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女子高生、ゆるく日本の神様めぐります  作者:


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3/9

湖の神社と、ほどける風

 鳥居の前に立つと、湖の空気がひんやりと肌に触れた。

 水の匂いと、木々の香りが混ざっていて、風間神社とはまるで違う空気だった。

 鳥居をくぐる前に、私は小さく息を吸った。

 胸の奥が、少しだけざわつく。

 緊張にも似ているけれど、それだけでもない。

「ななみ、先行っていいよ」

 ゆいが、カメラを首にぶら下げたまま笑って言う。

 私は頷くと、ゆっくりと鳥居の下へと一歩踏み出した。

 その瞬間、肩にそっと風が触れた。

 風鈴の音はないのに、風間神社で聞いた音と同じ響きが、耳の奥で小さく鳴った気がした。

 気のせいだと言い切れないほど、繊細な音。

 そして、懐かしい気配。

「……いらっしゃいって言われたみたい」

 思わず口にすると、ゆいがぱっと顔を上げた。

「え、ななみ、何か聞こえたの?」

「聞こえたっていうより……ううん。気のせいかも」

「今の顔、完全に『気のせいじゃない』ってやつじゃん」

 そんなふうに言われても、説明できないものは説明できない。

 ただ、鳥居の向こう側は、外の世界よりも一段深い空気をまとっていた。

 石段をのぼる。

 段数は少ない。

 けれど、踏みしめる足が自然とゆっくりになる。

 上に小さな社殿が見える。

 白い砂利がきらりと光る。

 屋根瓦は濃い緑。

 木々の影が重なって、涼しい陰を作っていた。

 拝殿の前には、巫女装束の女性が立っていた。

 年齢は、私たちとそう離れていなさそうだ。

 白い小袖に赤い袴。

 髪は肩のあたりでひとつに結んでいる。

「こんにちは。参拝に来てくれたんですね」

 柔らかい声だった。

 まっすぐな目をしていて、でも威圧感はまったくない。

 風の音みたいに静かに響く声。

「はい。あの、御朱印もお願いしたくて」

 私がそう言うと、巫女さんはふわりと微笑んだ。

「もちろん。

 まずはゆっくり参拝して、それからお持ちくださいね」

「お願いします」

 私とゆいは、社殿の前に並んで立った。

 二礼、二拍手、一礼。

 目を閉じる。

 胸の奥が、すっと静かになる。

 願い事は、まだ決めていなかった。

 でも、何も言わないままでもいい気がした。

 ここに立って息をするだけで、少しずつ気持ちがほどけていく。

 どれくらい目を閉じていただろう。

 風の音が優しく鳴る。

 それから、私たちは御朱印の受付に向かった。

 簡素な机がひとつ置かれていて、巫女さんが筆と朱印帳を用意していた。

「初めてですか?」

「はい」

 答えると、巫女さんの目が楽しそうに見開かれた。

「じゃあ、最初の一枚ですね。

 きっと、いい旅になりますよ」

 その言葉に、胸の奥がちょっとくすぐったくなる。

 筆が紙を滑る音が、しゅっ、しゅっと静かに響いた。

 墨の匂いが落ち着く。

 ゆいは写真を撮らず、じっと見ている。

 御朱印の文字は、流れる川のように滑らかだった。

 最後に朱印が押される。

 ぱん、と小さな音。

 その瞬間、足元の砂利がかすかに揺れた。

「……あれ?」

 地震じゃない。

 でも、ほんの一瞬、足元だけがふわりと動いた気がした。

 隣のゆいが不思議そうに私を見る。

「ななみ、今揺れなかった?」

「うん、なんか……水に立ってるみたいな感じが」

 巫女さんが、少しだけ微笑む。

「ここは、湖の神様も祀っていますから。

 足が浮いたように感じる人、けっこう多いんですよ」

「ほんとに?」

「ほんとです。

 ただの気のせいかもしれませんけどね」

 そう言って、くすっと笑った。

 説明なのに、説明しすぎない答え。

 その曖昧さが、かえって心地いい。

「風間神社から来たんですか?」

 突然の言葉に驚いて、私は思わず息を飲んだ。

「なんで分かったんですか?」

「なんとなくです。

 ……あそこで願い事をした人は、だいたい旅を始めるんですよ」

 さらりと言われたのに、意味は重い。

 ゆいが私を見る。

 私は目をそらした。

「風の神様って、縛るより、ほどく神様だから」

 巫女さんが、優しく言う。

「縛られていた気持ちがほどけると、人はどこかに行きたくなるんです」

 千歳の言葉が、頭に浮かんだ。

 『心をほどく場所なんだ』

 同じような言葉なのに、違う人から聞くと、意味が変わって聞こえる。

「ありがとうございました」

 御朱印帳を受け取り、深く頭を下げた。

 拝殿を離れ、石段を降りる。

 湖が一気に視界に広がる。

 水面が、さっきより少し明るくなった気がした。

「ななみ」

 ゆいが言う。

「なんかさ、やっぱり、旅っていいね」

 その顔は嬉しそうで、でも驚いているみたいでもあった。

「うん。

 まだ始まったばかりなのにね」

「そう。

 でも、なんかもう次に行きたいって思っちゃう」

 風が吹く。

 湖面が揺れる。

 波の音は小さいけれど、確かに聞こえた。

「お腹すいたね」

 ゆいのお腹が、タイミングよく鳴る。

 私は吹き出しそうになった。

 湖沿いに、小さな売店があった。

 地元の果物と、小さな軽食が並んでいる。

 湯気の立つ鍋の前に「りんごジャムおやき」と張り紙があった。

「絶対美味しいやつじゃん」

 ゆいは早速お財布を出していた。

 私は母からもらったおにぎりを思い出しつつ、でも負けた。

「りんごジャムおやき、2つください」

 熱々のおやきは、手の中でほかほかと柔らかい。

 かじると、ほんのり甘くて、酸味が少しある。

 りんごの香りが口いっぱいに広がった。

「おいしい……!」

 言葉がそのまま漏れた。

 ゆいは夢中で写真を撮り、食べて、また撮っていた。

「飲み物もあるって。

 これ、温かいリンゴジュースだって」

 私は思わず笑ってしまった。

「全部リンゴじゃん」

「長野だから!」

 二人で温かいジュースを飲む。

 甘さが喉を落ちていって、体の中がぽかぽかになる。

 ふと、視界の端で、鳥居の赤が揺れた。

 風は吹いていないのに、ほんの少し、揺れた気がした。

 水面も静かだ。

 でも、揺れた。

 ゆいが撮っていたカメラを一瞬止めた。

「ななみ。

 今、揺れなかった?」

「うん、気のせいかも」

 言いながら、私はそれ以上言葉を続けなかった。

 気のせいだと、言い切る気もなかった。

 ただ、胸の奥にそっと残った温かい感覚を、大事にしたかった。

 旅は、まだ始まったばかりだ。

 次の場所のことなんて、まだ何も決めていない。

 でも、小さな風が、私たちをどこかへ連れていこうとしている。

 そんな気がした。

「じゃあ、帰ろっか」

「うん。また来てもいい?」

「もちろん」

 湖に背を向ける瞬間、風がふわりと背中を押した。

 そのまま振り返らず、私は歩き出した。

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