20話 予期せぬ奇跡
結魂の儀式以降、夜更けの真の執務室は、魔術的な浄化が施された儀式の間と化していた。
古文書に記された通り、部屋の四隅には特殊なハーブが焚かれ、静謐な空気が漂っている。
カイルとアリアは、互いに向き合った。
肉体的な接触はない。カイルは、彼の体内に残る全ての過剰な魔力を、アリアという聖女の器へ一気に流し込み、結合させる覚悟を決めていた。
「……アリア嬢。もし苦しければ、すぐにやめるから。遠慮なく言ってくれ」
カイルは、どこかぎこちなく、けれど精一杯の敬意を込めてそう呼んだ。
これまでのように「お前」と呼ぶには彼女への感謝が大きすぎ、かといって「アリア」と呼び捨てるには、まだ自分の中に言いようのない照れがあったのだ。
彼の心臓は激しく脈打っていた。
これは、アリアと共に生きる未来を掴むための、人生最後の賭けだった。
アリアは、カイルが自分を「アリア嬢」と呼んだことに、彼なりの不器用な距離感と誠実さを感じ、静かに頷いて目を閉じた。
カイルも意識を解放し、身体の奥底に溜め込まれた、巨大で混沌とした魔力の奔流を解き放った。黒曜石のように濃密な魔力が、彼の肉体から溢れ出し、濁流となってアリアへと向かって流れ込む。
ゴオォ……ッ!
魔力の濁流がアリアの身体を取り巻いた。
アリアには、その魔力が、まるで長年の苦痛に歪んだカイル自身の魂の叫びのように感じられた。
(受け止めるわ。貴方の全てを……その苦しみも、不器用な優しさも)
アリアは意識を研ぎ澄ませた。彼女の判定不能な聖女の力は、今や完全に成熟した広大な器となっていた。流入する魔力は本来、彼女の体を通り抜け、外へと循環するはずだった。
しかし、魔力がアリアの核――聖女の力の源に触れた瞬間、予期せぬ奇跡が起こった。
カイルの濁った魔力は、アリアの核に触れると、絶対的な静寂に包まれた。
それは、ただ魔力が消える無効化ではない。カイルの魔力がアリアを通ることで濾過され、浄化され、そして全く別の純粋な形へと再構成されていく現象だった。
アリアの体内で、かつて王都の判定器が反応しなかった強すぎる力の真髄が発動した。
その力の本質は、輝く光ではなく、絶対的な調和。混沌を鎮め、毒を純粋なエネルギーへと還す力だ。
この調和の力が、カイルの魔力に劇的な変革をもたらした。
カイルは、長年自分を蝕んでいた熱く、膨張するマグマのような感覚が、急速に冷え、静まり、そして透明で硬質な結晶へと変化していくのを感じた。
魔力の総量は変わらない。だがその性質が、暴虐な怪物から、完全に制御可能な、研ぎ澄まされた安定したものへと変質したのだ。
「ああ……っ」
カイルは思わず膝をついた。それは苦痛ではなく、長年の重圧からようやく解放された、歓喜の呻きだった。
彼の巨大な魔力は、今、完全に彼自身のコントロール下に収まった。
儀式は、身体的な消耗を伴うことなく完了した。




