第14話 秩序
正午。
居間のテレビから、
乾いたニュース音声が流れていた。
「フロンティア西部にて、
火を纏うネズミが現れたとの通報があり――」
映像には、
焦げた草地と慌ただしく動く騎士団員の姿。
「現在、フロンティア騎士団が
未確認生物の調査を行っています」
画面が切り替わる。
「また、各地で“空に光る赤い火の粉のようなもの”が
確認されており――」
スコールは茶碗を持ったまま、
冷めた飯を口に運び冷たい味噌汁を啜る。
しょっぱい。
「最近、物騒になったわね……」
母の百が不安そうにテレビを見る。
「火を纏うネズミとか、絶対デマでしょ」
姉の桜はスマホを見ながら軽く笑う。
「まぁ、何かあっても俺が守るよ」
父の振が冗談めかして言う。
その言葉に、
スコールの視線が一瞬だけ父へ向く。
守る。
その言葉は、軽いはずなのに重かった。
スコールは肩をすくめる。
「へぇー、すげぇな」
興味がないふりをするしかない。
本当のことは、言えない。
魔法教会。
火の神殿。
フェニックス。
それらが、
自分たちの行動と無関係とは思えなかった。
昼過ぎ。
図書館の地下。
空気は冷たいが、どこか張り詰めている。
ミロク、ケイタロウ、スコールが揃うと、
タカミザワは静かに告げた。
「資料と水晶が盗まれた」
一瞬、時間が止まる。
「……は?」
ケイタロウが目を見開く。
「心当たりは?」
スコールが低く聞く。
「無いね。少なくとも、
夜から朝までの間、俺は火の神殿にいた」
タカミザワの声には
わずかな苛立ちが混じっている。
「その間に誰かが侵入した」
図書館の小窓の開いた痕跡。
床に残る、複数の小さな足跡。
「どうしよう……」
ミロクの声が小さく震える。
盗まれたものは戻らない。
静寂が落ちる。
「魔法教会……いや、第三者かもしれない」
タカミザワは冷静に分析する。
「犯人は同年代の可能性が高い」
スコールが呟く。
タカミザワが頷く。
「その線は濃厚だな」
ケイタロウが腕を組む。
「悪用されたら面倒だな」
「万が一にも、そうならないとは思うが……」
タカミザワが目を細める。
「秘密が漏れた以上、対策は必要だ」
その時。
ミロクがハッとした顔で言う。
「そういえば!最近、
“紳士服の不審者”の噂があるんだけど、
なにか知ってる?」
スコールの表情がわずかに変わる。
「……多分それ、近くのアパートに
最近越してきた奴かも」
「夜中に徘徊してるの、窓から見た」
空気が一瞬、冷える。
タカミザワが口元を歪める。
「暗殺者……だったりしてな」
背筋に氷が落ちる。
ミロクがごくりと喉を鳴らす。
数秒の沈黙。
「冗談だよ」
ニヤリ、嫌な笑み。
「やめろよ、そういうの」
スコールは低く吐き捨てる。
だが心のどこかで、否定しきれない。
外の世界は、もう変わり始めている。
そして、
敵は、思ったより近いのかもしれない。
ーーーーーーーー
夏休みの終わり。
日光町西部の山が燃えていた。
黒煙が空を覆い、焦げた匂いが町まで流れ込む。
警察と消防のサイレン。野次馬のざわめき。
「“火鼠”だってよ……」
「フロンティア西部から来たらしい…」
その言葉に、
ミロク達は顔を見合わせた。
嫌な予感がする。
山から街へ逃げた――
ならば、放ってはおけない。
街中を走る。
学校周り。海沿い。路地裏。
そして――河川敷の橋の下。
いた。
赤く燻る体毛。尾の先に揺れる炎。
火鼠が五匹。
「5匹……!? 多くない!?」
ミロクの声が震える。
スコールは静かに木刀を構えた。
「戦うしかない……」
ケイタロウも拳を握る。
タカミザワはいない。
きっと、まだ追いついていない。
火鼠が威嚇し、同時に跳びかかる。
スコールは木刀で軌道を逸らしながら詠唱。
「水よ!火鼠に狙いを定めて飛べ!
――“水球”!」
だが、速い。
火鼠は地面を弾くように走り、
水球は空を切る。
ケイタロウの拳も届かない。
「ダメだ……当たらねぇ!」
奥歯を鳴らす。
その瞬間。
火鼠の足元の影が、濃く沈んだ。
ぴたり。
五匹の動きが止まる。
「雷よ……荒れ狂う火鼠に、断罪の鉄槌を下せ!――“雷球”!」
轟音。
五つの雷光が同時に落ちる。
バチンッ――!!
火鼠は黒く焦げ、その場に崩れ落ちた。
振り向く。
そこに立っていたのは――
マルオ達。
「ま、マルオ君!?」
ミロクの声が裏返る。
その隣に立つヒヨノ。
一目惚れの相手。
胸の奥がざわつく。
マルオは静かに言った。
「やはり君たちは魔法を使うんだね」
そして、はっきりと告げる。
「魔物が出たのは、
君たちのせい…そうだろう?」
「魔法の使用を永久に止めるんだ」
「これは命令じゃない。警告だ」
スコールが舌を出す。
「それは、やだね」
マルオの手に雷光が集まる。
「俺は雷属性だぞ? お前らより強い」
視線が交差する。
スコールがケイタロウへ目配せ。
ケイタロウは、頷いた。
一瞬。
ケイタロウが走り出す。
「ケイタロウを“分析”せよ!」
ヒヨノの固有能力が発動する。
「……魔法が効かない!?」
影が足に絡みつく。
だが、止まらない。
ケイタロウは軟気を纏い、地面を蹴る。
マルオは咄嗟に詠唱。
「雷よ!立ち向かう者に攻撃せよ!――“雷球”!」
直撃。
だが――
煙の中から、無傷のケイタロウ。
「い、いかずちよぉ!!」
再詠唱。
しかし次の瞬間、足を掴まれる。
ぐるりと視界が回転し――
ドボンッ。
マルオは川へ。
「炎よ!あの男を焼き尽くせ!――“炎球”!」
アカヤの魔法。
火魔素が濃い空気を吸い込み、
強烈な炎が放たれる。
ボオォ!!
ケイタロウの服が黒焦げになる。
だが、効かない。
「や、やめてくれぇ!」
次はアカヤが川へ。
ドボンッ。
橋の上。
十文字は双眼鏡を下ろす。
影の中に立ち、狙撃銃を握っている。
だが引き金は引かない。
暗殺の許可はない。
命令もない。
ただ、静観。
残るはヒヨノ。
尻餅をつき、涙を浮かべる。
ケイタロウが一歩、近づく。
「や、やめてくれ!」
背後から、ミロクの声。
沈黙。
ケイタロウは大きく息を吐き、手を下ろす。
「もう、帰る時間だぞ」
ヒヨノは震えながら立ち上がり、走り去る。
川を見ると、
マルオが必死に溺れるアカヤを助けている。
「アイツ……かなづちだったのか……」
スコールが呟く。
「さすがに、戦いどころじゃねぇな」
二人は顔を見合わせ、川へ向かう。
敵を助ける。
それが、彼らなりの正義だった。
ミロクは、動けない。
胸の奥に残る言葉。
『魔物が出たのは、君たちのせい』
本当に……そうなのか?
夏の終わりの空に、
火の粉のような赤い粒が漂っていた。
ーーーーーーーー
夏休みが終わった。
体育館の天井からぶら下がる
巨大な扇風機が、だらしなく回っている。
校長の話は相変わらず長い。
誰も聞いていない。
始業式が終わり教室に戻ると、
昨日の山火事の話で溢れかえっていた。
「昨日の山火事、死者が出たってよ」
「俺、夕方に火鼠見た!」
ざわめきが広がる。
火鼠。
その言葉が、ミロクの胸を締め付ける。
――火の魔素。
――火の魔導書。
――マルオの警告。
自分たちが解いた封印。
本当に関係がないと言い切れるのか?
分からない。
正義とは何だ?
窓際の席。
ヒヨノは黙って外の風に揺れる木々を、
ただ眺めている。
前方の席では、
マルオが黙々とノートを取っていた。
まるで感情を閉じ込めるかのように。
ミロクは横を見る。
ケイタロウは机に突っ伏して、
安らかに寝ている。
……ますます、分からなくなった。
放課後の図書館、
静かなはずの空間に、鋭い声が響いていた。
「資料はすべて読ませてもらった」
マルオの声。
その正面に立つのはタカミザワ。
スコールとケイタロウは椅子に座り、
緊張した空気を見守っている。
「君たちが魔素を解放しなければ、火鼠による山火事は発生しなかった可能性が高い」
断定ではない。
可能性が高い、と言った。
そこに理性がある。
タカミザワは鼻で笑う。
「なぜそこまで因果を結びつけられる?」
「古代より存在した魔法生物が、環境条件の変化で顕在化しただけの話だ。絶滅種、マンモスが復活したようなものだな」
「マンモスと火鼠は違う」
マルオは即座に返す。
「火鼠は環境に影響を与える存在だ。実際に人が死んだ。経済的被害も出た」
図書館の空気が重くなる。
「魔法の概念は、長期的に見て不安定要素だ。もし全人類が魔法を使えるようになり、魔物が蔓延る世界になれば――国家は制御不能になる」
タカミザワは腕を組む。
「"国家が制御"できているとでも?」
「限界に近い世界経済。歪んだ国際関係。プロパガンダ合戦」
「魔法がなくとも戦争は起きる。破綻する国は破綻する」
マルオの眉がわずかに動く。
タカミザワは続ける。
「魔法教会が管理すれば平和? 幻想だ。権力が独占されれば腐敗する」
「力を持つ者が一部に固定されることこそ危険だ」
マルオは歯を食いしばる。
「違う」
低い声。
「管理があるからこそ秩序がある」
「無秩序な力は災害だ」
「今回、それが証明された」
沈黙。
図書館の古時計が、コチリと音を立てる。
「君と話しても、結論は出ないな」
「ご名答だ」
タカミザワは静かに笑った。
マルオは踵を返す。
扉が強く閉まる。
静寂。
ミロクは、立ち尽くしていた。
どちらも、間違っていない気がする。
どちらも、正しい気がする。
タカミザワがゆっくりと振り向く。
涼しい顔。
「やっと来たか」
その視線がミロクを射抜く。
「本題に移ろう」
その一言に、スコールが姿勢を正す。
ケイタロウは寝ぼけ眼のまま目をこする。
ミロクの胸は、まだざわついている。
封印を解くことは自由か。
それとも無責任か。
ーーーーーーーー
静まり返った空間。
さっきまで響いていた言葉の残響が、
まだ空気に残っている。
タカミザワが、ゆっくりと口を開いた。
「次は――“水の神殿”に行こうと思う」
唐突だった。
だが、その目は迷っていない。
ミロクは思わず問いかける。
「本当に……大丈夫なの?」
山火事。
死者。
マルオの言葉。
それらが胸に引っかかっている。
タカミザワは小さく笑った。
「大丈夫だ」
一拍置いて、続ける。
「火の魔素とのバランスを取るには、火よりも強い属性が必要だ」
スコールが腕を組み、頷く。
「それで“水の神殿”か」
タカミザワはホワイトボードに円を描き、矢印を書き足していく。
「火は水に弱く、風に強い」
「水は土に弱く、火に強い」
「土は風に弱く、水に強い」
「風は火に弱く、土に強い」
チョークが止まる。
「いわゆる属性相性だ」
円環が完成する。
「世界の均衡を保つには、バランスが必要だ」
「今は“火の魔素”と“無の魔素”しかない。だから偏っている」
ミロクは、なんとなく理解した。
火の魔素だけが増えた。
だから火鼠が現れ、山を焼いた。
もし水の魔素があれば――
火は抑えられたかもしれない。
「つまり」
ミロクが呟く。
「全部の魔導書を開けば……魔素は均衡する?」
タカミザワは満足げに頷く。
「その通りだ」
「全属性が揃えば、世界は“魔法を前提とした安定状態”に移行する」
スコールが立ち上がる。
「だったら、やるしかないだろ!」
その単純さが、今は心強い。
だがミロクの胸には、
わずかな違和感が残る。
本当に、そう単純なのか?
タカミザワは地図を素早く描き上げる。
「水の神殿は東海岸。海沿いだ」
「お前らがよく行く場所の近くだ」
スコールが紙を受け取り、にやりと笑う。
ケイタロウは机に突っ伏したまま寝ている。
「おい、起きろ。遠足だぞ」
揺すられ、ケイタロウが半目を開ける。
「……海か?」
ミロクはその様子を見つめる。
昨日まで、正義の話をしていた。
今日からまた、冒険。
矛盾している気がして――でも、止まれない。
スコールが振り返る。
「早速、調査開始だ!」
その声に、少年らしい熱が戻る。
世界の均衡か。
それとも更なる混乱か。
まだ誰も知らない。
だが確かなのは一つ。
少年冒険譚は、止まらない。
今度は――海へ。
「火は水に弱く、風に強い」
「水は土に弱く、火に強い」
「土は風に弱く、水に強い」
「風は火に弱く、土に強い」




