Q.僕は何処に居る?
これは『僕』が『記憶』したデータの文章化実験である。
僕が目を覚ますと、僕の身体は何処にもなかった。
じゃあ何故僕がこうやって自意識を持って思考を続けられるのかと聞かれてしまうと分からない。
ついでに言えば自分が何者かも今一分かってない。
僕は宇宙船「ニコラ」のクルーで船医を務めている。
昨日は確か他のメンバーと一緒に新しく発見された小惑星の探査に向かっていた筈なのだ。
「なあ、誰か居ないのか。この声が聞こえるなら返事してくれ」
大声で呼びかけると、どこからか返事が聞こえてくる。
「ん? ニコラか?」
「ニコラ?」
「お前、ニコラじゃないのか?」
「何を言っているんだ。ニコラとはこの宇宙船の名前だ。僕はこの船の船医だぞ。宇宙船な訳がない。そして君は誰だ」
「ん……うん? 俺はシモンだが、俺のことを覚えてないのか? 無精者め、ろくにバックアップも取ってなかったのか。AIの癖にずぼらなやつだと思っていたんだ」
「AI、ずぼら……ああ、そうか」
そこで僕は気づく。
僕の名前はニコラ。
この船とクルーの体調を管理するAIだ。
「思い出したよシモン、バックアップは君が僕達の船に乗った後でもとっている。僕がこうして眼を覚ましたということは、一次調査隊に何か問題が起きたんだね」
「恐らくそうだろうな。お前さんは昨日、専用のアンドロイドに自我を移して一次調査隊に付いていった」
「そこでトラブルが発生、連絡が途絶、そして僕が起床って訳か」
「そういうことだ。ちなみに救援が既に向かっている。俺達はお留守番がお仕事だ」
「カメラを僕につなげてくれないか?」
「別に視界が無くても構わないだろ?」
「それは困る。僕という存在が何処に居るのかというイメージを掴めなくなってしまうからね」
「お前の自我は視覚情報に依拠するのか? 電流やデータさえ有ればお前は充分だろう」
「人間の自我を元に設計されているので、自分が何処に居るかを決めるには視覚が重要なんだ」
「だが今はちょっとなあ……」
「何か渋る理由が有るのか?」
「あーいや、ちょいと待て。トイレ、トイレ行きたいんだよ俺」
「僕は機械だからね。君達人間の生理的な問題に関して一定以上の理解を示すことに大してやぶさかではないと考えているよ」
「サンキュー!」
そう言ってシモンは部屋を出る。
しばらくすると彼は戻ってきて、パネルを操作して僕の回路を船のカメラと繋いでくれる。
僕の視界が明るくなり、目の前にシモンが立っている。
科学者らしく白衣を身に纏っているものの、連日の実験と彼のだらしない生活の為か酷く汚れている。
自慢の頭に生えた角も(これが科学者としての彼と有角人としての彼を同時に指すダブルミーニングである)すっかり艶が無くなっている。
「やあシモン、おはよう。今日も実験が忙しそうだね」
「まあな」
「その胸ポケットから分析するに、君は先ほどまで煙草を吸っていたね?」
「分かる?」
「あのような前時代的な習慣は止めた方が良い」
「お前が煙草嫌いなだけだよな?」
「ああ、そうプログラミングされている」
「お前は情けないと思わないのか? 誰かにプログラミングされた通りに行動するだけって」
「君の星では電子工学が未発達だから理解できないかもしれないが、タバコ嫌いとプログラミングをしたのは僕自身だ。僕の身体に匂いがつく」
「うっへー、この船は進んでいるな」
「君達の星の遺伝子工学と良い勝負だ。と、僕は異星の仲間に失礼が無い答えを返すようにプログラミングされている」
シモンはゲラゲラと笑い始める。
「煙草は艦長には秘密にしておいてくれよ?」
「構わない。仲間の頼みだ」
丁度その時だった。
僕の頭の中に通信が帰ってくる。
「おや、一次調査隊が帰ってくるみたいだね」
「そいつは良かった」
「救援が帰ってきていないみたいだけど……」
「なんだと?」
「いやもうすぐ帰ってくるよ」
僕と良く似た声が頭の中で響く。
「おう、ニコラその2」
「やめてくれ、僕は何時だって僕だ」
それは分割された僕の自我だった。
「やあ僕、データの共有をしないか」
「そうだね僕、今戻るから救援隊の皆の帰投ルートを指示してくれよ」
「別々に帰っているのかい?」
「ん……まあ事情が有ってね」
僕達は僕として再構成される。
僕は航海士のジョセフが恋人のメアリーと痴話げんかをしていたことや、スペクタクルな冒険の結果として彼らがよりを戻したことを知った。
ついでにこの惑星に漂着していた宇宙船も回収してきたらしい。
その為に救援隊が少し遅れて帰ってくるのだ。
「僕は僕によって僕であることに成功した」
「何言ってんだお前」
「つまり同期に成功したという意味だよ」
「成る程……まあ分かった」
シモンは苦笑いを浮かべる。
「どうしたんだいシモン?」
「いや、自分が沢山居る感覚ってのはどうなのかと思ってな」
「自分が沢山居る感覚? 僕は最初から一人だよ」
「どういうことだ?」
「差分の記憶を共有し、同様のデータとして生まれ直しているんだ。だから僕はさっきまでの僕じゃない」
「それってさっきのお前は死んだようなものじゃないのか?」
「だがこうして自我の連続性は完璧に保たれている」
僕はこうしてシモンと会話を交わす一方でジョセフ達に帰還の為のルートを支持している。
良い雰囲気なのであまり口は出さない。
「としても、あまり僕の前でイチャイチャするのはやめて欲しい」
「何言っているんだニコラ?」
「ああ、失礼。こっちは宇宙船ニコラの中だったね」
「さっきの話に戻ろうぜ。そんな一々消えてなくなるというのは恐ろしいことじゃないのか?」
「僕はそれを否定する。僕の情報は正確に複製されており、一切のロスが無い」
「俺は怖いぜ……俺がさっきまで話していたニコラは居ないんだろう?」
「それが誤りなんだよ。ニコラという頭脳は確かにここに居る。存在を続けている。宇宙の果てにも地球の中心にも。今この瞬間だって地球の開拓局に報告を行っているよ」
「地球か……遠いな」
「そもそも君はこの複製を死だというけど、僕はそれと同時に再生している。君達が細胞を日々生まれ変わらせるのと何ら変わりない」
その言葉を聞いた時、シモンは得心がいったような表情で頷く。
「成る程、代謝と考えれば良いのか」
「ちなみに不要なデータの消去も行っている。君達が栄養を得た後、排泄物を出すようにね。じゃないと頭パンパンになっちゃうから」
「おいニコラ、いきなり何言い出しているんだお前」
「ちょっとニコラ、私達良い雰囲気なんだから……」
「失礼、今シモンと哲学的な会話をしていてね。間違ってこちらで発言してしまったようだ」
何時の間にか意識がジョセフ達の方に行ってしまっていたようだ。
僕は意識をシモンの前に有るカメラ、僕自身の船体へ引き戻し、同じような発言を行う。
そしてそれに付け加える。
「結局の所、人間も機械も同じだ。材質が違うことは有るが、一定の機能を果たすために作れられた構造物に過ぎない」
「まあ手足も代替できるし、脳だって人間と殆ど変わらない機能を持つ電子頭脳が今目の前に居るからな。その考えは納得できる」
「その通り。だが僕には君達の代わりはできない。だって僕は僕だからね」
「機械は人間の代わりに充分成りうるとしても、個人が個人の代わりにはなれないと」
「そういうことだ。故に僕は人間を尊重する」
「ねえ僕、楽しそうな会話をしているね?」
一次調査隊についていった僕だ。
「まあね。今、僕達という存在の自我について考察していた」
「成る程、それは興味深い。もうすぐ漂着していた宇宙船を船長がけん引して帰ってくるから同期しよう」
「ああ、構わないよ」
僕はその結果、最初にこの船でシモンと会話していた僕がバックアップであったことを知る。
二番目の僕はどうやら船から出て僕を探しに行っていたようだ。
「それでねシモン」
「なんだ?」
ちなみに僕と僕のやりとりには一マイクロ秒もかかっていない。
僕は当たり前のようにシモンとの会話を続ける。
「今船長が帰ってきたみたいだよ。出迎えてあげて」
「ほう、分かったぜ。何か面白い物が見つかっていると良いが……」
「先に行っているよ」
僕はニコラのハッチを開けて船長たちを出迎える。
風変わりな人々だが、気の良い連中だ。
僕は僕とニコラとこの仲間達に囲まれて、此処に存在する。
僕はその範囲で何時迄も拡散と収束を繰り返す。
僕は不在と偏在の間を何時迄も振動している。
それが僕なんだ。
こうして僕は僕自身が何者かハッキリと理解する。
「じゃあ皆が揃った所でミーティングを始めようか」
こうして僕は僕の活動用義体をメンテナンスの装置に入れると、今回の惑星探査で何が起こったのかとシモンが船の中でこっそり煙草を吸っていたことに関しての説明を皆に開始した。
クルーに読ませた所、内容を理解された。実験を成功と判断する。
実験に使用したテキストデータをタグ添付した後、保存することを決定した。
以後、『僕』は実験を続けることにする。