第十六話 始まり 前編
静岡県某所、夜11時。
(ついてない…。今日はまったくついてない…)
その時、渋沢和己はそう心の底から感じていた。
今、和己は得体のしれない何かから逃げていた。「それ」が、目の前に現れたのはちょうど10分ほど前。いつものように、「遊び相手」を物色していた時であった。
和己には特別な力があった。もっとも、それは生まれつき持っていたものではなく、上司からもらったあるモノによる能力であったが。そのモノとは、上司たちの間では「呪物」と呼ばれていた。
「呪物」は、和己に催眠術のような能力を与えた。他人を一睨みして命令を送ると、その人間はその命令の通りに動くのだ。和己は、その能力によって、さまざまな店舗でタダで物を手に入れたり、気にいた女を手当たり次第に犯したりしていた。そして、今日もいつものようにそこいらの女を物色して、弄ぼうとしていたのだが…
(まさか…。俺のやってることが組長にばれたんじゃ…)
和己は、そう考えて冷や汗をかいた。上司からこの呪物をもらったとき、「あんまりこれで遊ぶな」と釘を刺されていたのだ。あんまり手広く遊びすぎたから、始末されるのではないかと考えた。しかし、
(あんな奴ら、見たこともない…。どう見ても子供だし…)
そう…。今自分を追いかけてきているのは、少年少女の3人組だった。あんな連中は組でも全く見たことがなかった。
そう考えているうちに、和己は路地裏に追い詰められてしまった。目の前に、3人組が現れる。
「もう、逃げても無駄だ…」
そう、3人組の中で最も年下に見える少女が言った。
「く…何なんだお前ら! なんで俺の呪物が効かない?!」
…そう、目の前の3人組には呪物の催眠が効かないのだ。初めて呼び止められた時、一度使っていたのだが、彼らには何の効果も発揮しなかった。
「はん! それは対一般人用の術具だぜ。そんなのあたしらに効くわけないだろ!」
3人組の中で、一番気が強そうな目をした、ショートカットの少女がそう言った。
「一般人? …なんなんだよ前ら!」
和己には訳が分からなかった。自分は、どちらかというと一般からかけ離れた人間であったはずだ。なぜなら…。
「お前ら! どこの組のもんだ?! 俺に手を出せば、松羽組が黙っちゃいねえぞ!!」
そうだ。自分は賢誠会松羽組の人間だ、自分に手を出せば組の者たちが黙ってはいないはずだ。その言葉に、一番年下に見える少女が言った。
「…指定暴力団・賢誠会松羽組。お前はそこの構成員の一人だったな」
「ああそうだ!! …で? 俺をどうするって?」
和己は勝ち誇った様子でそう言った。しかし、少女は…
「それがどうした」
「な?!」
意外な答えを返した。和己は素っ頓狂な言葉を返す。
「…てっ、てめえら。俺が怖くない、の、か…」
和己は狼狽えながらそう言った。それに対し、
「わかんねえかな?! あんたのその組とやらは、もうなくなるんだよ!」
ショートカットの少女がそう言って笑う。まさか、そんなことが…
「ば、ばかなことを言うな! 組がなくなるだって?!」
自分のいる松羽組はそれなりに大きな組だ。それに、その上には大本の賢誠会が君臨している。警察だって手を出すのをためらうほどの組織なのだ。
「残念だが…お前たちは、少々我々の世界に足を踏み入れすぎた。そうでなければ、我々も手を出すことはなかったが…」
一番年下に見える少女が、冷たい目でそう言う。和己は、まるで死刑宣告を受けてるかのように身が震えた。
「ま、まて…あんた…何なんだ? 何者なんだ?」
和己はそれだけを震える口で言った。それに対し少女は答えた。
「我々は…、播磨法師陰陽師衆・蘆屋一族に所属する、正式な陰陽法師だ…」
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今日も、賢誠会松羽組の事務所で、組長・後藤恒弘は顔をしかめていた。
なぜ、顔をしかめなければならないか。…それは、目の前のこの男「加藤」が、いつも強烈な香水を頻繁に自分に振りかけているからだ。加藤は、会話の最中であっても、気が付いたら香水を振りかけている。何かの病気であるかのように。
「それで、今日はどのような用向きで、いらしたのですか?」
「は、はい…きょう、わら、私が来た、の、は…」
加藤は極めて滑舌が悪い。聞き取れないような言葉を発することも頻繁にある。しかし、恒弘はそれをとがめることはない。なぜなら、彼は大切な取引相手なのだ。
「…とり、とり、取引…」
「次の取引の日時ですかな?」
恒弘は、そう言ってカレンダーを見た。しかし、
「と…、ち…違う…ち、取引」
恒弘は訝しんだ。取引の日時を決めに来たのでなかったら何の用なのだろう?
「もう…でき、ない…取引」
「!!!!」
加藤のその言葉を聞いて、恒弘は仰天した。
現在、賢誠会松羽組にとって加藤との取引は、最も重要なものである。その取引のブツとは「呪物」であった。
「呪物」は、いわゆる拳銃などと違って、法的に取り締まられているわけではない。その上、効果は拳銃以上のものがあり、彼らがいろいろ厄介ごとを解決するのに役に立っている。
「な、なぜいきなり?! どういうことですか?」
「お、お、前た、ち…す、こし、て、広くやり、す、ぎた…」
「そ、それはどういう…」
恒弘は席から立ち上がって言った。
「…て、回った…。すぐ、くる…」
「?」
どういうことだ? 恒弘はそう考えた。手が回ったとは…。警察が「呪物」に関して動けるはずがない。
それに、加藤は「すぐ来る…」と今言ったのか?
「いったい何が来るというのです? 警察?」
「け、いさつ、違う。あ、しや…」
「あしや?」
…と、それだけ聞いたとき、いきなり事務所の扉が大きな音を立てて開かれた。
「組長!!!」
そう叫びながら扉を開けて現れたのは、組の幹部・柏木だった。
「なんだ、柏木?! 今大事な話の最中…」
「…大変です! 事務所の玄関に変な3人組が!!!」
「…なに?」
いきなりなんだというのか。その時、いくつも修羅場を潜り抜けてきたゆえのカンが働いた。
「!!! まさか?! 加藤さん!」
恒弘はそう言って加藤を見る。加藤は頷いた。
「そ、いつ…、あし、や」
どうやら「あしや」とやらが、組に襲撃をかけてきたらしい。その目的はおそらく「呪物」。だから、加藤はもう取引できないなどと言ったのだ。だが…。
恒弘は伊達に組長を名乗っているわけではない。いきなり「取引しない」と言われて、「はいそうですか」とは言わない。
「その、あしやとやらを返り討ちにすればいいんでしょ? そうすれば取引も問題ない…」
「…」
加藤はその恒弘の言葉を黙って聞いている。
「ふん…。どこのだれかは知らんが。組にたてついたらどうなるか思い知らせてやる」
そう言って恒弘はにやりと笑った。




