70話 王太子からの報せ
時は少し遡る。
それは、カイルが愛娘アイリスの誕生を予感し、アリアが第二子を身ごもったことが、夫婦の間で静かに確信へと変わり始めた頃のこと。
真冬の寒波にさらされる辺境伯領であったが、城内はアリアの調和がもたらす穏やかな循環と、カイルの制御された魔力によって、春の陽だまりのような温かさに包まれていた。
カイルは執務室で、王都からの特使が命懸けで運んできた一通の親書を、アリアと共に広げていた。
送り主は、次期国王として国政の全権を掌握した王太子アーサー。
その書簡には、王都を揺るがした大粛清の結末が、私情を一切排した王太子としての視点で冷徹なまでに詳しく綴られていた。
カイルは読み終えた羊皮紙をアリアへ手渡し、その黒曜石の瞳に安堵と、過去を断ち切った者だけが持つ静かな冷ややかさを混ぜて呟いた。
「アーサーからだ。……ついに、王都の闇に終止符が打たれた」
書面によれば、国王と王妃、そしてアルフレッド王子は、国の基盤を揺るがした汚職と、ローゼンベルク家に対する不当な呪詛の罪により、王籍を剥奪。一生涯、光の差さぬ王城最深部への幽閉が確定したという。
(もはや憎しみすら過去のものだ。私の呪いは解け、守るべき家族も得た。……これでようやく、忌々しい因縁は完全に終わった)
アリアは、かつて自分を辺境へ追いやったアルフレッドの名を見つめた。
「やはり、アーサー殿下の正義が通じたのですね。カイル様と殿下の……互いの立場を理解した上での選択が、この国の形を変えた……」
「密約というより、共通の敵を排除するための戦略的提携だ。これで王家からの理不尽な干渉は、制度としても感情としても完全に消滅した」
次にアリアの目に留まったのは、実家である侯爵家と妹リリアの動向だった。
体面ばかりを気にし、アリアを虐げていた両親は、王家との不正な癒着を問われ領地へ永久幽閉。代わって兄のゼノが爵位を継承し、侯爵家の浄化に乗り出したという。
そしてリリアは、アルフレッドとの婚約が正式に破棄された後、陰謀への直接的関与は認められなかったとして釈放されていた。
「リリアは……自由になれたのですね」
アリアが胸を撫で下ろすと、カイルはその白銀の髪を優しく撫でた。
「リリア殿は、アルフレッド殿下の偽りの言葉を信じてしまっただけで、自ら悪意を持って手を染めるような性根ではない。アーサーも、そんな義妹の未熟さと同時に、やり直す余地を正しく評価している」
そして、低く穏やかな声で続けた。
「……リリア殿が救われることは、君の心の平穏に繋がる。
それこそが、私にとって何よりも重要なことだからな」
さらに、書簡には、二人の幸福を卑劣な手段で脅かそうとした不届き者たちの末路も記されていた。
アリアの誘拐を実行したレオンハルトは、王家の権威を盾に暗躍してきた数々の罪を暴かれ、極刑に。そして、彼と共謀し、自らの虚栄心のためにアリアを陥れようとした公爵令嬢セシリアも、爵位を剥奪され、北方の修道院へ一生幽閉されることが決まったのだ。
「……これで、本当に全てが終わったのですね」
アリアが呟いた瞬間、彼女の腹部が淡い白銀の光を放った。
それは攻撃でも防御でもない、過去を浄化し、未来へ流すための調和の兆しだった。
まるで祝福するかのように、精霊や妖精の子たちが彼女の周りで楽しげに踊り始める。
それを見たカイルは、無意識のうちに、守る者としての覚悟を込めてアリアを抱き寄せた。
「アリー、君は私を救っただけでなく、この国の運命まで変えたのだ。君の調和は、辺境で愛となり、王都で正義となった」
カイルはもはや、魔力過多に怯える怪物ではない。アリアという光を得て、破壊を選ばず、守護を選べる最も満たされた男となっていた。
「我々は、次期国王となるアーサーとリリアを全面的に支援する。王都が安定すれば、この辺境の安寧も揺るぎないものとなるだろう。さあ、もう古い闇を振り返る必要はない。これからは、ルーカスと、もうすぐやってくるこの子と共に、私たちは、新しい時代を生きていく」
窓の外では春の雨がしとしとと降り注ぎ、乾いた大地を潤していた。執務室の中には、未来への希望と、二人を繋ぐ深い愛の熱だけが満ち溢れていた。




