35話 無意識の癒やしと、安らぎを知った辺境伯
日々の暮らしと魂を重ねる儀式の中で、アリアが元来持っていた深い慈愛と調和の器としての本能は、カイルのためだけの癒やしとして自然に昇華していた。
彼女は、カイルがふと安らぎを求める瞬間を心で感じ取り、何も言わずとも、彼が最も心地よいと感じる距離と間合いでそっと寄り添えるようになっていたのだ。
その微笑みで、声で、ふとした瞬間の手作りのお茶や、隣に座ってそっと手を重ねる温もりで。
彼女はその全身全霊の優しさで、カイルの疲れを受け止め、静かに、しかし確実に、さらなる幸福感へと導いていく。
アリアがカイルの隣に座り、その強靭な肩に頭を預けて甘えるたび、カイルは自身の抱えていたストレスが、彼女の穏やかな気配の中に跡形もなく溶けていくような感覚に陥った。
「……アリー。君は、なぜそこまで私に安らぎをくれるのだ……」
カイルは、長年の苦痛から解放された自身の持てる愛情を惜しみなくアリアに注ぐことで、かつて知らなかった深い安心感を得ていた。彼女の無意識の仕草は、計算されたものではない。
カイルの心を最も完璧な調和へと導く、聖女の本質が滲み出た可愛らしさだった。
かつて戦場を制した武人としての威厳も、アリアの前では霧散し、彼はすっかり甘やかされることを許す男へと変わっていった。
情熱の炎を宿した黒曜石の瞳は、今はただアリアへの愛に溢れ、安らぎを知った一人の男の表情を浮かべている。
「アリー、アリー……私は君なしでは、もう生きていけん……」
そう漏らしてアリアを抱き寄せ、彼女の肩に額を預けて、ほうっと大きく息を吐き出す。
カイルは、アリアの持つ底なしの包容力に、疑いなく身を委ねていた。
魔力暴走の恐怖は、アリアへの愛という名の幸福な依存へと姿を変えたが、それは彼にとって何よりも穏やかな救いだった。
カイルもまた、アリアを徹底的に喜ばせようと努めた。
不器用な武人の手で、アリアが最高にリラックスできる方法――例えば、就寝前の髪の手入れなどを、ひとつひとつ覚え、身につけていったのである。
「……カイル様。ふふ、少しこそばゆいです」
カイルは、アリアが髪を梳いてもらう時に、猫のように目を細めて喜ぶことを知った。だからこそ、その剛腕の力を極限まで制御し、最も優しく、最も丁寧に彼女の銀髪を扱う術を学んだのだ。
「どうだ? 痛くはないか?」
「はい……。カイル様の手、大きくて温かくて……とても気持ちいいです」
「そうか。……君の髪は、まるで月の光のように美しいな」
「嬉しいっ……。ずっと、こうしていたくなります」
二人の夜の時間は、互いの温もりを感じながら、静かに愛を語り合う、何よりも安らかなひとときとなった。
「アリー。君が笑っていると、私も幸せだ」
カイルは、アリアの髪に口付け、彼女を労った。
アリアの心はカイルの優しさによって満たされ、彼女が本来持つ聖女の力の源泉は、愛という触媒によって静かに花開いていく。
アリアは、カイルに愛され、大切にされることで、女性としての幸せだけでなく、己の存在意義そのものを噛み締めていた。
彼女は、カイルの心を支え、安らぎを与えるという、世界で唯一の、そして崇高な役割を日常の中で果たしていたのだ。
二人は、絶え間なく慈しみ合い、与え合うという穏やかな日々の中で、心の結びつきを深め、永遠に続く愛の絆を育んでいった。




