30話 辺境伯の新たな感覚
カイルが本来の精悍な姿を取り戻し、アリアと心身ともに結ばれてから、彼の魔力はかつての暴走が嘘のように、深く静かに安定していた。
しかし、その変容は魔力の質に留まらず、カイルの知覚そのものに未知の進化をもたらしていた。
ある晴れた日の午後、二人は領地開発の要である水源の状況を確認するため、城の地下深くにある地底湖へと降りていた。
かつて、カイルが警戒心と打算を抱きながら初めてアリアを案内したあの場所は、今や彼女の祈りとカイルの安定した魔力が溶け合い、息を呑むほど清らかな光に満ちた聖域となっている。
アリアは湖のほとりで足を止め、微笑んで何もない空間に優しく話しかけていた。
「ええ、もうしばらくしたら、あそこの水路を広げます。いつも豊かな水をありがとう」
カイルは、それが精霊たちとの親密な対話であることを理解していた。
以前の彼であれば、その光景をただ遠くから愛おしく見守るだけだっただろう。
「アリー。今日もまた、彼らと話しているのか」
アリアは弾むように振り向き、カイルのもとへ駆け寄った。
「はい、カイル様。彼らは、貴方が健やかでいらっしゃることが何より嬉しいと……。貴方の魔力が安定したことで、領地全体がかつてない喜びに満ちていると伝えてくれています」
その言葉を聞いた瞬間、カイルの視界の端を、キラリと銀色の粒が横切った。
「今……何か、光の粒のようなものが揺らめいたように見えたが」
カイルは戸惑い、思わず目を擦った。
浄化されて以来、彼の五感は以前よりも研ぎ澄まされ、世界の色彩さえも鮮やかに感じられるようになっていたが、今の感触はそれ以上に鋭いものだった。
アリアはぱっと顔を輝かせ、驚きと喜びに満ちた表情で彼を見上げた。
「カイル様! 今、見えましたか?」
「いや、気のせいかもしれん。しかし、以前は感じ得なかった空気の流れや呼吸のようなものを、肌で感じるようになった気がする」
アリアはそっとカイルの手を取り、自分の頬に当てた。重なり合った手のひらから、温かな波動が二人の間を循環していく。アリアには魔力はないが、カイルの魔力を受け止め、昇華させる唯一無二の聖女としての絆がそこにはあった。
「カイル様、貴方の魔力は、私という器を通ることで、純粋で高次のエネルギーへと昇華しました。私の聖女の力は、精霊たちと交信するための感性を極限まで高めます。その力が、貴方の浄化された魔力と深く共鳴することで、貴方を隔てていた知覚の壁を静かに破り始めているのです」
かつてこの場所で、警戒しながら彼女の手を取ったあの日。
今、同じ場所で重なる手には、損得勘定も疑念もない。ただ、お互いがなくてはならない陰と陽として、同じ世界を見つめようとしている。
カイルは地底湖の光を反射するアリアの瞳を見つめ、静かにその手を握りしめた。




