57話 偽りの愛と打算の婚約
王都の社交界は、今や「幻の番」の誕生に沸き立っていた。
第二王子であるアルフレッドにとって、この婚約は自らの野望を果たすための生命線であった。
彼の上には、正統なる次期国王として盤石の支持を集める兄、アーサー王太子がいる。清廉潔白で高潔な兄を蹴落とし、自らが玉座に座るためには、王太子妃となる聖女の輝きを遥かに凌駕する、ある伝説の力が必要不可欠であった。
(兄上を超えるには、リリアの持つ聖女の力という武力が必要だ。密かに研究を重ねてきたあの文献に記された通りならば、彼女の光こそが私を至高の座へと導く鍵となる……)
アルフレッドは、自らの野望を果たすための最強の駒としてリリアを品定めしていた。
一方、侯爵令嬢リリアもまた、貴族社会のしがらみの中で必死に完璧を演じていた。
彼女の肩には、リーゼンバーグ侯爵家のあまりにも重い期待と、癒えぬ傷跡がのしかかっていた。
かつて姉アリアが無色と判定され、アルフレッドとの婚約を破棄されたあの日、侯爵家の王族と血を交えるという長年の悲願は一度無惨に砕け散ったのだ。
(お姉様が壊してしまった我が家の誇りは、私が取り戻さなくてはならない。……私が失敗すれば、リーゼンバーグは二度と浮上できない。私は、絶対に、失敗できないの……!)
侯爵令嬢としての矜持と、次女としての義務感。リリアは自分を追い込み、自らを完璧な聖女という型に、悲痛なほど強く押し込めていた。
リリアは幼い頃から姉・アリアを深く慕っていた。しかし、その慕情の裏側には、常に正体不明の畏怖が澱のように沈んでいる。
リリアが何よりも恐ろしかったのは、アリアが何もない空間に向かって微笑み、風や小鳥、目に見えない精霊たちと親しげに囁き合う姿だった。
(お姉様には、私に見えない世界が見えている……。聖女判定は無色のくせに、どうしてあんなに恐ろしいほど澄んだ瞳で、"何か"と笑い合えるの?)
聖女リリアが放つ、数値化できる圧倒的な光こそが、彼女にとって唯一の安心材料だった。
姉の持つ底知れぬ不気味なほどの調和から逃れるために、そして家門を再び王座の近くへと引き上げるために、彼女はより一層、自身の光を誇示し、アルフレッドという権威に縋った。
そんな中、アルフレッドの元に辺境からの報告書が届く。アリアが覚醒し、呪いを解いたという信じがたい内容。アルフレッドの指が怒りに震える。
彼が捨てた無色こそが、伝説に語られる真の聖女の力だったという可能性。その焦燥は、リリアへの興味を急速に冷え込ませた。
(……アリアが、真の聖女だと? ならば、私が古の記録を紐解き追い求めてきたあの力は、私の隣にいるこの女ではなく、あのアリアに宿っていたというのか……!)
だが、今さら引き返せばアーサーに付け入る隙を与える。アルフレッドは冷徹に自らの心を凍らせ、より一層熱烈にリリアへの求婚を演じた。
王城の舞踏会。千の光が降り注ぐ中、アルフレッドは跪いた。
「リリア。君の強大な聖女の力は、私と共にこの国の礎となる。……さあ、私の王妃となり、その光で私の行く末を照らしてほしい」
リリアは、その言葉を家門の汚名をそそぎ、自身の存在を認められた瞬間だと信じ、歓喜と安堵の涙を浮かべてその手を取った。
「はい、アルフレッド殿下。……私こそが、貴方の唯一の聖女として、この命を捧げますわ」
打算と虚栄、そして失敗を許されない切実な重圧。
偽りの黄金の鎖で繋がれた二人の門出は、やがて来る断罪の日に向けて、静かに、しかし確実な音を立てて崩れ始めていた。




