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すると闇の中からぼんやりと現れた人影が、あっという間に実体を伴った。魔導士のローブを着た少女が一人立っていて、薄笑みを浮かべてジゼルを睨んでいる。
「わたしはジュライモニア。ホムテクトが逃げ出した相手の顔が見たいと思ってここに来た」
「ふうん、麗しの姫ぎみがどうしてこんな辺鄙な場所に?」
ジゼルの言葉にジュライモニアがクスクス笑った。笑顔になるとつい見惚れてしまいそうな美少女だ。
「わたしの事をご存知のようね。ならばこのままお帰りなさい。北の魔女の配下に南の魔導士が手を出すなど許しません」
「ホムテクトはドウカルネスの配下だったと思ったが?」
「ドウカルネスは元を質せば母の側遣い。ご存じなかった?」
今度はジゼルが鼻で笑った。
「そのお気に入りの側使いを無理押しして西に据えたのもあなたの母ぎみ。魔導士界で知らぬ者はいまい。が、それとあなたがここにいるのとどう関係する? 街場にあなたの出る幕はない。第一、ここにいる事、お父上はご存じか?」
これはジュライモニアの痛いところを突いたようだ。
「一介の魔導士が無礼な……」
ジュライモニアの瞳がきらりと光る。ジゼルの足元で、炸裂音と共に何かが弾け飛ぶ。ジゼルは顔色一つ変えない。
「ここは南の陣地。あなたが事を起こせばどうなるかはご承知と思われるが? ちなみに、この街にはわたしの魔導士が六人来ている。必要とあればさらに十人呼び寄せられる。いかがいたしましょう?」
チッと、ジュライモニアが舌打ちし、スッと姿を消した。
「口ほどにもない……」
ジュライモニアが消えた闇をジゼルが腕を組んで眺める。うん、街から出て行った、そう言うと『行くぞ』とロファーを促した。
今のコも魔導士? ロファーの質問に、見れば判るだろう、とジゼルがぶっきらぼうに答える。
「北ギルドの長の娘だ。わたしより、確か三つほど上。母親は『嫣然と微笑む花』と言われ、その娘は『麗しの姫ぎみ』と渾名される美貌」
父親が醜男なら、みなの慰めになりそうだ。が、きっと男前なんだろうな、とロファーが呟く。すると、『うん、なかなかの色男との話だが、大人物との評判のほうが高い』とジゼルが答える。
代々街の魔導士を勤める家に生まれたが、そもそも王家の血筋だし、母親は貴族の出だ、とジゼルが詰まらなさそうに言った。
「はっ、王家の血筋にお貴族様ね。お嬢様が高慢になるはずだ。大人物と言われるその父親も、どうせ同じようなものなのだろう?」
呆れるロファーにジゼルが言いづらそうに答える。
「いや、ホヴァセンシルは温厚篤実と聞く。ただ、妻には甘い。で、娘にも甘い。大抵のことは許してしまう。それで妻と娘は我儘で高慢なんだそうだ」
「なるほど。『嫣然と微笑む花』に岡惚れってわけか。どれほどの美人なんだか」
「もともと妻のほうが夫に夢中になって結婚を迫った。今でも夫に夢中で、我儘ばかり言うが夫の怒りを買わないよう気を付けているという噂もある。しかし、温厚篤実と言われる夫を戦争に駆り立てた張本人も妻。男女の仲は傍からでは判らないと教わった」
「教わったって、誰に? いや、それより、戦争ってなんだ?」
「教えてくれたのは魔導史の教授で――いや、少し話しすぎた。続きはまた今度にしよう」
無駄話はこれで終わりだ、次に行くぞ、と表情のない声でジゼルが言った。
そのまま馬を待たせ、西へ行くことを選んだ。この街を南に出ると南ギルドの地区本拠が置かれた街、北の出口は三人の魔導士が守っている。
「残る逃げ道は西と東、まずは西の護りを固める。東を選べば我らの街に舞い戻るしかない――西の出口に来てくれないかな?」
道の先、次の辻がゆらゆらとオレンジ色に揺らめいている。左に影が伸びているところを見ると、右手のほうが燃えているのだろう。辻にたどり着くと、やはり右手に魔導士が、なんとか炎を押し戻そうと奮戦している。人が二人、両腕を上げて並んだほどの道幅だ。
魔導士が振りかぶった腕を前に向けて降ろすと炎は後退するが、再度振りかぶった隙に舞い戻って来る。まさに一進一退だ。
「ネクルドワラ、苦戦しているね」
ジゼルが魔導士に声を掛ける。
「その声はジゼルだな。見ていないで手伝え」
「手伝うのはやぶさかではないが、ここの炎は中空を燃やしているようだな」
「あぁ、お陰で建物に被害はないが、先へ進もうとする意志が強い。何かを目指しているのかもしれない」
「どれほど食った?」
「人を五人、逃げ遅れた雀を三羽。人のうち二人は何事かと窓から顔を出したところを飲み込んだ。火元は粉屋から逃げ出したメイドだ」
ジゼルがネクルドワラと並んで手を翳すと、炎が怯み後退する。
「なるほど、この火は人を食うことを目的としている。ネクルドワラ、おまえを見て舌なめずりしているぞ」
「冗談はよしてくれ」
ネクルドワラと呼ばれた魔導士が肩をすくめ、ジゼルが笑う。
「弾くより、圧を掛けて押し戻せ。反対側はどうなっている?」
「炎は一区画先が、まぁ、こっちから見ると最後部だ。そっちはアウトレネル様が護っている」
「レーネが出張ってくるとは珍しい」
二人の魔導士が掌を翳し、一歩一歩炎に近づいていく。押されて炎がじりじりと後退していく。
「アウトレネル様はジゼルがこのエリアにいると聞いて、地区拠点に来たようだ。で、現場に来ると見込んでこの街の加勢に来た」
「おや、となると、わたしが目的?」
「グリンバゼルトのこと、いまだに腹に据えかねているんじゃないのか?」
「あれはグリンの身から出た錆というもの。逆恨みは勘弁して欲しい」
「ジゼルの悪戯だと、世間じゃ言っているがな」
笑いながらネクルドワラがチラリと後ろを見る。
「あの若者は?」
ジゼルもちらりと後ろを見る。二頭の馬とともに立つのは、陽の光を映したような髪のロファー……
「わたしが囲い込んだ街人だ。非常食にするには惜しい。どうしたものか、迷っている」
ジゼルの言葉にネクルドワラが再びロファーを盗み見る。値踏みをする目だ。そしてペロリと唇を舐める。
「食えば一口。俺なら玩具にして永く弄ぶ。あの容姿に若さ、健やかな心と身体。知性も教養も街人とは思えない。不思議なのはあの品の良さ。形はただの街人のようだが、貴族か何かの落とし種か? 遊び甲斐はなかなかのものと見る。複雑な保護術はジゼルが掛けたのか? 複雑すぎて何がどうなっているのか判らない」
ジゼルが声を立てて笑う。そして、
「さらに琥珀色の瞳とくれば、魔導士ならみな涎を垂らす。契約した街で見つけたんだが、なかなかの掘出し物。しばらくは手元に置くと決めている。手放す気はない」
ネクルドワラを睨みつける。ネクルドワラは気まずそうな顔でそっぽを向いた。
「判った。ジゼェーラの飼猫には誰も手出しするな、と言っておく」
「いい心がけだ、ネクルドワラ。人の持ち物に興味を示すな」
ネクルドワラがロファーを欲しがっていると察したジゼルが牽制したようだ。
はっきり、手放さない、と言われればネクルドワラは強請ることも、掠め盗ることもできない。ジゼルを怒らせる前にネクルドワラは退散した。
バンバンバン! と連続してジゼルが掌を煽り、炎が大きく後退する。後退した炎をネクルドワラが押さえつけ、炎は動きを止めた。
その炎を透かして、あちら側に人影が見えた――
サッフォとシンザンは最初の距離を保ってジゼルについて来ている。途中サッフォが袖を引いてきたので、ロファーも二頭の馬の傍にいることにした。
何もできないし、何をしていいのか判らない。ついてきた意味も判らない。
忘れられているのかと思うほど、ジゼルはこちらを気にする様子もない。この場にいる自分が腹立たしい。
あんなに心配したのに、ジゼルは本人の申請通り『大人顔負け』のご活躍だ。怖がっているように見えたが、この街に来てから一切そんなそぶりを見せない。
さっきの大通りでは、姫ぎみと呼んだ魔導士に対しても自分のほうが上、と言った態で、しかも足元で小さいとはいえ爆発が起こっても微動だしない。
この辻でもロファーを置き去りにして、大人の魔導士と肩を並べ、しかも何やら談笑しながら炎に向かっている。
そりゃあ、昨日知り合ったばかりのロファーよりも魔導士のほうが親しいのだろうが、存在を無視されているようでいい気はしない。二頭の馬と一緒にいる自分は馬と同じ扱いなのかと、自分でそうしているくせに不満を感じる。
それでもどうすることもできない。二頭の馬と並んでジゼルを見守っていると、チラチラとこちらを見て魔導士と言葉を交わし始める。二人の会話は聞こえない。が、根拠もないのに悪口を言われていると感じるロファーだ。
こんな事ならオーギュと一緒に魔導士の住処にいればよかった。そうロファーが思ったとき、ふいにサッフォが頭を寄せてロファーを自分のほうに寄せようとする。そして膝を折って背を低くした。乗れ、と言っているようだ――
炎の向こうに見える人影もこちらに気が付いた。やたらと攻撃の手を強め、炎は苦しんで身を捩り始める。早く炎の相手を終えて、こちらと合流したいのだ。
「ホムテクトがわたしの街に逃れた」
ジゼルがニヤリと笑う。ネクルドワラも、
「行くかい? アウトレネル様に捕まる前に」
と、やはりニヤリと笑みを浮かべる。
「あとは任せた」
と言うと、サッと手を振って炎に一発投げてから、ジゼルはシンザンに駆け寄り、ひらりと馬上の人となる。そして近寄って来たサッフォの背にいるロファーに
「待たせたね」
と微笑んでから、サッフォの首に手を掛けた。
「我らの街に帰るぞ」
ジゼルの瞳が光る。瞬時に二人と二頭の姿がその場から消え去った。




