこでアクシデントが起こった。
エンタープライズのレーダーに二つの光点が補足されたのだ。
時は午前6時、東京湾から750浬の地点であった。
第16、18任務部隊はエンタープライズから索敵の為にドーントレス艦上爆撃機を発艦させ、日本海軍の哨戒艇を発見した。
ドーントレスは銃撃により、哨戒艇を攻撃するも、中々撃沈することができず、第18任務部隊の軽巡洋艦「ナッシュビル」も砲撃に参加したが小型の哨戒艇に砲弾を直撃させられずにいた。
そうこうしているうちに、なんとこちら側のドーントレスが哨戒艇の対空機銃に捉えられ撃墜されてしまう。
結局、7時23分に哨戒艇を撃沈することに成功したが、哨戒艇は6時45分に「敵航空母艦2、駆逐艦3ヲ見ユ」と打点した後だった。
そこで第18任務部隊のウィリアム・ハルゼー中将は予定より早いB-25付近の発艦と付近の日本海軍哨戒艇を一掃することを決意する。
F-4F戦闘機をエンタープライズから発艦させ、B-25をホーネットから発艦させる。
ドーリットル中佐は機を緊張させながら発艦させる。
フラップを下げ、エンジンをフル回転させるやり方で発艦すれば、計算では十分に発艦できる距離だ。
彼等は全てこの日の為に二月の下旬から猛訓練を行っている。
一番機が飛行甲板を飛び去ると一瞬ガックンと機首が下がるが、そのまま高度が上がり見事発艦に成功し、後続機が次々とそれに続いた。
離陸には140メートルで事足りた。
8時半に16機の発艦は全て終わった、予定の7時間早かった。
艦隊はB-25が発艦すると直ぐに、25ノットの速さでハワイに向け退避を始めた。
一方、エンタープライズから発艦したF4-Fは7時に新たに発見した哨戒艇を血祭りにあげた。
飛行甲板からB-25が無くなり余裕ができたホーネットも艦戦、艦爆を繰り出し辺りの哨戒を始めた。
そして、10時に3隻目の哨戒艇を撃沈したのと同じ頃、エンタープライズのレーダーに新たな目標が補足された。
それは哨戒艇ではなく航空機だった。
「敵空母2、戦艦2、駆逐艦6ヲ見ユ」
航空母艦「鳳翔」から飛び立った索敵機である九六式艦上攻撃機より敵艦隊発見の無電が放たれた。
その海域に展開している空母は鳳翔だけではない、「祥鳳」、「瑞鳳」などの改装空母を合わせた3隻の小型空母を中心とした艦隊がそこにはいた。
日本海軍は今から数日前に大和田通信所の無線探知や分析により、空母が最低でも1隻が真珠湾から出航したのを確認した。
そこで問題になったのは米空母の襲撃予定地である。
この時、日本海軍はインド洋に空母6隻を全力出撃させている時期だった。
もし、この時期に本土に米空母が来襲したら有力な海上戦力が無い今、本土の防衛がままならない。
そこで、本土に停泊中の空母3隻をかき集め本土近海での索敵行動に当たっていたのだ。
特に日本初の空母鳳翔は3月にも米空母の本土爆撃を警戒し索敵活動を行っているので慣れたものである。
そこに、今朝6時45分に「第二十三日東丸」からの通報を始めとした数隻の哨戒艇から送られた襲撃報告を基に敵空母が存在すると思われる海域に向け全空母合わせて8機の索敵を出し、そのうちの1機が敵空母2隻の正確な位置の捕捉に成功した。
接敵の数分後に撃墜されてしまったのは搭乗員には申し訳ないがこの機を逃さないことが弔いにもなる。
三隻の空母は風向きを確認しながら、合成風を作るべく、艦速を上げ総計36機の艦戦、艦攻を発艦させた。
「回せーっ!!」
鳳翔索敵機九六式艦攻が放った電文はここ、本土の木更津航空隊にも届いていた。
この航空隊は既に日施索敵を行っていた哨戒機4機の内1機がホーネットが放った思われるB-25を補足したため即時待機を行っていたのだ。
木更津航空隊は元々練習航空隊だったが、4月1日より実戦部隊となっていたため調度がよい。
飛行場に並べられた機体は木更津航空隊と機首変換の為に内地に帰還していた四空を合わせた合同航空隊の一式陸攻22機と、三沢航空隊の一式陸攻8機の計30機。
全機の雷装を何とか準備ができた。
30機の一式は九六式艦攻がその命と引き換えに放った電文の地に四つの発動機を震わせ離陸した。