歪な勇者と一つの願い
短編です。
「フハハハハハ! よく来たな勇者よ。その気概、その実力。私は非常に評価している。……どうだ? ここは一つ、私の部下にならないか?」
魔王城に木霊する愉快な声。窓に打ち付ける風雨と相まって、聞くモノには絶望がまき散らされる。無論ここで断れば、そこには命を賭した戦いが待っている。
「……魔王ファルネア。お前にお願いがある」
「―――ふむ? ……まあ他でもない貴様の願いだ。聞いてやろう」
「俺を殺してくれ」
「……え?」
魔王は改めて勇者を見据えると、その瞳にはおよそ勇者と呼べるような光はなく、ただただ瞳の奥には虚無が広がっていた。
魔力が切れたわけではない、それ処か殆ど消耗していない。なのにどうして。
「……その願いをかなえる前に、貴様に興味が湧いてきた。何故貴様はわざわざ私にそれを頼んできたのか、聞かせてもらおうか」
勇者は見据え処を失ったような瞳で、ぽつぽつと語りだした。
「俺は生まれた頃から勇者だった。先代の生まれ変わりだとか何だか知らないが、とにかく勇者だった。物心ついたときには聖剣を握って、それ以来ずっと俺は……何の意義も持てずにこの剣を振ってきた。家族も、王族も、女性も、いろんな奴等にちやほやされてきた。だから大人になっても、何かに困るということは無かった。俺の妻になりたい女性は一杯いて、俺に取り入りたい王族は一杯いて、家族はずっと俺を気遣ってくれて」
百聞しても順風満帆な生活としか言いようがない。魔族の王である魔王から見ても、その生活は所謂、希望に満ちた生活でしかない。
「最初は悪い気がしなかったんだ。この生活が送れる自分はなんて幸せか。この幸せを保つためにも頑張ろう……なんていう意義を持てたのは良かったのかもしれない。でも、ある時、俺はこんなスキルを手に入れたんだ」
勇者は懐から魔術を記憶する石を取り出すと、山なりにこちらに投げてきた。刻み込まれていた魔術は『現想転身』。相手の深層心理を読み取る魔術であり、多くの勇者はこれを駆使して相手の動きを先読みして、勝利を掴み取る。
「最初は只の興味だったんだ。俺はどれだけ愛されてるんだろうかって思って。その数はどうでもいい、只俺はたくさん愛されている事が分かればそれで満足だったんだよ。でも……誰も俺を愛してはいなかったんだ」
他人は言わずもがな、或いは家族すらも。
「それどころか誰も期待してすらいなかったんだ。期待は当たり前だったんだ。『先代の生まれ変わりなら当たり前』『勇者だから当然』『先代の力を借りてるだけの男』。妹も弟も、母も父も誰も俺を見てなかった。養子でもないのに、実の子供なのに、俺を勇者という肩書を通してしか見てなかった。都合よく利用してきた。皆、みんな、ミンナ」
腰の聖剣を投げ捨てて、勇者はその場に跪いた。
「俺の努力は認められない。期待に応えるための必死の努力も、何もかも全部勇者だから当たり前という理由で片付けられる。もうたくさんだ。その内、剣すら振りたくなくなった。お前の部下も全員気絶で済ませたよ。殺す理由が無かったから。殺しても意味が無いと思ったからだよ……俺が、今までの勇者が何度お前達を倒したと思ってるんだ。どうせ今倒してもお前達は復活する。いつか人類を打倒せんと立ち上がる。だったらもう、戦う意味なんてない。その必要性すらない」
「……ならば戻ればいいのではないか? 私はそう狭量な人間ではない。今なら命くらいは見逃してやる」
「―――戻ったらどうなるか、俺の話を聞いておいて察せない筈は無いだろうが。当たり前の期待すら裏切るような人間はゴミ以下だ。だったら俺は今この場で、飽くまで勇者として死ぬ。そうすれば罵声も軽蔑の視線も受けないで済むから」
勇者は大きく両手を広げて、目を瞑る。全てを諦めた者に最早躊躇など無かった。浅ましさ極まって、それはいっそ清々しい。
むしろ殺す側である筈のこちら側が躊躇してしまうくらいには。
「俺は俺に絶望した。勇者になってしまった時点で、俺自身に価値なんてない事に気づいてしまった。だからどんな方法でもいい、殺せ。お前達の積年の恨みでも何でも受けるから、俺を殺してくれ。串刺しでも四肢切断でも絞首でも斬首でも何でもいいから殺してくれ。俺にはもう、居場所なんてないから」
その瞳は、枯れ果てた涙を零しながら、嘆願した。それこそが最後の希望だと言わんばかりに縋りついて。
本来はその願いを受け入れない道理はないのだが―――
「……まあ待て。貴様は勇者としての期待に応えるために、数え切れない善行を積んできたはずだ。その一つ一つを全て思い出せとは言わないが、一つくらいは思い出せるんじゃないのか? 印象的だった事があるのではないか?」
「…………………………もしかして、森での事か」
「ヤアッ!」
森の主に強烈な一撃を浴びせると、遂に森の主は体勢を崩して倒れこんだ。起き上がる事はもうない。この猪は都の人々に散々迷惑を掛けた。命を奪い取ってしまっても問題なくらい、深刻な被害を及ぼした。過剰な狩猟は禁止だが、今回ばかりは。
……ごめんな、こっちの都合で殺しちまって。
それでも仕方ないと言い訳をしつつ、獣の死体を引っ張る。こちらの都合でこういう事をするのは気に入らないが、こういう仕事も『勇者の役目』なので仕方が無かった。勇者とは人々の生活にも気を配るべきなのだと。だからどんなに気が進まなくても、それを熟すのが『勇者としての仕事』。
……仕方ない。それは仕方ない事だなんだ。
「キャアッ!」
そんな事を考えていた時、森の深奥にて少女の叫ぶ声が。人々の窮地を救うのも『勇者の仕事』。全力で駆けて、現場へと向かう。
そこに居たのはもう一匹の猪と、そしてそれに襲われている少女。その体色、その角。何をどう考えても魔族なのは明らかだが、今はそんな事はどうでもいい。
困っている人を助けるのが、『勇者の仕事』だ。
「セアアアアアアアアア!」
完璧な刺突。猪は木々をなぎ倒しながら数十メートル以上も吹き飛ばされ、ようやく停止。そして二度と動くことは無かった。
「……大丈夫か?」
「いや……いや、来ないでッ!」
そこで改めて自分と彼女の種族の違いを思い出す。只でさえ恐怖の対象だった猪を一撃で打ちのめし、ましてそれが人間ともなると、彼女も拒絶もごく自然の事。
だからこそこちらは、武器を捨てて接さなければならない。
「安心しろ。俺は人間だが、お前を襲ったりはしないよ」
それは勇者の役目でも何でもなく、只『俺』という人間の根底にあった信念だった。
「……」
「信じてもらえないか。まあ俺は勇者だから仕方ない。怪我はないみたいだから帰り道を教えるぞ。まずこの森を東に抜けて、ああ東って言うのは―――」
「よく思い出したな。話を続けるが、その助けた魔族の女……それはな、私の娘なのだよ」
「へえ、そうか。アイツは元気なのか?」
「お陰さまでな。今ではスタイル抜群でありながらも肉感的で、魔族の中でもとびっきりの美人だという自信がある」
愉快そうに微笑む魔王を、勇者は虚無の瞳に少しばかりの光を宿して。
「……そういうのを親バカっつうんだよ」
「フン、そうか。まあいい。さて、結論から言うと、お前の願いを叶える訳には行かない。私だって魔王である以前に親。出来れば娘の悲しむ姿を見たくはないからな」
「……?」
怪訝な顔を浮かべる勇者。
「まだ分からないなら言ってやろう。お前は誰にも愛されていなかったと言ったが、それは違う。お前は……私の娘に、エリザに愛されていた」
魔族と人間の恋がありえないというのは偏見だ。魔族だって人間だって同じ生物で、それと番になりたいと、夫婦になりたいと思えるなら、そこにはもう種族の違いはない。魔族と人間がこうなってしまったのは過去の歴史のせいであり、それは非常に代えがたい溝だが―――今の魔族と人間のに罪はない。こうなってしまったとしても、それはそうなるべくしてそうなっただけ。何も悪くない。
「……そういうのを勘違いッつうんだよ」
「果たしてそうか? アイツはいつもお前の身を案じていたし、お前好みの女性になろうと、自分磨きに始まり、料理、魔術、薬学、弓術、いろいろなものを学んできた。お前とエリザが出会ってから10年―――アイツは一度も、お前を忘れた事は無かったぞ」
「信じられないな。たった一度助けた俺をそこまで想うなんて」
「信じられないなら、後で会ってみるといい。きっとお前も気に入るし、その心の傷もアイツが癒してくれる筈だ。魔王としてこの発言は問題だが、私はお前とアイツがベストパートナーだと信じている……貴様に交戦する気があるのならば、この事は持ち出さず、本気で戦うつもりだった。だがお前は居場所が無いと、そう言ったな?」
「ああ」
「そしてお前は死にたい。ならば好都合だ。お前は戻りたくもないし、戦いたくもない。人類への復讐も何もしないでそのまま潰えたい。だが死ぬのは思いとどまれ。そして私を殺した後、今までの鬱憤を人類へぶつけてやれ。居場所がないなら壊しても構わない筈だ……実を言えばな、魔族も衰退の一途を辿っている。このままでは滅亡するのは明らか。別に貴様に魔王になってもらいたい訳ではない。お前にはその知識も力もないからな。私は只……お前に居場所を、娘に幸せを与えたいだけなのだよ」
「―――お前にそこまでする道理はないだろう」
「確かにな……だがこれは取引だ。人類を潰したい私と、勇者として私を殺す義務を持つお前と、居場所が欲しいお前と、そしてお前を愛する娘。全てが得をする取引で、それこそ断る道理は無い筈だ」
―――さあ、どうする。
「よくぞ帰ってきてくれた勇者よ!」
魔王の首を片手に、勇者は帰還した。街では盛大なパレードが行われ、多くの民は勇者の魔王討伐を祝して好き放題やっている。
『女も食い物も食い放題にしてくれる勇者様は本当に利用価値があるよなあ』
『ああ、俺達の生活を潤してくれて、奴隷よりも有能な奴隷だぜ!』
「此度の魔王討伐ご苦労であった。これで人類が魔族の脅威に怯える事は無くなった。本当に感謝している。
『魔王討伐に勇者という存在は実に適切。扱いやすい事この上無し。こうして祭り上げておけば、次の脅威も容易く退治してくれるだろう』
口ではそんな事を言っても、勇者は体の良い奴隷。魔王を倒しても、結局それは変わらなかった。少しだけ期待は……したんだが。
「さて、それでは聖剣の返還を以て、勇者の任を終えるものとする。さあ、もっと近くに」
勇者はゆっくりとした動作で王に近づくと―――その首を抜刀と共に切り落とした。
「……な、なにを!」
あまりにも予兆なく突然の出来事に、周囲の者は混乱するほかなかった。何も衝動的にやった訳じゃない。これは……そう。
「お前達を殺して、ようやく俺は解放されるんだなって……そう思えるよ。お前達が悪いとは言わない。でも―――俺の為に、死んでくれ」
煌びやかな王都は廃都となり、その中心には一人の男が立っていた。周りを彩るは幾千の死体。王族、市民、友達、妹、弟、母、父。ありとあらゆる全てを破壊し、全てを壊しつくした。もう自らを縛るモノは何もない。
「は……ははは」
もう過去はない。全ては忘却の彼方へ。勇者の任も、自分の苦しみも何もない。
「ハハハハハハハハハハハハハハアハハアハハハハハハハハハ! ……空しい」
居場所など元々無かったからか、壊した所でさしたる充実感も、後悔も沸いてこない。悪い事をしたという自覚はあるが、反省はしない。魔王の甘い誘いに乗った勇者など、それだけで大罪者だから。
「あ、あの……」
「ん?」
背後の気配に振り返る。肉感的肢体に、忘れもしないその顔。魔王の言った通り、或いは自分の記憶通り、彼女はかつて自分が助けた魔族、エリザだった。
「い、以前はありがとうございました!」
「……気にするな。俺は人として当然の事をしたまでだ」
こんな事をした以上、もう自分は人間ではないが。
「で、その、ですね。父上からも聞いている通り私は……あ、貴方をお慕いしていました。友達からでいいですから、その……末永い縁を結べたらなって」
「……俺は誰にも愛されなかった。魔王の紹介があったとはいえ、今もお前の事を疑っている」
「大丈夫です! わ、私は絶対貴方を信じさせて見せますから! 貴方を愛さなかった皆の分まで、私は貴方を愛して見せますから! だから―――死なないでください」
その瞳は、もういつ失ったかも分からないくらい純粋で、穢れも裏も無い。絶対的自信に裏打ちされた献身的な愛以外に、見えるものはない。
「―――分かった。一先ずは死なないでおく。でも俺はまだ何も信じきれない。お前が本当の事を言ってるかどうか、確かめさせてもらうぞ」
こちらとしては握手を求めたつもりなのに、歩み寄った瞬間、エリザは純真無垢な少女の様に、何の躊躇もなく抱き付いてきた。
「ありがとうございます―――さん! これからも……よろしくおね、ね?」
「……慣れないなら敬語でもいい。これからもよろしくな、エリザ」
二人の物語はこうして始まりを告げた。
大罪を背負う者を愛した少女と。
大罪と共に生きる事を誓った勇者の。
結末が果たしてどのようなものだったか、それはまた、別の刻に語るとしよう。
恋は人を美しくする。感想とか頂けたら幸いです。