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女子高生、ゆるく日本の神様めぐります  作者:


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1/9

女子高生、旅に出る

 風が鳴るたび、鳥居がしゃべっているみたいだと思う。

 カラカラ、と木がきしむ音が、今日はいつもより近く聞こえる気がする。

 胸の奥で、そっとほどけるような感覚がした。


 ここは、風間神社。

 長野県の小さな町、風間町の高台にある、小さな神社だ。

 参道の砂利はところどころ草に覆われていて、観光地というより、完全に地元民専用って感じの場所。


 私は、この神社の空気が好きだ。

 人が少なくて、静かで、風の音と鈴の音だけが、ゆっくり流れていく。


「ななみー、ちょっとこっち向いて」


 背中から名前を呼ばれて、私はびくっと肩を揺らした。

 振り返る前から、誰の声かは分かっている。


「はい、笑顔くださーい」


 振り向いた瞬間、カシャリ、と軽いシャッター音が響いた。

 レンズ越しににやっと笑っているのは、幼馴染で同級生の望月ゆいだ。


「ちょ、ちょっと待って、まだ心の準備が」

「その『えっ』て顔がいいんだってば。素のななみ、いただきましたー」


 私は慌てて両手で顔を隠す。

 スマホのカメラは、本当に容赦がない。


「ゆい、また勝手に撮ったでしょ」

「だってさあ、今日みたいな日、撮らないほうが失礼じゃない」


 ゆいはそう言って、空を見上げる。

 青い空に、細い雲が一本だけ伸びていた。

 鳥居の上で、風鈴がしゃらんと鳴る。


 今日は新学期が始まって、ようやく最初の週末だった。

 春とはいえ、長野の空気はまだ少し冷たい。

 でも日向に立っていると、制服のブレザー越しにも、じんわりとあたたかさがしみこんでくる。


「にしてもさ」


 ゆいが、スマホの画面を覗き込みながら言う。


「風間神社、やっぱエモいわ

 うちの町、もっと宣伝してもよくない」


「エモいって、具体的にどういう状態のことなの」


 何度聞いてもよく分からなくて、私は首をかしげる。

 ゆいは笑いながら、撮ったばかりの写真を私に見せてきた。


 画面の中には、鳥居の下で目を丸くしている私と、その斜め上をかすめていく白い雲が映っていた。

 頬にかかった髪が、風で少しだけ持ち上がっている。


「ほら、なんかこう……『物語の一場面です』みたいな感じ」

「それ、具体的じゃないよね」

「雰囲気で分かって」


 分かりません、と心の中でだけ返事をする。

 でも、写真を見ていると、不思議なことに、さっき感じた胸のほどける感じが、もう一度よみがえってきた。


 風が吹くたびに、風鈴が鳴る。

 その音に合わせて、神社全体がふわっと呼吸をしているように感じる。


「ねえ、ななみ」


 ゆいが、急に真面目な声で言った。


「今年さ、どっか遠くの神社、行ってみない」


「遠くって、どのくらい」


 私は思わず聞き返す。

 風間神社から見える山並みの向こう側に、今まで意識したことのない距離が広がる。


「県内でもいいし、思い切って県外でも

 なんかさ、春だし、新学期だし、旅、したくない」


 ゆいの目がきらきらしている。

 その目の輝きに、少しだけ胸がざわついた。


「私は……ここで十分なんだけど」


 ぽつりと言うと、ゆいはすぐに首を横に振る。


「風間神社が一番っていうのは分かるよ

 でもさ、ななみ、前言ってたじゃん」


「私、何か言ったっけ」


「『日本中の神様の空気を吸ってみたい』って」


 あ。


 忘れていた、なんて言えない。

 でも、確かにそれは、去年の夏、ここでぽろっとこぼした本音だった。


 受験とか、将来とか、そういう言葉ばかりが教室を飛び交うようになって、息が詰まりそうだった頃。

 この神社に一人で来て、空を見上げながら、思わずつぶやいてしまったのだ。


 『日本中の神様の空気を吸ってみたいな』


 そのとき、誰も聞いていないと思っていた。

 でも、ゆいはちゃんと聞いていたのだ。


「だからさ

 今年こそ、実行しよ

 『女子高生、ゆるく日本の神様めぐります』プロジェクト」


 ゆいが楽しそうに宣言する。

 どこかで聞いたことのあるようなフレーズに、私は思わず苦笑した。


「そのタイトル、長くない」

「長いほうが印象残るって

 なろ……いや、なんでもない」


 よく分からないところで誤魔化されつつ、私は視線を鳥居に戻した。


 風がまたひとつ、境内を抜けていく。

 鈴の音が、さっきよりも少しだけ大きく鳴った気がした。


「でも、お金とかどうするの

 遠くって、交通費かかるよ」


「そこは、バイトでしょ

 夏休み前までに、ちょこちょこ貯めてさ」


「うち、そんなに自由にバイトしていい家じゃないんだけど」


 父は優しいけれど、真面目で堅い。

 母は心配性だ。

 バイトどころか、門限だってそこそこ厳しい。


「じゃあ、まずは近場から攻めよ

 日帰りで行ける神社にするの

 それなら、行けそうじゃない」


 近場。

 日帰り。


 その言葉に、少しだけ心が軽くなる。

 たしかに、いきなり遠くへ行く必要はないのかもしれない。


「……どこか、行きたい神社あるの」


 聞くと、ゆいは待ってましたと言わんばかりにスマホを操作した。


「じゃん

 この辺りから電車とバスで行ける、ちょっと有名な神社リスト」


 画面には、いくつかの神社の名前が並んでいた。

 写真つきで紹介されているサイトらしい。


「ちょっと有名って、どれくらいのちょっと」

「観光客がそれなりに来るくらいの、ちょうどいいやつ」


 私は画面をスクロールしながら、一つ一つの写真を眺める。

 石段の長い神社。

 湖のほとりにたたずむ神社。

 山の上にある小さな社。


 どれも、そこにしかない空気を持っていそうだった。


「ななみ、こういうの見てるとき、目がきらきらしてるよ」


 ゆいが、にやりと笑う。


「してない」

「してるって

 ほら、写真撮ろ」


「ちょっと、それは今じゃなくても」


「今がいいの」


 抵抗する間もなく、私はまたシャッターを切られる。

 画面には、さっきよりも少しだけ表情の柔らかい私が映っていた。


 自分で自分を見るのは、どうにもくすぐったい。

 でも、嫌いなだけでもない。


「……もしさ」


 ふいに、口から言葉がこぼれた。


「もし、本当にどこかの神社に行くとしたら

 最初は、湖の近くがいいかな」


「お、理由は」


「なんとなく

 水があるところの空気って、好きなんだよね

 風間神社にはない感じだから」


「じゃあ決まりじゃん

 湖の神社からスタートね」


 ゆいが、すぐにメモアプリを開く。

 その勢いに押されながらも、私は心の中で、小さく頷いていた。


 旅なんて、自分には遠いものだと思っていた。

 でも、「日帰り」とか「近場」とか、そういう言葉を添えると、急に手が届く距離に感じられる。


 そのときだった。


「湖なら、ここからだと、あっちの方面がいいですよ」


 背後から、落ち着いた男の人の声がした。


 振り向くと、参道の端に、白い作務衣を着た青年が立っていた。

 年齢は、私たちより少し上くらいに見える。

 黒髪は短く整えられていて、表情は穏やかだ。


「あ、すみません

 今、話、聞こえちゃいましたか」


 ゆいが慌てて頭を下げる。

 青年は軽く首を振った。


「いえ

 風が運んできただけですよ」


 さらりと、でもどこか冗談めかした口調だった。

 けれど、その目はまっすぐで、どこか透明な光を宿している。


「風間神社の宮司の息子で、千歳って言います

 いつも参拝ありがとうございます」


 ゆるく頭を下げると、青年――千歳は、にこりと笑った。


 私は思わず背筋を伸ばす。

 まさか、神社の人に話しかけられるとは思っていなかった。


「湖の神社に行きたいって、聞こえたので

 もしよければ、いくつか候補をお伝えしようかなと」


「え、いいんですか」


 ゆいの声が弾む。

 私も、小さく頷いた。


「ここからだと、電車で行きやすい場所もありますし

 日帰りなら、この辺りが、たぶんちょうどいい距離です」


 千歳はポケットから小さなメモ帳を取り出すと、さらさらと何かを書きつけた。

 文字は、驚くほど整っている。


「地名と、神社の名前です

 ネットで調べれば、写真もたくさん出てきますよ」


 破ったメモを差し出されて、私は両手で受け取った。

 そこには、見慣れない湖の名前と、神社の名前がいくつか並んでいた。


「……ありがとうございます」


 かろうじてそれだけ言うと、千歳は少しだけ首をかしげる。


「静海さん、でしたよね」


「え」


 思わず顔を上げると、千歳は風鈴の方へ視線を向けた。


「お名前、絵馬に書いてありましたから

 去年の夏くらいの

 『日本中の神様の空気を吸ってみたい』って」


 心臓が、一気に熱くなる。


 あの日、そっと結んだ絵馬。

 自分でも忘れかけていた願い事。


 それを、ちゃんと見ていた人がいた。


「願いが動き出すときって、不思議と風が強くなるんですよ」


 千歳は、どこか楽しそうに空を仰ぐ。

 その瞬間、境内をひときわ強い風が駆け抜けた。


 風鈴が一斉に鳴る。

 鳥居が、カラカラと大きな音を立てる。


「……ほら」


 千歳の横顔は、どこか、ここじゃない場所を見ているようだった。


 胸の奥が、また少しほどける。

 でもそれは、さっきまでの静かなほどけ方とは違っていた。


 どこか遠くへ引っ張られるような、くすぐったい感覚。

 旅という言葉が、現実味を帯び始める。


「静海さん」


 名前を呼ばれて、私は姿勢を正す。


「よかったら、また旅の相談、しに来てください

 風間神社は、そういう話をするのにも、たぶん向いてますから」


「……はい」


 自分でも驚くくらい、はっきりと声が出た。


 ゆいが横で、小さくガッツポーズをしている。


「やったね、ななみ

 これで旅のナビゲーター確保だよ」


「ナビゲーターって」


 思わず笑ってしまう。

 でも、確かに心強い。


 風がまた、優しく吹いた。

 風鈴の音が、今度は少しだけ近く感じられる。


 日本中の神様の空気を吸ってみたい。


 去年の夏に願った言葉が、今、少しだけ形を持ちはじめた気がした。


 私はメモ用紙を握りしめながら、そっと空を見上げる。


 青い空の向こう側に、まだ見ぬ神社と、まだ知らない風の音が、きっとたくさん待っている。


 そう思うと、ほんの少しだけ、胸が高鳴った。

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