3話 膨張する苦痛
アルカディアス王国の最北の地、ローゼンベルク領。
王命による花嫁を乗せた王都からの馬車が、峻厳な山々に囲まれたローゼンベルク領へと足を踏み入れている頃、城の主であるカイル・ローゼンベルクの身体はすでに限界を突破しようとしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
執務室の重厚な椅子に身を沈め、カイルは獣のような荒い息を繰り返す。
視界は自身の内側から溢れ出す魔力の残滓で赤く染まり、思考することさえままならない。
その姿は、かつて大陸最強の莫大な魔力を持つ武神と謳われた面影を無惨に塗りつぶしていた。
厚い脂肪に覆われた巨躯は異常な熱を発し、室内の温度を数度上昇させている。全身の皮膚は魔力の膨張に耐えきれず、絶えず内側から引き裂かれるような鈍痛に苛まれていた。
魔力とは本来、血管を流れる血液と同じく循環すべきエネルギーだ。しかし、あまりにも巨大すぎる彼の魔力は、逃げ場を失って身体そのものを器として肥大化させていた。
皮膚の下では常に細胞が異常な速度で振動し、骨の髄を針で突き刺されるような激痛が走る。まるで煮えたぎるマグマを血管に流し込まれているような、終わりのない地獄。
「ご主人様……っ、もうまもなく、王都からの御一行が到着されます」
古参の執事セバスが、あまりの魔圧に顔面を蒼白にしながら報告に現れた。カイルはその声さえも、自身の鼓動に混じる魔力の奔流にかき消されそうになる。
「……わかっている。……忌々しい、王族どもの浅知恵め」
カイルは絞り出すような声で自嘲した。
アルフレッド第二王子ら王族の思惑は明白だ。聖女として最高評価を得た次女リリアを自らの手元に置き、代わりに無色と判定された欠陥品——長女アリアを、この化け物の処理係として差し出したのだ。
「期待など……していなかったはずだがな」
この苦痛から逃れる術は二つ。
一つは、判定不可能なほどの微細な魔力を持ち、どんな魔力をも受け入れ変換できるとされる、伝説の「幻の番」に出会うこと。
だが、女性の魔力判定が形式的にしか行われないこの国で、そんな存在は文字通り幻に等しい。
もう一つは、純度の高い聖女の力による浄化。
短かった婚約期間中、リリアはその聖なる力で、ほんの僅かではあるが彼の痛みを中和してみせた。王族はその効能を知り、彼に希望を見せつけた上で、土壇場で彼女を奪い去ったのだ。
代わりに送られてくるのは、聖女判定で無色……つまり、魔力を浄化する力さえ持たないと蔑まれるアリア。
「どうせ、この醜い身体を見て悲鳴を上げるのが関の山だろう。……また、あの重苦しいローブでこの身を隠すしかないのだ」
今や彼には、相応しいサイズの服を誂える余裕も、それを選ぶ気力もない。立ち上がろうとするだけで、全身の肉と魔力の重みが重力のように圧しかかり、意識が遠のくほどの負荷がかかる。
このまま内側から弾け飛び、自爆を待つのが先か。それとも、この膨大なエネルギーをぶつけるために無謀な侵攻を開始するのが先か。
「……連れてこい。生贄でも、飾り人形でも……好きにするがいい」
一筋の大きなため息とともに、カイルは深淵のような絶望の底に沈んでいった。その赤く光る黒曜石の瞳には、まだ見ぬ婚約者への怒りよりも、自分自身の壊れゆく身体への嫌悪だけが色濃く映っていた。




