第22話 勧誘と修行前
ーーーー 死神の加護 ーーーー
放課後。
いつもの図書館。
外は冷え込み始め、吐く息が白くなるほどではないが、冬の匂いが混じっている。
だるまストーブの赤い灯が、静かに揺れていた。
灯油の匂い。
ぱちぱちと小さな燃える音。
その前に、クロネコがちょこんと座っている。
「寒いニャ……」
猫みたいに手を擦り合わせる姿は、どう見ても神には見えない。
「とりあえず、全属性の魔素を解放する気なのは分かったニャ」
ジュースをすすりながら言う。
「だがニャ、仲間にはなれないニャ」
空気が少しだけ冷える。
「なぜだ?」
タカミザワが即座に問う。
「神には、現世に干渉してはならない暗黙のルールがあるニャ」
クロネコはストーブの火を見つめたまま続ける。
「破れば、上位の神に消されるニャ」
消される。
軽く言ったけど、その言葉は重かった。
「……なぜ、現世に来る?」
タカミザワの追及。
「死神は“魂の回収者”ニャ」
指を立てる。
「魂を回収し、循環させ、新たな生命の芽吹きへと繋ぐ」
「回収されない魂は、悪霊や悪魔になるニャ」
それは仕事であり使命だ。
そこに、ミロク達の都合は関係ない。
静寂。
そしてタカミザワが、ふっと話題を変える。
「次は契約の話だ」
ドクン。
心臓が跳ねた。
「そうニャ!契約ニャ!」
クロネコがミロクを指差す。
「最初から知っているよ」
タカミザワの視線がミロクに向く。
「砂浜での修行の時だろ?」
バレていた。
「常に鑑定魔術は使ってる」
メガネをトントンと叩く。
「加護契約だな?内容は?」
タカミザワがクロネコに問う。
「加護は“即死無効”。目的は魂の成熟と回収予約ニャ」
さらりと呟き、
ジュースをストローで吸う音。
「つまり、即死しない代わりに、死後は確実にお前のところに行く」
「話はわかった」
「お前と契約すれば、即死無効が手に入るんだな?」
タカミザワが整理する。
ゴホッ!
クロネコがジュースを吹き出した。
「話聞いてたかニャ!?死んだら魂を抜くニャよ!?」
だが、タカミザワは動じない。
「どうせ遅かれ早かれ、魂は死神の管理下だ」
「ならば今、即死無効を選ぶ」
迷いのない目。
クロネコがじっと見つめる。
「……変わったヤツだニャ」
少し間。
「だが、契約者が増えれば、ニャーの格も上がるニャ」
黒い霧が広がる。
《加護契約》
足元に、黒い光の円。
冷たい感覚が足裏から駆け上がる。
《契約成立》
霧が晴れる。
胸の奥に、薄い膜のような感覚。
死が、少し遠くなった気がした。
「仲間ニャならニャいが、ついて行くことはあるニャ」
「魔法は今度教えてもらうからニャ。その時はよろしくニャー」
あくびしながらヒラヒラと手を振り、
クロネコは図書館を出ていく。
静寂。
ストーブの音だけが残る。
その時。
「アイツは戦力にはならないが、利用価値はある」
タカミザワの声。
小さい。
でも、ミロクにははっきり聞こえた。
胸の奥が、少しだけ冷えた。
タカミザワは、
クロネコを利用しているのか。
それとも、
利用されているのは――
"こっち"かもしれない。
ストーブの火が、静かに揺れた。
ーーーー 桜花流と修行 ーーーー
寒風が吹く冬の季節。
木造の道場の外、竹林に囲まれた庭には霜が降りていた。
池の水面は冷えきり、鯉たちの動きも鈍い。まるで長い眠りにつこうとしているかのようだった。
「そろそろ、雪が降りそうだな」
羽織を肩に掛け、道場の外に立つ男が空を見上げる。
スコールの父――シンだ。
その背後、木の引き戸越しに、道場の中から木刀のぶつかる乾いた音が響く。
中ではスコールと姉のサクラが、実践形式の試合をしていた。
サクラはスコールの一つ年上。小学二年生。
歳の差はわずかだが、体格にも経験にも差がある。
二人の間に、静かな緊張が張り詰める。
——勝負。
居合の構えのスコールが、すり足で間合いを詰める。
中段構えのサクラは、一定の距離を保ったまま様子を伺っていた。
道場は静まり返っている。
その静寂を破ったのは、サクラの踏み込みだった。
畳を踏む鋭い音。
腕をしならせ、まるで鞭を振るうような動作。
そこから放たれた一撃。
いや——
木刀が、伸びた。
物理的に。
凄まじい速度の突き。
スコールは寸前で身をひねり、それをかわす。
だが、攻撃は終わらない。
伸びた木刀が一瞬で戻り、すぐに次の一撃が放たれる。
伸びる連撃。
スコールは呼吸を整え、意識を集中させる。
攻撃を回避しながら、少しずつ前へ進む。
やがて——
スコールの間合い。
瞬間。
サクラの攻撃が、畳に突き刺さる。
好機。
スコールは迷わず踏み込んだ。
居合切り。鋭い一閃。
だが、サクラの身体が、
不自然なほど後方へ滑るように下がる。
畳に刺さった木刀。
それがまだ伸び続けていた。
その慣性でサクラは後退していたのだ。
スコールの居合切りは、空を斬った。
次の瞬間。
サクラの木刀が縮む。
その反動で振り抜かれた一撃が、スコールの脇腹を打った。
「痛ッ——!!」
スコールは悶絶し、畳の上を転がる。
その様子を、サクラは上から見下ろしていた。
汗ひとつかいていない。
「まだまだね」
鼻で笑う。
スコールは全戦全敗。
「居合切りなんて浅知恵、私には通用しないわよ」
ヘラヘラとした嫌な笑い声。
スコールは悔しそうに顔を歪める。
「伸びる剣撃……そんなのチートだろ」
「桜花流の女の特権だもんねぇー」
サクラは舌を出して挑発する。
桜花流。
女の剣士は男とは違う。
力が劣る代わりに、特異な能力を持つ。
サクラの場合、それが
「伸びる剣撃」
木刀でも刀でも、自在に伸ばすことができる。
ただし、伸ばした分だけ刃は脆くなる——
とサクラは言っていた。
だが、今の段階では
そんな弱点は感じられない。
遠くから試合を見ていたシンが、鼻で笑った。
「桜花流たる者、上段構えで戦うべきだろう?」
父は、自分の使う上段の型を誇っている。
「いい加減“滝崩し”じゃない技も教えてくれよ」
スコールは駄々をこねる。
「ダメだね。お前にはまだ早い」
シンは大人気なく言い放つ。
「それに、まだ“自分の技”を編み出せてないだろ?」
「“自分の技”って何だよ」
スコールはつまらなそうに睨む。
「文字通りだ」
シンはニッと笑った。
「技を自分で作るんだ」
桜花流は、先祖代々、
技を開拓してきた剣術だ。
「“初級剣術”も、その一つだ」
桜花流・初級剣術。
滝崩し。
上段から振り下ろす、最も基本的な斬撃。
灯籠流し。
身体を横回転させ、攻撃をかわし次へ転ずる技。
そして、
斬鉄。
刀に意識を集中し、鋼鉄すら断ち切る斬撃。
それらはすべて、蔵にあった書物に記されていた。
『桜花流門外不出之書』
しかし、
その先は書かれていない。
「蔵の書物、勝手に読んだんだろ?」
シンは言う。
見抜かれていた。
「バレてたのか……」
「当たり前だろ」
シンは笑う。
「俺もガキの頃に同じことした」
スコールはため息をつく。
「親父は、どんな技を作ったんだ?」
シンは少しだけ考えた。
「俺か?」
そして答える。
「“滝登り”だ」
スコールの目が輝く。
だが。
「まぁ、見せねぇけどな」
「桜花流は“見て盗む剣術”だからな」
シンはヘラヘラと笑った。
「それに俺は“滝崩し”しか使わない」
「桜花流は、初級剣術が一番強いからな」
滝崩し。
滝登り。
その言葉を頭の中で反芻するスコール。
「修行したいなら、祖父のとこに行くか?」
スコールは顔を上げた。
脳裏に浮かぶ。
風の神殿。暗殺者との死闘。
龍魚の消失。魔力切れ。
一対二での、ぎりぎりの勝利。
スコールの目が変わる。
「冬休みに、行ってくるよ」
その表情を見て、シンは笑った。
「いい度胸だ」
「冬休みに車で送ってやる」
「祖父は俺より厳しいぞ」
ニヤリとする。
「覚悟しておけよ〜」
その視線はサクラにも向いた。
「私はやめとくわ」
サクラは即答した。
「あいつ嫌い」
どうやら相性の問題らしい。
スコールは立ち上がる。
痛む脇腹を押さえながら。
それでも、目はもう迷っていない。
冬休み。
祖父の元へ。
さらなる修行へ向かう覚悟が、彼の中で静かに固まっていた。
スコールは静かに拳を握る。
そして——
まだスコールしか知らない。
すでに編み出している技。
その名を。
《花鳥風月》
ーーーー 法力と修行 ーーーー
スコールの修行が行われている頃。
同じ初冬の朝。
山の上に建つ古い寺、天満寺では雪が降り始めていた。
音もなく、静かに。
空から落ちてくる白い雪が、杉の枝や石畳をゆっくりと覆っていく。
その寺の奥。
岩肌を流れ落ちる滝の前に、二つの人影があった。
ミロクと、祖父の無心"ムシン"。
二人は滝に打たれていた。
冷たい水が容赦なく背中を叩きつける。
冬の山水は氷のように冷たい。
ミロクは歯を食いしばり、両手を合わせる。
「……南無……」
念仏を唱え、心を鎮める。
心頭滅却。
しかし——
まだ小学生のミロクにとって、それはあまりにも過酷だった。
「む、無理……!」
ミロクは滝から飛び出す。
震える足で岩場を降り、焚き火の前へ駆け寄る。
濡れた身体にタオルを巻き付け、火に身体を寄せる。
ガタガタと歯が鳴った。
「さ……さむい……」
今にも凍えそうだ。
その時、脳裏にムシンの言葉がよみがえる。
『自然と一体になるんじゃ』
……そんなの無理だ。
水が冷たい。
身体が拒む。
脳が拒否している。
どう考えても物理的に不可能だった。
「まだまだじゃのぅ」
背後から声がする。
振り向くと、滝から出てきたばかりのムシンが立っていた。
しかし、その顔には寒さの気配すらない。
むしろ元気そうだ。
「今日は、このくらいにしよう」
ムシンは穏やかに言った。
子ども相手には、
これでも十分すぎる修行なのだろう。
こうして、早朝の滝行は終わった。
だが、
寺の一日はまだ始まったばかりだ。
ミロクは家畜小屋へ向かう。
鶏小屋では卵を集め、
牛の乳を搾る。
牛、豚、鶏。
それぞれの寝床の藁を交換する。
それが終わる頃には、腹が減っている。
昼食を食べた後は、寺の掃除だ。
毛ばたきを使って仏像の彫刻に積もった埃を払い、
廊下を雑巾で磨く。
隅から隅まで。
寺は広い。
掃除はなかなか終わらない。
夕方になると、今度は風呂釜の火入れ。
薪をくべ、湯を沸かす。
そして夕飯。
こうして、
休日の一日はあっという間に過ぎていく。
その夜。風呂。
ミロクは父の菩薩"ボサツ"と一緒に風呂に入っていた。
湯気の中で、ボサツがふと言う。
「強くなりたいか?」
突然の言葉だった。
「え?」
ミロクはぽかんとする。
「早朝の滝行、お前がやりたいって言ったんだろ?」
ボサツがニヤリと笑う。
「俺が、式神と符術を教えてやるよ」
「式神? 符術?」
ミロクの理解が追いつかない。
ボサツは肩をすくめた。
「あぁ。“陰陽師”の力だ」
「法力ってやつだな」
湯船の中で腕を組む。
「長期の休みを取ってる。たっぷり教えてやるよ」
にっこり笑う父。
そして続けた。
「それと、お前の冬休みに合わせて祖母も来るらしい」
「お前とウルルに体術を教えるんだと」
ミロクの顔が少し引きつる。
「祖母はな……」
ボサツは笑う。
「マジで手加減知らないから気をつけろよ〜」
冗談めいた口調だが、その顔はどこか優しい。
ミロクは少し照れて、背を向けた。
「……ありがとう、父さん」
ボサツは笑った。
「感謝するにはまだ早いぞ」
「冬休みは、たっぷり修行だ」
「友達にも言っとけよ〜」
軽い忠告。
だが、ミロクの胸は熱くなっていた。
強くなれる機会。
魔法だけじゃない。
法力。
式神。
符術。
そして——体術。
もう、足手まといにはなりたくない。
ミロクは静かに拳を握る。
この冬。
自分は、変わる。
そう決めた。
ーーーー ハーフ巨人 ーーーー
冬休みまで、あと数日。
放課後の図書館。
静かな書架の間に、一人の男が立っていた。
身長、約二メートル。
小学生とは思えない巨躯。
タカミザワが呼び出した男。
ハーフ巨人——
名は西郷 隆盛。通称"サイゴウ"。
見た目とは裏腹に、彼もまた同じ小学生。
一年三組の生徒だ。
「噂には聞いていたが……デカいな」
スコールが思わず見上げる。
サイゴウは、
そんなスコール達を見下ろしながら言った。
「……なんの用だ?」
その一言だけで、図書館の空気が重くなる。
ただ立っているだけで威圧感がある。
小学生同士とは思えない身長差。
それだけで、明確な“力の差”を感じさせた。
椅子に腰掛けていたタカミザワが口を開く。
「単刀直入に言う」
静かな声。
「仲間にならないか?」
サイゴウの眉がぴくりと動く。
「仲間だぁ?」
低い声。
「面倒くさい。仲良しごっこは不要だ」
そっぽを向く。
だがタカミザワは、
まるで予想していたかのように動じない。
「これは単なる仲良しごっこではない」
その言葉に、
サイゴウがゆっくり振り向いた。
タカミザワの目は静かだった。
「お前の生まれ——」
「出生地に興味はないか?」
沈黙。
「それを、暴いてみたくはないか?」
サイゴウの目が大きく見開かれた。
だがすぐに顔を歪める。
「余計なお世話だ……」
そして、背を向ける。
「俺には、一生の恩を返さなきゃいけない人がいる」
タカミザワを睨みつけ、歩き出す。
その背に向かって、
タカミザワは静かに言った。
「ハーフ巨人」
サイゴウの足が止まる。
「強い体質の正体」
「お前の種族」
「古代の血筋——巨人の系譜」
タカミザワは
机の上に置いてあった古新聞を開いた。
「五年前」
「お前が三歳の時だ」
紙面を指でなぞる。
「居眠り運転のトラック事故」
「電柱が倒壊する際、少年“隆盛君”が電柱を両手で支え、住宅地への被害を最小限に抑えた」
淡々と読む。
「……と、書かれている」
図書館は静まり返っていた。
「今では、この地方新聞社は——」
タカミザワが新聞を閉じる。
「なぜか倒産している」
「だが、この出来事を覚えている人間は多い」
一歩、サイゴウに近づく。
「警察などの公共機関は、この話を否定」
「そして——」
タカミザワはサイゴウを見上げた。
「お前には、圧力がかかっている」
二人の視線が交わる。
「おかしいとは思わないか?」
静寂。
やがて、サイゴウが口を開く。
「……力を公にすれば」
低い声。
「親父の命が危ない」
「だから俺は、力を振るえない」
タカミザワの瞳がわずかに細くなる。
「命が保障されるのなら?」
静かな問い。
再び沈黙。
数秒。
サイゴウは小さく息を吐いた。
「……考えさせてくれ」
そう言い残し、図書館の扉へ向かう。
扉が閉まる音。
再び静寂。
サイゴウの言葉。
“親父の命が危ない”。
それはつまり——
「暗殺者、だろうな」
タカミザワの声が静かに響いた。
腕を組んでいたケイタロウが横目で見る。
「やっぱりか?」
「…どうする気だ?」
つまり——
父親を守れるのか?
そういう意味だ。
タカミザワは鼻で笑う。
「俺を誰だと思っている?」
椅子の背にもたれかかる。
「将来、偉大なる大賢者になる男だぞ?」
ずいぶんな大口だった。
だが——
妙な安心感がある。
タカミザワは複数の魔術を使える。
さらに千里眼まである。
不可能とは思えない。
「だと良いけどな」
ケイタロウは目を閉じた。
静まり返る図書館。
その中で——
ミロクとスコールが同時に手を挙げる。
目が合う二人。
タカミザワが眉を上げた。
「どうした?」
スコールが先に言う。
「冬休み、修行することになった」
続いてミロク。
「俺も体術とか教わることになった」
その瞬間。
「マジかよ! いいなぁ!」
ケイタロウが羨ましそうに叫ぶ。
タカミザワは鼻で笑った。
「逆に好都合だ」
そして淡々と言う。
「正直、貴様らは弱い」
ケイタロウの顔が歪む。
「本音を言えば、レベル上げが妥当な判断だが…」
「まぁ良いだろう」
嫌味な言い方。
だが——
事実だった。
ムッとするケイタロウ。
しかしタカミザワに反論すると、
必ず正論が返ってくる。
面倒だ。
だから、誰も言わない。
タカミザワは立ち上がり、地下書庫へ向かう。
「世間は冬休み」
振り向きもせず手を振る。
「精々、自己鍛錬に励めよ」
そのまま地下へ消えた。
ケイタロウが顔をしかめる。
「マジで嫌なヤツ」
ミロクが苦笑する。
「仕方ないよ」
「冬は神殿攻略しないって決めたし」
ケイタロウはため息をついた。
「……まぁな」
静かな図書館。
冬休みは、もうすぐだった。




