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いつか潰えた彼らの未来

作者: 聖木霞

ヒステリカ・アルトシュタイン:http://charasheet.vampire-blood.net/m547552a50bc9a9efe0f3be45fec269dc



 ――――「痛い痛い死にたくない死にたくない死にたくないぃぃぃいいいいっ!」

 ――――「オマエガハイスイシナケレバ」

 ――――「ネェ、ドコイクノ? オイテイカナイデヨ?」



 ――――「殺、殺、殺、殺。……ミミミ、ミィーツケ、タ?」



 散る飛沫。その色は、赤。

 迫る狂気。その色は、黒。

 響く絶叫。その色は――――赤と黒を混ぜ合わせたかのような、吐き気がするほどの濃い血臭だった。

 捕食者の愉悦を漂わせて、湿った音を響かせて。足音がべちゃりべちゃりと音を立てているのは、血に濡れているからだろうか。

 周囲は暗闇。汚泥と狂気に塗れた空間より脱出せんとあの時死に物狂いで駆け抜けた空間に、私はいつの間にか佇んでいた。

 足音に混じって、「置いていかないで」「お前のせいで」「生きたい」「死にたくない」という怨嗟の声が足元より湧き上がる。

 ――――そして、私の足を掴む。あの時見捨てた栗髪の少女が、あの時と同じように私の足を捕らえて。落ち窪んだ瞳が恨み辛みを湛えて「タスケテ」と呪う。

「嫌、やめ――――嫌、いやぁああッ!!」

 半狂乱になって、それを振り解こうと足掻く。だが血まみれのその腕は痛いほどの力で私の足を掴み、己と同じ闇へと引き摺り落とさんと決して放そうとはしなかった。

 前を向いても、あの時は確かに在った光や、空間の亀裂はなかった。共に脱出を目指したサーリャ、シュミラ、そしてノアもいない。――――暗闇の中で、一人呪われ。

「やめ、やめて、ごめんなさッ、ごめんなさい……ッ!」

 見開いた瞳から零れた涙、その一滴でさえも逃さないとばかりに、今度は腕を掴まれる。眼前に迫るのは、私が誤ったばかりに首を排水溝に飲まれ、無惨な死体となった青年の首口。

「ひっ……!」

「オマエノセイデ」

 犯した罪が、死体という形で私を奈落へと引き摺り落とす。他人の生を踏み台にして、自らの生に固執した大罪人。救えたはずの命を、誤ることで喪わせた愚か者。そう罵る声無き声に、耳を塞ぎたくとも塞げない。

 ――――闇が、伸びる。生々しい腕の形をとったそれらは、私の体中至るところに絡みつき、服を剥ぎ、肉を削ぎ、骨を毟ってその命の有らん限りを奪い尽くそうと私に殺到する。

 思考を瞬く間に埋め尽くす真っ赤な激痛。瞼の裏にこびりついて離れないのは屋上から見下ろした死体。真っ赤な果実が破裂したかのような無惨な死体。――――私が救えなかった命の末路。


「やめ、て……やめ、いや、嫌ぁあああああああぁあああああああああぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁああぁああああああああああああああッッッッッ――――――――――――!!!!」


 暗闇の中で、誰にも縋れず誰にも救われず、あの時自分が見捨てた者と同じ感情に絶叫する私に迫るのは、くるみ割り人形のような真っ赤な口。くぱあと大きく開き、ソレは私の頭蓋を噛み砕かんと――――


 その時、だった。


 全ての闇が祓われる。噎せるような腐臭と血臭を纏わせながら私に迫りつつあった和服の少女すらも跳ね除け、視界の全てが白に染まった。

 あちこち食いちぎられ引きちぎられたはずの体や服は元通りになり、脳に叩きつけるように絶えず送られていた痛覚信号も一切が無くなっていた。

「――――は、……ぁ……?」

 体を起こすことも出来ず、そのまま白の世界に横たわっていると、不意に誰かに抱き締められた。視界に広がったのは優しい赤色。薫るのは甘やかでいてなお清冽さを失わぬ匂い。

『よく、頑張りましたね。ヒステリカ』

 自分とよく似た声。恐る恐る見上げると、そこには自分と瓜二つの顔があった。そして、直感する。

「セイレーン、さま……」

 彼女こそが自らの先祖、古の英雄・トリックスターの名を冠する女性、“セイレーン”。自らの命を以ってして魔神を封じ込め、私にその力を授けたひと。

 そして同時に気付く。先程まで私を苛んでいた闇を祓ってくれたのは、彼女なのだと。既に大半の力を失ってしまったとはいえ、その存在は在るだけで周囲を清めるほどの力を持っていた。

 彼女が頭を巡らせると、それに伴い周囲の風景が一変した。私たちの傍には清らかな水を湛える噴水。足元にはところどころ剥がれつつも依然白さを保つ石畳の床があり、私たちの目の前には木で作られた扉が静かに佇んでいた。――――扉に吸い込まれたあと、光に導かれるようにして辿りついた、あの神殿だった。

『少し、お話をしましょう。……おいで』

 体を離され、手を引かれる。あの時と違い、彼女には確かに実体があった。少し温度の低い手が静かに神殿の扉を押し開き、私を導いていく。

『わたくしはセイレーン。貴女の先祖にあたる者……というのは、既に知っていますね。わたくしは既にこの世ならざる者の身。貴女の夢という形をとってしか、こうして会うことは出来ないのです。……貴女は、悪夢に魘されていましたから』

「……っ」

 震えは、抑えることはできなかった。思い出すだに恐ろしいあの闇は、やはり夢だったのだ。……あの夢は私の罪の具現。以降、ずっと見続けなければならないのだろう。

 そう思うと、泣きそうになった。

 そんな私に大丈夫、とでも言うように、私の手を握る彼女のそれに、少しだけ力がこもった。

『ここはネペトリ神殿。私たちが魔法王と仰ぐ彼女がいる神殿であり、私たちの命である宝石が安置された場所。奥には魔法王――――ネペトリ様がいらっしゃいます』

「ネペトリ様……貴女の、命……?」

 疑問だらけの私を振り返り、彼女はくすりと微笑んだ。同じ顔なのに、辿ってきた道が違えばこうも違うかと思うほど、大人びた微笑だった。

『――――話しましょう。ある王国の衰亡と、それを守ろうとした人々の物語を』


 魔法文明時代に栄えていた彼の国の名を、アルテオ王国。王国中で最も優れた魔術師・ネペトリを王に頂いた魔法国家であり、女王の庇護の下長い間繁栄を極めていた。

 ある時、アルテオ王国は魔神の襲撃を受ける。女王と国民は力を合わせて何とかこれを退けたが、次の襲撃があればまず間違いなく王国は滅ぶだろうと思われた。

 そして女王は決意した。国の中でも特に選りすぐりの魔術の使い手・剣に優れた戦士を十七人集め、彼らを“王国の守護者”――――“英雄・トリックスター”とすることを。

 アルテオ王国には主神より賜った宝石が十七あった。他の宝石よりも特に優れた魔力を秘めたそれらにトリックスターたちの生命を吹き込み、心臓とすることで彼らにより強い力を与えたのだ。

 チャンピオン、デュエリスト、グラディエイター、マジェスティー、ソウルマスター、セイレーン、プリースト、ダークロード、ウィザード、アサシン、ハンターロード、クリエイター、サイバーハンター、プリマドンナ、ディーバ、ギャンブラー、デューク。十七人の守護者達は本来の名を棄て、そう呼び讃えられた。

 彼らの存在はアルテオ王国の持つ全ての技術の粋を凝らした、人の形をした最高にして最強の魔法そのもの。ゆえにその能力は万一にも反旗を翻すことのないよう互いに互いを制するもので、然れど全員の力を合わせれば魔神を幾らでも屠れるほどの可能性を宿していた。

 ――――そして、魔法王ネペトリが率いる英雄・トリックスターたちと、異界より侵略せんと襲い来る魔神達の戦いがついに幕を開けた。

 彼らの剣の一振りは千の魔神を薙ぎ、彼らの杖の一振りは千の魔神を灼いた。彼らが張った防御の魔法は千の魔神が襲い来ようともびくともしなかったし、彼らが施した癒しの魔法は傷ついた千の人々をたちどころに治してみせた。

 しかしそれも、ある魔神が出現するまでだった。

 その魔神は、彼らが使うあらゆる魔法を吸収し、我が物としてしまった。それではあの魔神を打ち倒せない。その上他の魔神を根絶やしにしようとも斬っても灼いてもあとからあとから湧いてくる。

 ネペトリの守護もトリックスターたちの奮闘も虚しく、アルテオ王国は魔神たちに蹂躙された。

 だが彼らもただで殺されるわけにはいかなかった。ネペトリとトリックスターたちは僅かな生き残りを王国の外、誰にも見つからない場所に逃がし、最早廃墟となり火と血臭に嘗め尽くされたアルテオ王国にある魔法をかけた。

 全ての魔神を巻き込んで発動されたそれこそが、究極にして禁忌、暗黒へと全てを封じ込める忌むべき魔法。

 かくしてアルテオ王国を滅ぼした魔神たちは、王国を守らんとしてその命を賭した十八人の英雄によってその跡地に封じ込められ、常世より隔離された。

 そこに通じる扉の守護をある龍の一族に任せ、彼らは巡る生の輪廻に戻ることも出来ず、永久の闇の中で少しずつその魔神の命を刈り取っていった――――。


 いつか見た扉を潜り抜ける。その先は大広間――――穏やかな暖かい光に包まれ、最奥に玉座を抱く神殿の大広間だった。

 玉座に腰掛けるのは波打つ金髪を緩やかに下ろし、額にハルコンの冠を頂いた美しい女性――――魔法王・ネペトリ。

『わたくしたちトリックスターは、各々宝石に生命を宿した人ならざる守護者。……それでも愛を育み、今では世界中にその血族たちがいます。貴女のように』

 大広間の真ん中までくると、彼女は私の手を離しネペトリ様の隣に立った。間を置かずに、さらに十六人の人間が現れる。

『ここにいるのは、何れもが優れた魔術や剣の使い手。自らが生まれそして優しく育まれた王国を守るために、その命を宝石と魔法王に捧げた英雄たちです』

 好戦的な表情をした兎耳の少女、牛の角を生やし腰に剣を佩いた青年、狐の尾をゆらりと揺らして笑みを浮かべる女性、少年のような表情でこちらを見やる獅子の耳の青年、女優と思しき艶やかな佇まいの猫耳の女性、ステッキを持ち華やかな衣装を纏う狸尻尾の男性。

 そして、楚々とした挙措でネペトリ様の傍に控える羊角の女性に、彼女に寄り添うように現れた、龍の耳を持つ黒衣を纏った青年。

 十七人全員が、祖国のために各々剣や杖を手にとって、命を削ることすら厭わず魔法を編み続けた英雄たち。――――中心で穏やかに微笑む魔法王も、言わずもがな。

 心が、震えた。前にするだけで畏敬に心を打たれ、思わず跪いてしまいそうなほどの功績と力が、彼らにはあった。

 『彼らを超える』。それは、彼らの姿を夢の中でとはいえ直に見た今では、途轍もなく途方の無い道であることのように思えた。

 でも、だからこそ。

「……私、は」

 声が震える。あの時彼らが私に託したその意思、受け取らないで、どうしろという。


「必ず、超えてみせます。そして、貴方がたが守らんとしたこの地を、この世界を。――――人々を、守り通してみせます」


 この身に宿すのは永遠の時、そして魔法王より託された意思と英雄より受け継いだ魔道の法。

 それら全てを用いて、私は彼らを超えてみせる。彼らのしてきたことは決して無駄ではなかったと、後世に伝え、証明するために。

『忘れないで。私たちは常に、貴女と共に在る』

 ネペトリ様の声が優しく耳朶を打つ。

『愛する者のために杖を取れるなら。……君は、僕たちだって超えられる。絶対に』

 セイレーン様の隣に立つ、龍のトリックスターがそう告げる。ああ、彼こそが彼女が愛した人であり、もう一人の私の先祖なのだと、直感的に分かった。

『誇りを抱いて、誰かを愛する気持ちを決して忘れないで。わたくしに出来たのだから、貴女に出来ないことなどありませんよ』

 私と瓜二つの彼女は、そう告げて悪戯っぽく微笑んだ。その瞬間、徐々に自分の姿が透けていっていることに気付いた。

「セイレーン、様……っ!」

『――――そろそろ時間ですね。お戻りなさい。行って、自分の成すべきことを成しなさい。

 魔神が貴女の手によって滅ぼされた今、時が巡れば何れ再び会い見えるでしょう。それまで、元気で』

 全ての人々の微笑みを受けて。私の意識は、水面に浮かんでいくように目覚めていった。


 ……

 …………

 ………………

『君にそっくりな子だったね、セイレーン』

 自分達の血を確かに引き継いだ少女が去り、自分と彼女、魔法王を除く他のトリックスターたちも消えてから、彼はそう呟いた。

『ですねぇ。あんまりそっくりだったので、最初わたくしも驚きましたよ』

『そうじゃなくて、いやそれもあるけど……見栄っ張りで強気で、でも実際は壊れやすくて不器用なところが、凄く』

『ちょっと待ってくださいダークロード、それわたくしが見栄っ張りで強気で壊れやすくて不器用だって言ってるんですか。激しく異議を唱えますよ』

『ふふ、確かに昔の貴女にそっくりでしたね。外見もそうですけれど、その性格も。若い頃の貴女を見ているみたい』

 微笑むネペトリに、セイレーンはぷくっと子供っぽく頬を膨らませた。それを見て尚更「似ている」と二人は思うのだった。

 怖がりで臆病な癖に、自分の愛する者の前ではかっこつけたがりで無茶だって平然とする危なっかしい少女。敵と見做せば容赦の一切をしない反面、味方にはとことん甘かった。

 生まれが何だと自らの境遇をも跳ね飛ばし、彼女は血の滲むような努力だけで数多の魔術を修めた。その胸にいつも在ったのは、己を誇る心、そして、愛する者を守るという強い意思。

『……でも確かに、男の人の好みまでわたくしそっくりでしたからね。苦労しますよ、あの子』

『それは僕が苦労するような人間だって言ってるの』

『ええ勿論。わたくしが貴方を振り向かせるために費やした努力の数々、今更知らないなどとは言わせませんからね』

『“彼が振り向いてくれない~っ”って私にまで泣きついてきましたしね。それが今では、子孫にまで出会えて』

 でも、と。ネペトリは先程まで彼女がいたところに穏やかな視線をやり、頷く。

『彼女が貴女とどこまでも似ているのなら、彼女の恋も何れ実ることでしょう。楽しみですね、セイレーン?』

『ええ勿論。目下何が一番の楽しみかって、あの子がいつ思い人と一緒になれるかですからね。先人として色々アドバイスもしてあげたいところですし』

『君のアドバイス、あんまりアテにならないと思うけど』

 一見無表情なダークロードの呟きにも、よくよく見てみると子孫の幸福を祈る色が垣間見えた。飄々と軽口を零しつつも、彼がとても自分の血族を愛し誇りに思っているのをセイレーンとネペトリは十分すぎるほど知っている。

 嘗て過ごした平和な時間。彼らは宝石に心臓を宿す人ならざる身となっても、共に愛を育み子をもうけた。彼らが心から慈しんだその子がまた誰かを愛し子孫を増やし、……こうしてまた自分の血族と会うことが出来るとは、願ってもみない幸運だった。

 自分たちはもう、現世を守ることは出来ないけれど。その意思は、ちゃんと後世に引き継がれた。だからもう、心配することは無い。

 これからの時に思いを馳せて。魔法王は、静かに微笑んだ。

『さ、そろそろ時間ですよ二人とも。私たちは静かに、あの子を見守っていきましょう……あの子がこの先も行くであろう、永久の時を、共に』

『『御意に』』

二人が声を揃えて唱和すると、途端三人の姿は薄れて消えていった。

彼らの時は、あの魔法を発動させた時より永久に止まった。今やアルテオ王国やトリックスターにまつわる文献すら散逸している今、それでもその血と意思は確かに現世に息衝いている。

 彼らの守りたがったものを守る、と。そう告げた少女の行く末を心から願い、古の英雄達は再び、束の間の眠りに落ちるのだった。




(いつか潰えた彼らの未来)


(然れど継がれた僕らの未来)


(願わくば、君の未来に幸福のあらんことを)

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