13
隣街の消火は隣街から見て南の街の魔導士がギルドと連絡を取って当たっている。わたしはまずわたしの街の安全を図る、とジゼルが言った。
「あまり騒ぎ立てないように。だが念のため街人は家に入り、出ないよう指示を」
と長老に言い渡す。
長老の屋敷を出ると、
「粉屋と聞いてロファーの鼓動が早くなった。粉屋の娘、あるいはその恋人と知り合いか?」
ジゼルがロファーに訊いた。
「さっき配達に来た粉屋のオーギュ、あいつの恋人が西の隣街の粉屋の娘と聞いている。でも、粉屋はほかにもあるし」
「それでその二人が狙われているのでは、と思ったんだね。残念ながらその勘、あたっていそうだ。それにしてもなんでハック?」
「文のやり取りにオーギュはハックに代書を頼んでいる。だからハックなら待ち合わせ場所を知ってるんじゃないかと思った」
「ほかに二人が恋仲だと知っているのは?」
「多分いない。オーギュも彼女も粉屋の跡取りで、一緒になれるか難しいんだ。だから内緒にしてた」
「内緒で良かった。ヤツがオーギュの居所を知る可能性が低くなる」
ハックの店につくと、あなただけで行って欲しいとジゼルは馬を降りなかった。
「ヤツはすでにわたしに気が付いてこちらを見ている。わたしが店に入ればハックも危険だ」
ロファーが店に入って行くと、何があったんだ? と不安そうにハックが訊いてきた。
「なんだか街が落ち着きを無くしている。それに、ロファーがこの店に来るなんて何かあったとしか思えない」
「うん。オーギュのことで少し聞きたい」
以前、オーギュは西の隣街の粉屋の娘と文のやり取りをしていると教えてくれたが、この街のどこで逢おう、なんてやり取りはなかったか?
「そこまでは代書屋として、いくら相手がロファーでも言えない」
とハックは拒んだが、
「魔導士様のご依頼なんだ。相手の娘とオーギュに危険が迫っている。二人を助けたい」
ロファーの真剣な顔を見て、ハックの顔色が見る見る青ざめる。
「それで街は騒いでいるのか」
オーギュがいつも使うのは山茶花亭だ。入り口が人目につきにくい作りになっているし、値段も安い。
「ありがとう、ハック」
「必ずオーギュを助けてくれ」
青ざめたままハックが言った。
山茶花亭はロファーの店がある大通りから二本奥の裏路地にあり、いくつもの道筋を使える。毎回違う道を使えば『よく見かける』と思われずに済む。それを狙ったのだろうと思った。
オーギュたちは山茶花亭だとジゼルに教えると、
「そうか、それではまず酔客に行くこととしよう」
と言う。
「言っただろう、わたしを見る者がいる。わざわざ敵に獲物の居所を教えることはない」
「それって、向こうにはこちらの居場所が判ってる?」
顔色を変えるロファーにジゼルが笑う。
「いや、場所は特定できない。魔導士の気配を感じているのだよ」
派手な術でも使わない限り、場所までは判らない。それはこちらも同じだ。気配はひしひしと感じるが、よほど近寄らない限り居所までは判らない。
ただ、通った道を通れば、先ほどまで此処にいたと感じることはできる。これからパブや宿屋を一軒ずつ回り、それぞれの前でハックの店の前にいたのと同じほどの時間を過ごす。
「これでヤツはどれが本命か迷うはずだ」
そんなに簡単に行くのか疑うロファーにジゼルは、
「先にこちらがヤツを見つける。問題ない」
と言い切った。念のための処置でしかない。
酔客、吉祥旅館、猫の額、と周り四件目はグレインの店だった。するとジゼルが
「ロファーの鼓動が微妙に変化した。知り合いの店か?」
と訊いてきた。隠す必要もないので
「友人のグレインの店だ」
と答える。
「なるほど、自分の名を店名にしたか。あなたの友人は自信家なのだな」
「自信家と言うより、自分がどれほどの努力をしたかを知っている、そんな男だ」
「努力家か。ならばロファーともさぞや気が合うことだろう。似た者同士だな」
と、ジゼルがにっこり笑う。狼狽えるロファーを尻目に、
「店に入る、案内を」
とジゼルが言う。
「店の前に行くだけで次に行くんじゃなかったか?」
馬を降りながらロファーが問うと、
「気が変わった」
と、手を差し出してくるので馬を降りる手助けをするが、やはりふわりとして、ロファーが重みを感じることはなかった。
グレインの店は昼の営業がひと段落ついて客足は疎ら、夜の営業の準備を始めようかと言ったところで、まだ酔っぱらいは居なさそうだ。
ドアに取り付けられたベルがチリンとなって、カウンターの奥にいたグレインが入ってくるロファーを見た。
「なんだ、ロファー。今日はやけに早いな。もう店を閉めたのか?」
と、声を掛けてくる。そしてロファーの後ろに続くジゼルに気がついた。
「これはこれは、魔導士様……いらっしゃいませ」
グレインの店は割と広く、四人座れるテーブル席がいくつも置かれ、奥は八席ほどのカウンター席になっている。カウンターの向こうは狭いキッチンで、背にカップボードと酒棚が並び、その間には自在扉がある。自在扉の奥は本格的な厨房だ。カウンターのキッチンでは皿に盛るだけの品や酒の用意をし、カウンターに座る客の話し相手をする。調理と洗い物は奥の厨房で、配膳などでフロアに出るにはカウンターの脇に取り付けた跳上戸を使う、といった具合だ。
グレインの言葉に、客たちがジゼルを見た。こそこそと何か話し始める者もいる。ジゼルはそれを気にすることもなく、グレインに鷹揚に会釈すると
「長老から、『自宅で控えていろ』と告げがなかったか?」
と訊いた。
「あぁ、来ましたね、そう言えば」
グレインは少しむっとしたようだ。
「けどね、魔導士様、俺が店を開けなければ、飯を食逸れる連中がいる。この街のうちみたいな店はどこも同じだ」
それにジゼルはニッコリと『そうか』と答えた。そして、
「ではくれぐれも用心するように。行くぞ、ロファー」
さっさと店を出ていく。
いったい何がしたかったんだ? 不可解だが、ジゼル一人を行かせられない。
「悪いな、グレイン」
と言いおいて、ロファーは後を追うしかない。
出入口のドアの前でジゼルが足を止め、振り返った。釣られそうなロファーの耳の中に『見るな』とジゼルの声が聞こえた。見ようにもロファーは首が回せず、ニヤリと笑ったジゼルが前を向き、ドアの外に出るのに続くしかなかった。
店を出ると、ジゼルは馬に近寄り、馬面を撫でた。すると馬は勝手にどこかへ行ってしまう。
「おい、馬、どうしたんだ?」
慌てるロファーに、
「隠れるように言った」
ジゼルが涼しい顔で言う。
「グレインの店が広場の前で良かった」
中央の噴水に向かってどんどん進んでいく。が、思い直したように振り返った。
「あなたはグレインの店にもう一度入って……グレインに、見慣れない顔の客は来なかったか、聞いてきて」
そう言われれば従わないわけにはいかない。
店に戻ろうとすると、店から出てくる客がいた。視線をジゼルに向けている。見かけたことのない顔、まさか? 擦れ違いざまにチラリと男を盗み見てしまった。その瞬間、男が殴りかかってくる。
「!」
殴られる、そう思うと同時に、身体は本人の意思を無視し横っ飛びに動いていた。何が起きたか判らず困惑するロファーの耳に、ちっと舌打ちが聞こえた。振り返ると、居たはずの男がいない。
慌ててジゼルを探すと噴水の前で、男と距離を置いて対峙している。
(ジゼル!)
叫びたいのに声が出ない。駆け寄りたいのに身体が動かない。頭のなかで『あなたはそこにいなさい』とジゼルの声がした。
男はジゼルとの間合いをじりじりと詰めていく。ジゼルはと言えば、そんな男を微笑みを浮かべて見ているだけだ。
「この街の魔導士だな。名前は?」
と、男の声がする。
「さあ? あなたこそ名前は?」
挑発するようなことをジゼルは言う。
「どうせ、名乗れるほどの名でもなさそう」
ジゼルは男に笑顔を向けたままだ。
「は? 俺は魔導士ホムテクト、西の魔女に仕える者」
「西の魔女? ドウカルネスか。ドウカルネスに仕える者がなぜ、市井の者の悪事に加担したのだ?」
「おのれ、西の魔女を呼び捨てにするとは」
男が表情を変えたのがロファーにも判った。しかし、魔女? いったいなんだ、それは?
「ドウカルネス様の思惑が、おまえになど理解できるはずもない。この街の魔導士になった不運を恨むのだな」
男が両手を振りかぶり、それをジゼルに勢いよく向ける。男の両手から炎の弾が飛び出しジゼルを襲った。
「!」
思わずロファーが息をのむ。
弾は確実にジゼルに向かい、ジゼルに命中した。が、ジゼルを通り抜けて消えた。相変わらずジゼルは笑んでいる。
「なるほど、この件はドウカルネスも承知なのか」
「お、おまえは……」
今度こそ男は驚きを隠さない。
「おまえは、まさか?」
「わたしが? わたしのことはどうでもいい、そろそろあなたを拘束させてもらおう」
「させるか!」
男は次々と炎の弾を出現させジゼルに打ち込む。その全てがジゼルを通り抜け、ジゼルは涼しい顔で男へと近づいていく。
「あっ!」
一瞬の隙だった。男の炎弾が一筋ロファーに向かう。ジゼルが僅かに男から視線を外し、ロファーを見た。見ると同時に炎弾は消えた。
ちっ、舌打ちするのはジゼルの番だ。その一瞬で、男は姿を消している。
「逃がしたか……まぁ、いい。行く先は判っている」
身体が動くようになったロファーがジゼルに駆け寄る。馬も戻ってきた。
「ジゼル、今のはいったい?」
「うん、驚かせて済まなかった。もっと早くグレインの店に戻すか、いや、グレインの店で待たせればよかった」
ロファーの顔を見、ぐるりと周囲を巡り、ジゼルはロファーに怪我がないか見ているようだ。
「グレインからあの魔導士の気配が濃厚に漂ってくるのを感じた。だから店に入り、出てこい、とヤツを誘ったのだ」
「出口で立ち止まって振り返ったときか?」
「わたしが店に入ると同時に、ヤツはわたしに気が付いている。当然、店にいる間、わたしがチラチラ自分を見ていることにも」
ロファーは全く気付いていなかったけどね、とジゼルがニヤッと笑う。
「ヤツの殺気が気になって、さっさとグレインの店を出た。店の中で始めるわけにはいかない。流石に怪我人を出すことになりそうだ」
店に入る前はどう挑発するかと思案したけれど、そんな心配はなかった。入って出るだけで、ヤツは魔導士のわたしを追って店を出ただろう。
「わたしはあの男を捕らえるため、西の街へと向かう」
今、見たように常人のロファーにとっては危険だ。もっとも先ほど男の誘いに乗り、ロファーに向かった攻撃を追ってしまったのはわたしのミスだ。
「あの程度なら保護術が有効なロファーを傷付けることはなかった。少し吹っ飛ばされる程度だ」
「吹っ飛ばされるって……」
「だが、西の街で追い詰めればヤツも本領を発揮する。ここで見せた攻撃はほんの茶番だ」
ヤツの狙いは『火』だ。火で焼くことが狙いだ。火で焼かれる苦しみをヤツは集めたいのだ。西の魔女がそれを望んでいるのだろう。
「そしてヤツは『炎』を扱うことに長けている。ヤツが点けた火は並みの魔導士では消すことができない」
「ヤツの狙いが燃やすことだとして、なぜこの街に火を放たない?」
「攻撃術を使うには一定の規則のようなものがある。敵対関係のない街人相手に攻撃術は使えない。だが一度敵対すれば、その相手に関わる全てに攻撃術が使える。だから隣街のあの親の、依頼を引き受ける必要があった」
引き受けることにより敵対関係を生じさせ、攻撃術を使うことが許される状況を作りだした。
「だからこの街では、粉屋の娘か、その恋人のオーギュを見つけ出さない限り、攻撃術が使えない」
ロファーに殴りかかったのは攻撃術をロファーに対しては使えないから、物理的な攻撃をしたのだ。わたしに攻撃できたのはお互い魔導士だし、さらに魔導士の決闘を始めたからだ。
「互いに相手の名を質した。それが決闘の合図だ」
わたしとヤツが決闘を始めたことによって、わたしの助手のロファーとも敵対関係が成立し、攻撃術をロファーに向けることができるようになった。
そんなことがなくても、この街の魔導士であるわたしは必要があればいつでも、相手が魔導士だろうが街人だろうが攻撃できる。街を守るという使命のために。
「それで、だ」
わたしはあなたのために隙を見せてしまった。ヤツはあなたをわたしの弱点だと認識した。それを利用するだろう。
「決闘は終わっていない。今度はすぐにヤツも攻撃を始める。あなたへの保護術は強化するが危険なことに変わりない」
この街に留まるか? それとも一緒に西の街へ行くか?
「俺は足手纏いということか?」
「いや、違う」
あなたは傍にいるだけで、わたしを魔から守ってくれる。必要なことに変わりはない。
「だけどオーギュたちのこともある。あなたに頼みたいと思っている」
「俺にオーギュが守れるのか?」
「わたしの住処ならば安全が確保できる。オーギュたちを連れてわたしの住処に向かってほしい。あなたたち三人をわたしの妖精が守るだろう」
「それで? それでおまえを誰が守る?」
ロファーの言葉に
「わたしは魔導士なのだぞ?」
笑うジゼルの声は震えている。
「自分の身は自分で守る」
「声が震えているのはなぜだ?」
ロファーは容赦ない。黙り込んだジゼルに
「なぜだか言ってみろ?」
追い打ちをかける。ため息をついてジゼルが白状する。
「実は実戦は初めてなのだよ。そこに、西の魔女が出てきたら、と思うと自信がない。魔女の力は魔導士よりも強い。たぶんわたしは怖がっているのだと思う」
「その『魔女』とは何だ? 聞いた事がない言葉だ」
「常人のロファーには知られてはいけない言葉だ」
だが、いずれ説明するときが来る。その時まで待ってほしい。
「魔導士の誓約ってやつか? 本当に魔導士とは面倒なものだな」
怒った声で言い捨てて、ロファーは馬に乗った。
「俺はおまえと一緒に西に行く。オーギュにはフロントに伝言を残そう。それでいいな?」
ジゼルは頷くと、まっすぐにロファーを見、差し出された腕に掴まる。しっかりとした重さを感じて、ロファーはジゼルを引き上げた。




