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LR  作者: 土屋信之介
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エピローグ

 母親の殺された事件のことで翔太が知っていたことは、風本恭介が犯人だったということだけだった。この男のことは、翔太はよく覚えていた。母親に虐待されて、苦しんでいた時にギターを教えてくれた人だった。だからこそ、彼が母親を殺したという事実をずっと信じ切ることが出来なかった。

 彼に一度だけでも会ってみようと思ったのは、彼の刑罰が無期懲役と確定した高校生の頃だった。会わなきゃ何もわからないんじゃないかと思ったのだ。でも、なかなかふんぎりがつかず、それ以来、ずっと迷っていた。それは、これまで謝罪の手紙は何度か受け取っていたものの、やはり赦すことが出来ないという気持ちが心の片隅にあったからだった。

 ようやく彼に会おうと決意したのは、結婚して、妻の妊娠を知ったことがキッカケだった。風本恭介の従兄妹である妻、芽依がかねてからずっと彼との面会を希望していたのだ。芽依は、翔太に母親から虐待された過去や、その母親を殺された過去があることを唯一受け入れてくれていた人だった。だからこそ、翔太はこの人となら幸せな家庭が築けるのだと信じていたし、彼女の願いを叶えてあげたかった。

 ただどんなに会いたいと願っても、風本恭介自身がこれまで弁護士と父親を除いて誰の面会も受けつけてこなかった。特に芽依に対しては「今はまだ合わせる顔がない」とだけ言い続けもう何年も面会拒否が続いていた。

 翔太は、どうにか風本恭介と面会出来ないかと、ヤン・ウェイという風本恭介を支援している弁護士に連絡をとった。ウェイは、恭介からの謝罪の手紙を何度も翔太に送ってくれた人で、翔太と同じく、恋人を風本恭介によって殺された人だった。彼女は、現在刑務所にいる風本恭介が面会を許可している唯一の人物だった。そして彼女は、風本恭介が人を救い、かつ人を殺せるという特殊能力を持っているという事実を社会に訴えている人でもあった。翔太には、ウェイが言っていることが何となく理解出来た。世間的には眉唾物の話として受け流されて、彼女の話は無視されていたが、彼女が語る風本恭介の特殊能力の描写は、翔太が遠目で見た記憶の断片と合致していた。

 

 ヤン・ウェイとは、彼女の家の近くの喫茶店で芽依と二人で会った。三十半ばくらいの彼女は、三歳になる息子を育てているということだったが、その割には、生活臭を感じさせない印象があった。ただ首筋にある蜘蛛の焼印がやけに目立って気になった。翔太は、自分と風本恭介とのいきさつを覚えている限り詳しく彼女に話した。芽依も風本恭介との思い出をたくさん語った。真摯に話を聴いてくれたウェイは、そのうちに世間には知られていない恭介の境遇と逮捕されるまでの軌跡を語り始めた。両手の能力の話は、彼女がインタビューされたネット記事にも書いてあったから知っていたが、ビックリしたのは、彼がその後政府筋の組織に暗殺者として雇われていたという話だった。

「恭介が連続殺人犯として訴追されたのは、組織の入る前までのものだけ。それ以降、彼は組織の命令で、様々な重要人物を救い、その一方でいわゆるサイコパスと呼ばれる社会不適合者を次々に殺しているけれど、現行犯で捕まったはずの最後の事件も含めて、すべてなかったことになっているの。わたしがその事実を発信しようとしても、メディアは絶対に取り上げないし、ネットでもすぐに全部消されちゃう」

 ウェイは微かにため息をついた。翔太は、そのネガティブな言葉とは裏腹に、彼女の瞳はまだ輝いていて「絶対に諦めないぞ」といった強い意志のようなものを滲ませていることを自然に感じ取る。

 翔太は芽依とともに自然とウェイと恭介との思い出話を続けた。恭介のことを実際によく知っている人しかいないからこそ、これまで誰にも喋ることの出来なかった話をすることが出来た。

 話をしていく中で気が付いたのは、そこにいる全員が恭介に対する怒りや恨みの感情よりも、むしろ懐かしさや親しさといった感情の方を強く持っているということだった。正直翔太にとっては、自分自身の中に眠っていたこの感情の発見は驚きだった。被害者遺族というレッテルを貼られ、恭介を恨むことが正義だと思わされてきた自分に、そんな感情があるとは思ってもみなかった。翔太は、今感じたことを素直に芽依とウェイに話した。ウェイは自分の息子に向けるような微笑みを翔太に向かって見せると「彼と会っていたときのことをもう一度、よく思い出してみて。そのとき、あなたが恭介をどう思っていたかを」と促してきた。翔太は、言われた通りに、もう一度思い出してみる。

「母が殺された時のことは、正直あまりにショック過ぎて断片的にしか覚えていないんです。その代わりよく覚えているのは、その前の光景です。ぼくは『母を捜してくるから待ってろ』と風本恭介に言われ、一人で席に座ってサッカーを観ていたんです。でも、周りが興奮して騒げば騒ぐほど、どんどん寂しくなっちゃって、彼を追ってスタジアム中を駆け回った。あのとき、ぼくはどうしてぼくのお母さんは、ぼくのことを憎いんだろうって思っていた。そして間違いなく、母よりも風本恭介を求めていた」

 翔太は思いもしなかった言葉が、自分の中からスラスラと出てきたことに動揺した。ウェイは、そんな翔太を慈しむような目で見ていた。隣に座る芽依は手袋をした手で翔太の震える手をギュッと握りしめる。翔太は少し恥ずかしくなったものの、思い切って今感じている本当の気持ちを話し続けた。

「正直、子どもが生まれてくることが怖いんですよ。虐待されて育った子どもは、大人になったら、生まれてきた自分の子どもに虐待をするって、よくいうじゃないですか。自分はそうじゃない、そんな風にはならないって思っていても、一体どうやって子どもを愛せばいいのかがわからないんです。風本恭介をまったく恨んでないかといったら、それは嘘になると思います。ただぼくが一番苦しんでいたあの時、ぼくに手を差し伸べてくれたのは、彼だった。ぼくは彼にどうして母を殺したのか、その訳を訊く気はありません。でも、どうしてあのとき、ぼくにギターを教えてくれたのか、それを訊きたい。そして、妻のためにも彼に会いたい」

 翔太の言葉の言葉を聴いたウェイは、二人に会うよう風本恭介を説得すると言ってくれた。


 刑務所への面会の申請は、数週間ばかりで無事に下りた。恭介は、迷うことなく面会に応じてくれたのだという。翔太と芽依が結婚したこと、そして子どもが生まれてくることを話したら、恭介の方から今こそ二人に話さなくてはいけないことがあると言い出したという。

そしてそれから数週間後に恭介との面会が実現した。

 梅雨の真っただ中で行われた面会の日は、朝から小雨が降っており、湿度も高くジメジメとしていた。面会自体には同行しないものの、ウェイがわざわざ近くまで一緒に来てくれた。面会の後、気持ちが浮き沈みするかもしれず、そのときに備えて近くの喫茶店で待っていてくれるというのだ。翔太は芽依とともにウェイの気遣いに感謝しながらも刑務所の中に入って行く。そして、書類を書き、荷物をロッカーに預けてから、面会室に通された。指定された席に座っていると、しばらくして囚人服を着た風本恭介がアクリル板越しに現れた。髪の毛だけは真っ白になっていたものの、その風貌は翔太の記憶と大して変わっていなかった。ウェイから聞いていた通り、彼の両手にはもう手袋ははめられていなかった。

「久しぶりだね。二人とも大人になった……」

 十数年ぶりに目の当たりにする恭介に、翔太は何を喋ったらいいのかわからず、心臓の鼓動が強くなるのを感じながら、ただ視線を泳がせるばかりだった。それは芽依も同じで、彼女は感極まった様子でただ涙を流している。そんな状況をすぐに察したのか、恭介の方から口を開いた。

「来てくれてありがとう。そして、まずは謝らなきゃいけないね。まずは翔太から。君のお母さんを殺してしまって、本当に申し訳ございませんでした。弁護士を通じて何度か手紙は書いて送ったんだけれど、やっぱり面と向かってちゃんと謝らないといけないと思います」

 そう言って、もう一度深々と頭を下げる恭介を見ているうちに、翔太はやるせない気持ちになっていく。謝られることは、最初から想像していたが、実際にそれを目にすると、やはり母がいなかったそれまでの孤独な日々が思い出されてきて、腹が立ってきた。

「そして芽依……これまで何度も面会を断ってしまって申し訳ありませんでした。とても嬉しかったんだ。芽依が変わらずオレのことを想ってくれていたことが。でも正直、合わせる顔がなかった。君に対して言うべき言葉がずっと見つからなかったんだ……」

 そして俯き加減になる恭介に、芽依は「大丈夫、大丈夫だよ」と語りかける。

「ずっと寂しかった。お兄ちゃんを恨んだこともあった。わたしにも悪魔の能力が受け継がれてしまっていることもわかったしね。でも、わたしは翔太を一緒に居られて今とても幸せだから」

 嗚咽を繰り返しながら必死に言葉を紡ぐ芽依を見ているうちに、翔太は憎しみとも苦しみともいえない自分でもどうにも説明がつかない感情が湧き上がってくるのを感じる。

「子どもが生まれるんです。でもぼくは正直、怖い」

 その感情を圧し堪えるように、翔太は切り出す。

「一つだけ、教えてくれませんか。あのとき、あなたはどうしてぼくにギターを教えてくれたんです? ぼくが可哀想だったからですか? それとも他に理由があるんですか?」

 ぶしつけな翔太の問いかけに、恭介は一瞬驚いて言葉を失いながらも、しばらく考えてから「たいした理由はないよ」と答える。

「ただオレと同じで、君が孤独だったからかな。オレはあの時、君にギターを教えることで救われていた」

 思いがけない答えに、翔太は動揺した。同時に一人の人間として対等に認めてもらえていたことに、小さな喜びを感じた。

「もう一つ訊いていいですか」翔太は無理にポーカーフェイスを作ったまま続ける。

「ウェイさんから、あなたがその時属していた組織を裏切ってまでして、政治家の饗庭将人を救ったと聞きました。あなたはそのときの自分の選択に後悔していますか?」

 饗庭将人は、恭介に救われてから数年後に総理大臣になった。彼はいくつかの社会保障を充実させたものの、その一方で、保守勢力を宥めるために政府の力を強める事もたくさんし、最後には女性問題が絡んで、一年足らずで辞任した。彼は恭介の持つ能力の存在も、自分が救われたことも公的には何も発していなかった。

「後悔も何もないよ。彼がその後どういう人間になったのかは知っている。でも、それは彼が選び、行動した人生だ。ぼくは、自分の意志で彼の命を救った。大事なのは、自分の意志でそうしたということだけさ」

 そう言う恭介の目には一点の曇りもなかった。

「今、あなたは寂しくないんですか?」

 翔太はさらに訊ねる。どうしても訊いておきたい質問だった。恭介はしばらく考えてから「五年前に父親が胃癌で死んだんだ」と続ける。

「物心がついてから、会ったこともない父親だった。オレは、刑事をやっていたその男に逮捕されたんだ。彼は、不器用に愛を語った。その言葉を聞いた時、自分は一人じゃないんだって、母が死んでから、初めて思えた。とっくにそんな感情はなくしてしまったと思っていたのに」

 それから恭介は、刑事を辞めたその父親が足しげく面会に訪れたことを語った。生まれてからの不在を許すこともなかったし、最後まで饒舌に語り合うこともなかったが、ただその父親が死んだとき、自分の存在の半分がなくなったような感覚に陥ったのだという。

「親がいなくなるっていうのはそういうことなのかもね。オレが君に言えることじゃないのかもしれないけれど」

 恭介は気まずそうな顔を見せる。

「でも、今、オレが生きていられるのは、父とウェイが足しげくここに通ってくれたからだと思う。彼らがいなければ、オレは今も世の中を恨み続けるしかない人間になっていた」

 呟くように語る恭介の表情は、微かに微笑んでいた。翔太は、彼のそんな表情を見ているうちに、心が鎮まっていくのを感じた。

「今だからこそ、わたしたちに話したいことって?」

 芽依が改めて恭介に訊ねる。恭介は姿勢を正し「そうだね。ちゃんと話さなきゃいけないね」と応える。

「饗庭さんを救った後、突然悪魔が現れたんだ。赤い肌をしたとても巨大な奴だった。ヤギのような角が生えていて、一目見てこちらが凍りつくくらい残忍な風貌をしていた」

 それは翔太も芽依もウェイから聞いて知っていた話だった。その場にいたウェイによると、茫然自失としていた恭介はただそのことだけ口にしていたという。

「契約を破棄したっていう話ね」芽依が恭介の言葉を補足する。

「ああ、オレが愛を理解したから契約が破棄になったってそれだけ言って、いきなり消えたんだ。でもずっと解せなかったんだ。だってオレには愛を理解した自覚なんて全然なかったから……」

 恭介は視線を遠くに向けてから「それからずっと考えていたんだ」と続ける。

「最初は同じ能力者を殺したからだって思ったんだ。でもそのうちに、オレが殺したその能力者は、同じ能力者である父親を殺していたってことを思い出した。だからそれが理由じゃないってことはわかった。そのあともオレはずっと考え続けた。そのことがちゃんとわかれば、芽依のことを救えるかもしれないって思っていたから……」

「それでわかったんですか? それがわかったから、それを教えるためにぼくたちに会ってくれたんですよね?」

 翔太は身を乗り出して訊ねる。

「……おそらくオレに愛を理解したという自覚がなかったってことがすべてを物語っているんだと思うんだ」

 恭介は二人を見据えて語り出す。

「兄のように慕っていた人間ではなく、饗庭さんを救おうって決めたとき、ただ自分の中にあったのは、自分自身への憐憫ではなく、饗庭さんがこれからの社会に必要なんだっていう願いのようなものだった。あのときオレは、自分の心を救うためじゃなく、ただひたすらに少しでも世の中が良くなればいいって、それだけを想っていたんだ。悪魔が口にした〝愛を理解せよ〟って言葉は、いかに純粋な気持ちで他人や社会そのものを思いやれるかってことなんじゃないかと思う。どんなに人を本気で愛したといっても、自分のためだけに他人を愛する人は絶対に幸せにはなれない。お互いの痛みを分かち合い、お互いを慈しむことによって、人は初めて人を愛することの意味を知るんだ。単純な話だけれど、愛とはそうやって互いに信頼することなんだと思う」

 恭介はその澄んだ瞳を翔太に向ける。

「生まれてくる子どもには、自分の弱さを素直に話してあげればいいんじゃないかな。何かを伝えなきゃって焦るのではなく、一緒に悩み、一緒に話し合ってお互いにどうすることがいいのかを考える。たぶん、それだけでいい。そうやって素直になることが、自分にも幸せをもたらすんだってことを教えてあげればいいんだ」

 そのとき係の人間に、面会時間の終了を告げられた。ただ全身の力が抜けたような感覚に陥った翔太は、その言葉を聴きたいがゆえに自分は今日、ここに来たのだと思った。芽依も満足した顔をしている。芽依のそんな顔を見ているうちに翔太はふと「ぼくの命を救ってくれてありがとう」と自分でも思ってもみなかったことを口にしていた。

「芽依の能力は、ぼくが絶対に発動させない。ぼくたちの子どもにもしも遺伝していたとしても、ぼくが絶対に発動させません。今、あなたが言ったように、ぼくがしっかりと手を取り合いますから」

そして翔太は強く宣言する。恭介は「君たちなら大丈夫だよ」と言って微かに笑った。


 将太と芽依は面会時間を終えて、刑務所の外に出た。さっきまで降っていた雨が止んでいた。見上げると、雲で覆われた空の先に少しだけ光が差していた。翔太はふと、どんな能力があったとしても恭介も芽依も自分と変わらない一人の人間なのだと思った。恭介の微笑みが、目を瞑ると今でも頭の中で何度も過ってくる。その残像を振り払うかのように、翔太は手袋をした芽依の手を握ってゆっくりと歩き出す。太陽の光が彼の歩く先を照らしていた。その道を歩く中で、翔太は、光という文字は素敵だなと感じた。翔太は立ち止まる。

「どうしたの?」芽依が顔を覗き込んでくる。

「光って名前はどうかな? 男の子でも女の子でも」

 翔太は少し恥ずかしそうに芽依に言う。芽依は笑いながら「いいと思うよ」と答えた。翔太は、生まれてくる子どもを自分の力の限り愛したいと願った。せめて、その姿が自分と同じような立場の他の誰かの小さな希望になれたら、と。翔太は芽依の手をさらに強く握りしめて再び歩き出す。太陽の光が辺りに広がり、雨が残した雫をキラキラと輝かせていた。そして、翔太は目の前の光景に見て笑顔になる。

「空を見てごらんよ。君が大好きな虹が見える」

 翔太ははしゃいた声で芽依に教えた。


〈了〉

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