破ったページにいたあたし
「私の生き方に口出ししないでください。あなたの人生ではないので」
彼女は容赦なく冷たい視線を僕に突き刺す。一言も話すことができずに立ち尽くす僕に背を向け、彼女は去っていった。
「あちゃー、怒らせちゃったねー」
ハツラツとした声と表情で、茶髪にショートカットの女性が額に手を当ててどこからともなく現れた。表現が少々オーバーなのは前からだ。
「まーったく正しいことばっか言うよねー。あんたはさ、正論という名の鋭利な刃物で、あの子をバッサバッサと斬りつけてるって自分で分かってないでしょ」
あぁ、僕は正論を振りかざしていたのか。自覚がなかった。厄介極まれりってやつだ。
「結局さ、みんな寂しいんだよ。ひとりぼっちなあたしたちは、そんな心の隙間を埋めようとして、いろんなことをしていつも紛らわしてるんだよ」
人間ってそんなものよ、と彼女は肩をすくめる。
「……でも、彼女は」
「そう、あの子は寂しさを抱えながら、自分はそれに苦しめられ続けなきゃいけないとか思っちゃってんのさ。憐れも憐れだね。見てられないし、放っておけない。でもね、あたしにはこの矛盾を解消できないのよ。だからあんたに託す」
「僕にどうしろっていうんだ」
「大丈夫。あんたならできる」
それだけを言い残して、彼女は忽然と消えた。
「幽霊ってのは不自由なもんだな」
僕に好き勝手言うくらいの自由は、あって然るべきだろう。
はぁ、と息を吐く。それより今は彼女とどう話すかだ。拒絶されてしまったが、これで諦めるわけにはいかない。どうにかして仲なおりしたい。
彼女を見ていられなくて、放ってもおけないのは僕も同じだ。
あの子と彼が仲良くお喋りしているのを見つけた。たった数日で解決したようだ。彼は優しくて真面目だから、彼女も彼を受け入れたのだろう。
彼があたしを見つけると、あの子に小さく手を振って、こちらに歩いてきた。嬉しそうに笑ってる。子犬みたいだ。
「よっ。仲なおりできたよ」
「さっすがねー。このまま付き合えちゃうんじゃない?んん?」
「えっ?あー、いや……」
「うん?ちょっとどうしたの?」
彼の様子が少しおかしい。あの子に彼氏でもいるのだろうか。いや、そんなはずはない。少なくとも昨日までは彼氏の存在はなかった。なのにどうして?
「なんか言いなさいよー」
そう言った直後、あたしは気づいた。
あっ、ダメだ。なにも言わないで。待って待って。言っちゃダメだよ。
そう思っても、言葉にすることはできなかった。あたしがもたもたしているうちに、彼は口を開いた。
「僕は君が好きだ」
あぁ、そう言うと思った。だって、あの時と同じ顔をしているから。なんだろう、これ。どうしようもなく嬉しくて幸せだ。でも、それ以上に……悲しい。
「……ダメだよ、好きになっちゃ」
あたしは思わず、泣きながら笑った。
「君が幽霊でも、触れ合えなくても、僕は君が好きなんだ」
こいつが緊張してるのが分かる。やっぱり、あの時みたいだ。あたしたちが付き合い始めたあの日、こいつは同じように真剣な表情で、真っ直ぐにあたしを見つめていた。
でも……でも、あの子はあんたのタイプじゃん。黒髪ロングで、美人で、清楚で、お淑やかで、賢くて……ストライクど真ん中でしょ。なのになんで、あたしなの……なんでまた、あたしを好きになるの……。
あたしは彼の頬に手を近づける。もちろん触れることはできない。ぽろぽろと溢れる涙を必死で拭って、彼を見る。
……あは、慌てちゃって、かわいい。
「ありがとね」
あたしがそう言うと、彼は優しく笑った。
そして、あたしはまた、彼の記憶を消した。
三ヶ月前、二人とも交通事故に巻き込まれて、あたしは幽霊になった。彼は全身打撲だったけど、命に別状はなかった。
彼はあたしが死んだって聞いて、悲しんでくれた。ずっと泣いていた。自分を責めていた。ついには、深夜に自殺までしようとした。そんなの見過ごせるわけがなかった。だから、あたしは咄嗟に彼の記憶を消した。あたしに関するものだけ。飛び降りようとしていた彼は、自分の行動原理が消えて、ただ窓の外を眺めていた。
彼の友人や家族からも、あたしに関する記憶だけ消させてもらった。これであたしは彼の人生からいなくなった。
はずだった。
ある日突然、彼は幽霊のあたしが見えるようになった。霊感もなにもなかったはずなのに。しかも、あたしだけ。他の霊は見えないという意味不明な状況だ。
けれど理由なんてどうでもいい。純粋に嬉しかった。普通に話せることが、最高に幸せだった。
でもね、あたしを好きになっちゃダメだよ。もうこれでさよならしなきゃ。あたしがあんたを殺してしまう前に。
記憶を消すのはやっぱり辛い。悲しくて寂しい。でもこれでいいんだ。これでいいんだよ。これで。あたしのことは忘れて生きて。あんたには幸せになってもらわなきゃ。
大好きだよ。
さよなら。