夜の幻
私は、校門の前に立っている。
校門をくぐると、夜がやって来ていた。
夜は、一歩先も見えないほどに広がっているので、私は落し物をしないように、手元の角灯を強く握りしめた。牡丹模様の隙間から、灯りがちらちらと揺れている。
森の入口に着くと、人影が近づいてくる。夏目だ。
夏目は番傘を差し、角灯を持って、こちらにやって来た。鞄を持っていないところを見ると、一度教室に入ってから戻って来たようだ。
「お早う。今日は夜だから、迎えに来たよ」
夏目は、角灯を持ち上げて、にこりと笑った。
「どうしていつもの姿に戻ってしまったの」
私は隣を歩く夏目に尋ねた。
昨日、夏目は珍しく姿を変えていた。いつもの姿のままでは教室に入れなかったのだから仕方が無いのだけれど、少女の夏目は可憐で、とても美しかった。牛乳を入れた紅茶のような色をした夏目の髪を結って、銀の飾りを付けたり、お互いの制服を取り替えたりするのがとても楽しかったのに。
「こちらの姿の方が楽なんだよ」
清河は昨日のままが良かった?と、夏目は困ったような顔で私を見た。夏目は夏目だから、どんな姿でも構わないけれど、昨日は、いつも夏目が私にしてくれるようなことが出来て、嬉しかったのだと言うと、夏目は「そっか」と微笑んだ。
「いつかまた、あの姿を見せてくれる?」
「そうだね。清河が望むなら」
今度は、金木犀のかたちの髪飾りを用意しよう。そう思いながら、私は夜道を歩いた。楡の木が高く伸びて、梁を作っている。 遠くに、ぼんやりと角灯の灯りと人影が浮かび上がっている。炎をよく見ると、ずっと同じ色をしている。角灯の炎は、ゆっくりと色を変えていくものだから、どうやらあれは偽物の生徒のようだ。
偽物の生徒とは、言葉を交わしてはいけないよ。夜の森に閉じ込められてしまうから。
頭の中の声がそう言った。
私は、偽物の生徒を見ないように、夏目が差している番傘の中にしっかりと入り、足元だけを見て歩くことにした。落ち葉が、かさかさと音を立てる。
「ねぇ、あの姿になるのなら、目と髪の色はどうしようか。清河の好きなようにしてあげるよ」
偽物の生徒が出たというのに、夏目はのんびりと言う。夏目の角灯の中で、深緋色の炎が揺れる。
「本当に?」
「もちろん。そうだ、髪も伸ばそうか。この間の清河と同じくらいに」
「…本当に?」
「もちろん…」
私の持つ角灯が、朱色から橙色に変わった。それなのに。
「清河が望むなら」
「違う」
夏目の炎は、深緋色のままだった。
「あなたは、夏目じゃない」
偽物だ。
「どうしたの?」
偽物の夏目は不思議そうな顔をしている。
「違う」
私は、番傘の中から出て、偽物の夏目から距離を取った。
「ふふ。可笑しなことを言うね」
偽物の夏目が、ふらりと笑った。琥珀色の目が、濡れたように光る。
「どうしてそう思うのかな?」
「…さっき、私の思うとおりにしてくれるって言った?」
「そうだよ。清河が望むなら」
違う。
夏目はそんなことは言わない。夏目は私にいつも優しくしてくれるけれど、それは私の言いなりだからじゃない。夏目には夏目の意思があって、だから私に良くしてくれるのだと告げると、偽物の夏目は、不思議そうな顔をした。
「分からないな。僕の方が清河にとって都合が良いはずなのに」
「分からないのは、あなたが偽物だから」
そう、それは残念だな。偽物の夏目は、くつくつと喉の奥で音を立てた。
「でもね、清河。気付いている?偽物と言葉を交わしたのだから、もうここからは出られないよ」
私は逃げることも出来ずに、暗闇に浮かび上がる偽物の夏目の白い肌を、ぼんやりと見つめていた。笑みを作った赤い口が、裂けたようにぱっくりと開く。
*
私は、森の入口に立っていた。
夢を見ていたようだ。
夜の森はひとりで歩くものだし、偽物の生徒の話など聞いたことも無い、そういえば、夏目が少女の姿をしていたのは、もう随分前のことだったと気付き、私はそっとため息をついた。今日は夜なのだから、夢を見てもおかしくはないけれど、これ一回にしてもらいたいなと思いながら、私は角灯を握りしめて、森の中に入った。
角灯の炎が二十三番目の色を灯した時、出口が見えた。足元の感触が、腐葉土から石畳に変わる。
細道を抜けて角を曲がると、夕刻の街に出た。茜色の空に、薄い雲が懸かっている。
大通り沿いの繁華街に行くと、大小様々な形の提灯が吊るされた店が連なっていた。店はすべて木造で、鮮やかな色硝子が嵌め込まれた戸が付いている。私の右手にある店の三階の障子がからりと開いて、中から白い腕が出てきた。長い指を上に向け、木蓮の花のようにじっとしている。そろそろ開店の時刻なのか、店内から賑やかな声がする。猫や鳥など獣の頭をした住人が、忙しなく石畳を行ったり来たりしていた。
「おや、アンタ珍しい色をしているな」
兎の頭をした男が言った。煙管を片手に、縦縞の着物を着て、紅色の羽織を肩に掛けている。
「どこから来た」
「夜の森からです。これから学校に」
「これは驚いたね」
兎頭の男は、鼻をひくひくとさせる。
「私のような者が来ることは、滅多に無いですか」
「昔はよく有ったようだけどねェ。先々代の頃かな。へェ、まだ繋がっていたのかい」
「前回は、本屋街に出ました」
「アァ、そうだろうね。今時は、そこらへんが普通だよ」
「ご迷惑でしょうか」
「イイヤ、そんなことはない。しかし、久方ぶりのことだからね。戸惑うヤツがいるかもしれねェ。それに、アンタのその色だ」
「色」
「ここは、夕刻の街だ。朝も、昼も、夜ですら来ねェ。空はずっと茜色さ。だから、アンタみたいなのは、ここじゃ目立つのさ。そんな色のヤツはいねェから。ところで、その色はアンタ元々のモンかい」
「はい」
「そうか、今日だけでも違う姿でいりゃあよかったけどな、目も髪も両方となるとなァ」
「すみません」
「いや、気にすんな。アンタも好きでここを選んだワケじゃねェ。なぁに、見世物小屋にさえ捕まらなければ大丈夫さ」
「遅刻したくはないのです」
「アァ、そうだろうね。よし、手を貸してやろう」
「本当ですか」
「余所者がこの街を迷わず歩くのは大変だ。スッと抜けれりゃ、捕まることもないだろ」
「ありがとうございます」
「なァに、先々代がやってたことをするだけさ。報酬として、アンタの目の色を貰う」
兎頭の男はそう言うと、煙管置き、一旦店に戻ると、杜若の模様の蝋燭を持って来た。店先の提灯を使って火を灯すと、私に差し出した。
「じっと見るんだ」
言われた通りにしていると、段々目が熱くなり、どろり、とした感覚がしたかと思うと、蝋燭の炎が漆黒に変わった。
「ちゃんと移ったな。ホレ、見てみな」
鞄から手鏡を取り出して覗くと、目の色が金色になっていた。
「その目がアンタを街の外れまで連れて行ってくれる」
「ありがとうございます」
「ホントは髪の色も何とかしてやりたいんだが、そうするとこっちが貰い過ぎになっちまう。俺とアンタが等しくならなきゃ、店が潰れちまう」
「いえ、これで十分です」
私は頭を下げた。
「コレでも使いな」
兎頭の男はそう言って、私に羽織を被せた。私はもう一度礼を言うと、その場を離れた。
私は下を向き、石畳の上を走る。三味線の音が絡みついてくるのが煩わしく、思わず舌打ちをした。何度も角を曲がり、そろそろ息切れしだしたころ、目の前に楼閣が現れた。これまで見たどの店よりも大きな看板を掲げ、数え切れない程の提灯を吊るしている。足の疲れで動くことが出来なくなくなり、植木鉢の影に隠れていると、店の中から男達が出てくるのが見えた。獣頭の男達は、揃いの着物を着て、二手に分かれて整列する。その動きは訓練されているかのように乱れない。しばらくすると、女が現れた。牡丹模様の着物に背の高い下駄を履いて、足を引きずるように歩いてくる。髪には幾つも簪をさし、女の歩きに合わせて、軽やかな音を立てた。顔は扇で隠しているために見えない。
しゃら、しゃら、しゃら
女が近付いてくる。私は角灯を置き、頭から被った羽織をかき合わせた。見てはいけないと思うのに、目が離せなかった。
しゃら、しゃら、しゃら
女は、ゆっりと顔の扇をずらしていく。そこに現れたのは
こんにちは
女は、優雅に笑った。
女は、黒い髪と目を持っていた。
*
私は、廊下に立っていた。
どうやってここまで来たのかは分からない。目がひどく熱い。
教室に入ると、夏目がやって来た。
「お早う。清河」
「お早う」
私は席に着いた。
「今日は目の色を変えているんだね」
私は、金色に変わった目元に手をやった。
「夕刻の街を通って来たから」
「そう。目に案内してもらったのかな」
夏目が人差し指で私の頬を撫でる。
「どうして知っているの」
「僕も前に通ったことがあるんだ。猫頭の人に助けてもらったよ」
「そうなの」
「でも、なんだか妬けるな」
「え?」
「僕以外の『目』に連れられただなんて」
「夏…」
「そんな清河は僕の清河じゃないね」
夏目は、私の首を掴んだ。
「消えてしまえばいいのに」
*
私は校門の前に立っている。
長い幻だった。そうは言っても、五分も経っていないのだから、毎回驚いてしまう。夏目はどんなものを見たのだろうか。後で聞いてみよう。
夜の日に見る幻の中の私は、確かに私なのだけれど、世界観が違うのか、時折よく分からないことを考えている。夢というのは何だろう。その日の気分で姿を変えられるようになったら便利だとは思うけれど。まぁ、幻の内容をいつまでも覚えていてもしょうがない。
私は角灯を叩き割った。硝子の破片が地面に散らばり消えていく。
あともう少しで、目の前に校舎が現れる。
*
私は、教室の前に立っている。
□を○ていたようだ。




