69話 辺境伯の娘と、早すぎる独占欲
長男ルーカスの誕生からしばらく。辺境伯領が再び喜びに沸き立つ中、アリアは無事に第二子となる女の子を出産した。
その赤子は、母親から譲り受けた眩い白銀の髪と、父親から受け継いだ深く鋭い黒曜石の瞳を持つ、息を呑むほど愛らしい姫君だった。
兄であるルーカスが父の強大な魔力を受け継ぎ、それを御する術を身につけたのに対し、アイリスという存在はまた別の奇跡を体現していた。
アイリスには魔力がない。しかし、その身には触れるものすべてを優しく包み込み、安らぎをもたらす真の聖女の力が満ち溢れていた。
それは、父である辺境伯の持つ底なしの魔力許容量という器の大きさと、母である無色の聖女のあらゆる色を許容し、癒やす性質が、極限のレベルで融合した結果だった。
強大な魔力を宿すのではなく、強大な魔力さえも飲み込んで優しさに変えてしまう、空のごとき器。
まさに二人の愛が生んだ、究極の調和の結晶である。
カイルは、腕の中に収まる小さな、けれど確かな命の重みを感じた瞬間、再びその漆黒の瞳に涙を溜めた。
「アリー、見てくれ。……なんて愛らしいんだ。この子は、私と君の絆が形になった、世界で最も美しい宝物だ」
カイルは震える指先で、娘の柔らかな白銀の髪を、まるで壊れやすい絹糸を扱うように愛おしそうに撫でた。
しかし、その感動が冷めやらぬうちに、最強の辺境伯の愛情は、深い父性と共に、誰もが予想しなかった方向へと暴走を始めたのである。
娘が誕生してわずか数日。まだ小さな身体を包み込むように抱き上げながら、カイルは氷のように真剣な声で言い放った。
「……アリー。決めたぞ。この子は生涯、このローゼンベルク城から一歩も出すことはない」
あまりに突拍子もない宣言に、産後の身体を休めていたアリアは目を丸くした。
「カイル様、何を仰るのですか? この子だっていつかは外の世界を知り、誰かと恋をして、幸せな家庭を築く日が来るのですよ」
「断固拒否する! 良いか、アリー。この子は私と君の愛の結晶であり、辺境の宝だ。どこの馬の骨とも知れぬ男に、この清らかな光を渡してなるものか!」
カイルは娘を愛おしそうに抱きしめ、壊れ物を扱うかのように細心の注意を払いながら、小さな頬にそっと頬を寄せた。
「誰にも嫁には出さん。もし将来、この子を口説こうとする不届き者が現れたら、私は手加減なしに魔力を暴走させて、辺境の地の果てまで吹き飛ばしてやる。この子は生涯、ローゼンベルクの姫として私の隣にいればいいのだ」
カイルの瞳は、戦場で敵を見据える時よりも鋭く、同時に、父としての甘く重たい執着を帯びていた。その極端すぎる溺愛ぶりに、アリアは呆れを通り越して、くすくすと苦笑いするしかなかった。
「カイル様。貴方の娘への愛も、魔力と同じくらい強大で困ってしまいますね。でも、もしこの子が将来、本当に愛する人を見つけたら……その時は、貴方が一番優しいお父様になって、背中を押してあげなければなりませんよ?」
アリアが諭すように言うと、カイルは苦虫を噛み潰したような、これ以上ないほど渋い顔をして沈黙した。娘を見つめ、アリアを見つめ、再び娘に視線を戻し――
数分間の葛藤の末、ようやく絞り出すように答えた。
「……わかった。ならば条件だ。その男が、この私よりも強く、私よりも深くこの子を愛せると、私自身が認められる場合に限る。……まあ、そんな男はこの大陸のどこを探しても存在しないだろうがな」
フン、と鼻を鳴らしたカイルだったが、その腕の中では娘が彼の手指をぎゅっと握りしめていた。
「もし、万が一にでも娘を泣かせるようなことがあれば、私は父として全力で立ちはだかる。精霊王と妖精王にすら協力を仰ぎ、奈落の底へ叩き落としてやるからな」
カイルの娘への独占欲は、夫婦にとって新たな“家族の調和”という課題となった。
しかし、その暴走の根底にあるのが、かつて孤独だった彼が手に入れた、何よりも尊い守るべき家族への深い愛であることを、アリアは誰よりも知っている。
彼女は、最強の夫が見せる甘く騒がしい受難を、幸せな微笑みと共に受け入れるのだった。




