6話 魔力と沈黙の器
アリアに与えられたのは、北の地の厳しい寒さを忘れさせるほど豪奢な装飾が施された一室だった。壁を飾るタペストリーや肌触りの良い寝具。王都の屋敷で不遇な扱いを受けていた時とは比べものにならない贅沢さだが、そこには決定的な落差があった。
重厚な扉の向こうからは常に、警備の兵士が放つ金属鎧の擦れる音と、規則正しい足音が聞こえてくる。外へ出る許可は与えられていない。
それは丁重に扱われてはいるが、明らかに監視下に置かれた状態だった。
カイルとの接点は、一日のうちで極めて短い食事の時間に限られていた。
広いダイニングテーブルの端と端に座り、数言の儀礼的な挨拶を交わすのみ。
彼は決して無礼ではなかった。
だが、必要以上に近づくことも、触れることもなく、食事が終わればすぐに席を立つ。
(辺境伯様はどうされたのだろう? あの日以来、ただ静かに……まるで希少な標本を眺めるように、私を観察している……)
去り際に見えた彼の背中からは、今もなお、内側で暴れ続ける魔力の気配が滲み出ていた。
アリアは、初めて彼と相対した日のことを忘れられずにいた。
彼の周囲を渦巻いていた、制御を失った魔力。
あれは本来、近づくだけで命を脅かされるほどのものだったはずだ。
――それなのに
自分の周囲に踏み込んだ瞬間、あの荒れ狂う力が、嘘のように静まり返った。
まるで、嵐が急に無音の檻へ閉じ込められたかのように。
あの時、アリアが感じたのは恐怖ではなかった。
ただ、世界が一瞬だけ凪いだような、不思議な静けさだった。
そして、彼が呟いたあの言葉。
ーー「貴様……まさか、お前が……幻の番、無色の聖女か?」ーー
(幻の番……無色の聖女……??無色の聖女…ではあるけれど幻の番とはなに?)
自室へ戻ったアリアは、自分の手を見つめた。幼い頃から、魔力を感じたことは一度もない。
何かが満ちる感覚も、巡る兆しも、彼女の内には存在しなかった。
祖母マリアは、いつも同じ言葉を繰り返していた。
「決して、無理をしてはいけないわ。渡された薬は、必ず飲み続けるのよ。」
薬を飲むたび、胸の奥は凪いだ水面のように静まり返った。
何かが芽吹く前に、すべてが押さえ込まれるような感覚。
アリアは、それが自分には魔力がない証だと思い込んでいた。
だが、今なら思う。
――あれは、本当に「ない」状態だったのだろうか。
もし、自分の内側が空であるがゆえに。
他者の魔力を拒むことなく受け止め、そして中和してしまう器なのだとしたら。
もし、その異質さこそが、彼の暴走を抑えた理由だとしたら。
(……お祖母様は、すべてをご存知だったのではないかしら)
あの時の祖母の眼差しは、慈愛だけではなかった。
何かを恐れ、何かを必死に隠そうとするような、切実な色を帯びていた。
辺境へ送られ、カイルと出会った今。
隠されていた真実が、少しずつ姿を現し始めている。
確かめたいことが、あまりにも多すぎる。
アリアは机の上に置かれた羊皮紙を手に取った。
震える指を押さえ、王都の祖母へ宛てて、静かに筆を走らせる。
――自分の体質のこと。
――煎じ薬の意味。
――あの日、何が起きたのか。
書き終えた後、ふと指先に、わずかな違和感を覚えた。
それは温もりでも高揚でもない。
長く閉ざされていた何かが、わずかに軋むような、微細な変化。
(……何かが、確実に動き始めている)
アリアはそう直感し、そっと拳を握りしめた。




