航空戦
1942年3月1日
「回せー!!」
ラバウルの滑走路に男たちの声が木霊する。
その声とともに、砂塵を巻き上げ金星発動機が爆音を上げ始めた。
第四航空隊の出撃である。
事の発端は今から数時間前。
12時20分頃の事である。
哨戒中の横浜航空隊の九七式水上艇が米艦隊発見とテ連送を打電し、その数分後に消息を絶ったのだ。
近場にいる空母は「祥鳳」であったが現在パラオである。
急いで引き返しても間に合わず、直ぐに行動できるのは彼等しかいなかった。
よって、ラバウルの防衛は第四航空隊の双肩ならぬ四発にかかっているのである。
日本海軍は先月の頭にクエゼリンで痛い目を見ていた。
横浜空の隊員には悪いが早期に米艦隊を発見できたことは運が良い。
すぐさま敵艦隊を迎撃するための準備がはじめられたのだ。
しかし、航空機を滑走路に並べるのに四発の一式はとても重く引っ張ってくるのに予想以上に時間がかかってしまうことになる。
当時、米軍の様に航空機を牽引する機材を所有していなかった日本海軍は人力で機材を移動させていた。
人力といえば聞こえはいいが、要は複数人で押して進めるのである。
単発の戦闘機や双発の九六式などは比較的容易に移動できるが、四発の一式はそうもいかない。
結局、司令部の人間も一緒に出てきて手伝いやっとこさ終わった。
今回出撃するのは第四航空隊の全隊合わせて26機。
その内、伊藤飛行隊長率いる第一中隊と藤井の所属する元高雄空の第二中隊の機材は全て一式だが、元千歳空の第三中隊は配備されている機体は三分の二が九六式のままである。
生産が間に合わない...
数少ない欠点の一つであった。
20機の一式と6機の九六式。
その内雷装の物は7機。
すべて、経験豊富な元高雄空の第二中隊に取り付けられた。
残りは陸用25番爆弾2発を搭載。
爆装での出撃である。
ゼロ戦の護衛はない
航続距離を伸ばすための増槽が届いていないからだ。
かくして、第四航空隊の運命はルオットから運ばれた七本の魚雷に託された。
「対空警戒を厳にせよ」
空母レキシントンの司令部施設でブラウン中将とその優秀な部下達が艦隊に適切に命令を下している。
9日間のレキシントンの修理が終わり、太平洋に解き放された第11任務部隊である。
10日間に近い作戦延期の結果作戦決行日は3月になってしまった。
少し前に日本海軍の哨戒機と思われる水上艇をレーダーで捕捉、対空砲で叩き落とした。
その為、既に日本海軍の勢力下にあると考えられる。
艦内にはまだ先程の高角砲の火薬の匂いが残っていた。
今回の作戦は奇襲が前提である。
本来なら九七式水艇と接触した時点で撤退をすべきであった。
しかし、ブラウンは対空警戒を下命、針路を変更し偽装することはあっても撤退は命令しなかった。
そもそも、四度目の作戦中止は彼にとってはあり得ない。
引き返すつもりは毛頭なかった。
ブラウン四度目の正直である。
というのも、ブラウンは作戦が失敗することは考えていないのだ。
日本海軍の主力攻撃機のnellが紙のような装甲しかないことは作戦延期中に中国から取り寄せた報告書で確認済みであったし、フィリピンやマレーで新型の四発機が確認されているが本来対艦用ではないだろう。
こんな航空機達に負けるはずがない。
確かに、マレー沖海戦でロイヤルネイビーは大敗を期した。
だが、それは英海軍が対空への備えを怠ったからだ。
マレー沖海戦時の英艦隊の高角砲、対空機銃の数は少なくはないがどれも性能がパッとしないものであり、戦艦以外の艦の対空火器は充実していなかった。
豪州所属の駆逐艦ヴァンパイアに関しては一門の高角砲しかなかったのである。
それに比べ第11任務部隊は米海軍の早い時期からの対空火力増強方針によって凶悪な対空火器を搭載する駆逐艦に、戦艦に負けないぐらい頑丈な重巡洋艦が配備されている。
それに加え空母レキシントンはその腹の中に22機のF4-F艦上戦闘機を溜め込んでいる。
負ける要素はない
少なくとも、ブラウンはそう結論付けていた。
自分の艦隊の実力に絶対の自信をもっている。
この辺、Z艦隊のフィリップとは対照的だ。
まぁ、普段のブラウンはそこまで好戦的ではないのだが...。
(今回は絶対に勝つ!!)
その思いがこの男を奮い立たせていたのであった。
ちょうどそう考えていた時である。
「レーダーに編隊を確認したとのことです!!JAPの基地航空隊と思われます!!」
部下から報告が入った。
「よし、直援機の奴等に処理させろ!!一機残らず叩き落せ!!」
すかさず対空戦闘を命じる。
「イエッ!!サー!!」
「対空戦闘用意!!」
「対空戦闘用意!!」
対空戦闘を下命する艦長達の声を背景にブラウンは勝利を確信した。
(全くレーダーっていうものは便利なものだ。)
レキシントンのレーダーは第四航空隊が第11任務部隊を発見する10分以上前から彼らを補足し護衛の戦闘機14機の誘導を開始していたのだ。
その結果、この海戦のINITIATIVEは米海軍がにぎることとなった。
「対空警戒準備」
ちょうどそれと同じころラバウルを飛び立った第四航空隊の第二中隊機の中で対空警戒が言い渡された。
各機長の声とともに機長と操縦員以外はそれぞれの配置へと狭い機内の中を動いた。
藤井は急いで上部20mm機関銃の銃座に就く
藤井は少し前まで右側面7,7mm機銃の担当だったが、射撃の腕前が中隊内で一番上手く、本人ももっと威力の高い機銃を望んだことから上部20mmの射手となったのだ。
直ぐに新しい機銃にも慣れ、既に2機落としていた。
彼のスコアは現在6機だ。
藤井と同じ機の人間は藤井が副電信員だという事を忘れている。
それぐらい藤井の射撃は正確で何度も命を守られていたのだ。
特に今回の様に戦闘機の護衛がない任務では藤井のような射撃上手の隊員は敵戦に対する唯一の対抗手段となる。
(今回の相手は海軍機だが比島でやりあった陸軍機とどちらが強いかな?)
そうのんびり考えながらふと腕時計に目をやった。
安い日本製だが、郷里の母が送ってくれたものである。
時計を見ると文字盤は午後2時45分を示していた。
粗悪品ではあるがちゃんと手入れをしてたおかげで針に遅れも進みも見られない。
(母は元気だろうか?)
そう思った時だった。
第二中隊のやや上方を飛んでいる第一中隊の中で何かが光った。
「敵機来襲うううぅぅぅ!!」
その声が機内ブザーから聞こえた瞬間、雲中で第一中隊の一式が爆発し紅く光る。
まるで、太陽が二つあるかのような景色だった。
発動機の爆音と第一中隊の爆発音の中で藤井は自分の心音しか聞こえなかった。