49話 粗食に慣れた辺境伯 — 孤独な食卓を照らす光
カイル・ローゼンベルクにとって、食事とは長らく苦痛の同義語であった。
幼少期から魔力過多による食欲不振に悩まされ、暴走を抑えるための質実剛健を通り越した献立は、ただ命を繋ぎ、魔力を封じ込めるための燃料でしかなかった。
アリアが夫人となってから、城の食卓は劇的に改善されていた。彼女はカイルの魔力の波動を繊細に感じ取り、妖精たちが推奨する素材で、彼の体を芯から整える料理を日々供してきた。カイルも、彼女の料理を食べ始めてから体調が劇的に良くなったことに深く感謝していた。
だが、カイルにとっての食事は、依然として健康を保つための最良の手段という認識に留まっていたのだ。――あの日、彼女がその菓子を運んでくるまでは。
ある日の午後。カイルが執務室で難解な書類を前に眉根を寄せていた時、アリアが小さな皿を持って現れた。
「カイル様、少し休憩になさいませんか? 先日、領地の農夫からいただいた蜂蜜と、新しく獲れたナッツで作ったフロランタンです。少し甘いですが、集中力の回復に良いと妖精たちが教えてくれました」
窓から差し込む陽光に、アリアの白銀の髪が透き通るように輝く。
カイルは本来、甘味には全く興味がなかった。しかし、アリアの指先に添えられたその小さな菓子が、えも言われぬ香ばしい香りを放っていることに気づき、一つ手に取った。
サクリ、と軽やかな音が室内に響く。
一口食べた瞬間、カイルの黒曜石の瞳が驚愕に見開かれた。
「これは……なんだ、アリー」
これまで食べてきた滋養のための料理とは明らかに違う。ナッツの香ばしい苦味、蜂蜜の奥深いコク、そしてバターの芳醇な風味が、口の中で完璧な調和を描き出し、脳を直接揺さぶるような快楽をもたらしたのだ。
それはカイルの魔力のように荒ぶることなく、すべての要素が互いを引き立て合う、至福の旋律。
カイルは、生まれて初めて美味しいという純粋な、そして強烈な娯楽としての食感に、魂を射抜かれた。
「こんなにも、食が心を、これほどまでに満たすものだったとは……」
カイルは、吸い寄せられるように次々とフロランタンを口に運んだ。
これまで体を癒やしてくれていた彼女の手料理が、今度は心という最後の砦までを、蕩けるような甘さで攻略してしまったのだ。
「アリー。……君は、一体どれほど私を驚かせれば気が済むのだ」
呆然と、しかし幸福感に満ちた顔で皿を空にするカイル。
彼女が注ぐ魔力、彼女が作る料理、そして彼女がくれる甘い安らぎ。そのすべてが、カイルという男を構成する不可欠な要素となっていく。




