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女子高生、ゆるく日本の神様めぐります  作者:


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7/9

音のあとに、シャッターを

 朝の空気は、思っていたより冷たかった。

 春の匂いに混じって、湿った森の匂いがする。

 駅前から伸びる細い道は、少し暗く、見慣れない影が多い。

「山って、朝からもう山だね」

 ゆいがマフラーを直しながら言う。

 いつもより少しだけ静かな声。

 彼女のカメラバッグが、肩にしっかり重みを乗せている。

「ほんとに、駅から歩いて行くんだね」

「地図によると、30分くらいの“ほのぼの登山”だって」

「その“ほのぼの”信じていいの?」

 笑いながら歩き出す。

 家から持ってきた水と、母の作ったおにぎりがリュックの中にある。

 それだけで、今日は外に来たんだと思えた。

 道はしばらく住宅街を抜けて、やがて山へ入る。

 土の色が濃くなり、足元に落ちた枝が弾む音がした。

「ねえ、ななみ」

 ゆいが立ち止まる。

 耳を澄ませながら言った。

「……音、変わったよね」

 その言葉に、私も耳をすます。

 鳥の声が、少しだけ重くなっている。

 風の音が、木の葉を通るとき、低く響く。

「街より、音が丸い」

「丸い?」

「角がない。

 カン、じゃなくて、フワッて感じ」

 ゆいはうんうん頷いて、カメラを構え……そして下ろした。

「今、撮らないの?」

「まだ、“音が終わってない”」

 写真が音のあとに来る。

 その法則を、彼女はもう受け止めているらしかった。

 私はそんなゆいを見て、小さく息を吐いた。

 山の空気が、胸の奥にゆっくりと入っていく。

 しばらく歩くと、霧が出てきた。

 白い繭みたいに、道をうっすら包む。

「うわ、綺麗……!」

 ゆいはカメラを構える。

 でも、すぐにはシャッターを切らない。

 霧が揺れるのを待っている。

 風がひとつ吹いた。

 霧の形が崩れ、また形を作り直す。

 ——カシャ。

 その音は、風より静かだった。

「撮れた?」

「撮れたかどうか分かんないけど、

 “撮ったほうがいい気がした瞬間”だった」

 私にはその写真は見えない。

 でも、ゆいの表情で、何かが写ったんだと思えた。

 霧の中を少し進むと、小さな鳥居が現れた。

 湖の鳥居よりずっと古い。

 苔が生えていて、色が深い緑に近い。

「……すご」

 鳥居の前に立つと、風が止む。

 その瞬間、音がまるごと消えた気がした。

 静寂が、空気を締める。

「入るね」

 私は鳥居の前で小さく頭を下げ、一歩踏み出した。

 濃い匂い。

 湿った土。

 遠くで鳥の音がするけれど、ここには届いてこない。

 二人で歩き、社殿へと向かう。

 拝殿は小さく、木に覆われている。

 鈴が風で揺れていないのに、なぜか音が聞こえた気がした。

 二礼、二拍手、一礼。

 目を閉じる。

 耳が、山の息づかいを拾っている。

 風より低い。

 鳥より深い。

 土が呼吸しているみたいだった。

 ——ザザッ。

 足元で砂利が鳴った。

 誰も動いていない。

「……今の音」

「風じゃないよね」

 ゆいは、真剣な目のままカメラを構えた。

 でも撮らない。

 張り詰めた空気は、すぐにほどけてしまいそうだった。

 山の神様は、姿を見せない。

 見えないまま存在している。

「ねえ、ななみ」

 ゆいが囁く。

 さっきよりずっと小さい声。

「ここ、息をすると、重い」

「うん。苦しいとかじゃなくて……

 深いって感じ」

「深さを撮るって、どうしたらいいんだろ」

 ゆいがカメラに触れたその瞬間——

 ザァ……。

 霧が一気に流れ込み、社殿が隠れた。

 白がすべてを包む。

 ゆいは迷わずシャッターを切った。

 ——カシャ。

 霧が晴れると、社殿がまた見えた。

 たった数秒なのに、そこにいた空気が変わっている気がする。

「……撮れた?」

「分かんない。

 でも、“ここにいた時間”が写ってる気はする」

 ゆいの声は震えていた。

 寒さじゃない。

 何かを掴んだ瞬間の震えだ。

「御朱印、いただこう」

 社務所は小さく、古い木の匂いがした。

 若い巫女さんはいない。

 代わりに、年配の男性がゆっくり御朱印を書いてくれた。

 墨の色は濃く、太い。

 湖とは違う。

 重さがある。

 朱印が押される音が、ズシッと胸に響いた。

「……変な音に聞こえた」

「うん。

 山の音っぽい」

 御朱印帳を閉じて、私たちは社殿をあとにした。

 帰り道、霧は晴れて、太陽が木の間から差し込む。

 ゆいが立ち止まった。

 そして、もう一枚だけ撮った。

 何を撮ったのかは、見せてくれなかった。

「これは……帰り道の時間だから。

 家で見るね」

 そう言って笑ったゆいは、少しだけ大人の顔をしていた。

*****

 帰りの電車、座席に揺れながら、私は窓の外を見た。

 影が伸びる。

 音が減る。

 景色が動く。

「ねえ、ななみ」

 ゆいが静かに言う。

「撮れないものを探す旅って、撮るより難しいね」

「でも、面白いでしょ」

「うん。

 山って、“撮られたくないもの”が多すぎる」

 それは、挑戦状みたいな言葉だった。

 私も、胸の奥が熱くなる。

「次は、どこ行こっか」

 旅はもう、計画を立てる前に呼吸し始めていた。

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