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ダンスは暁とともに  作者: 寄賀あける


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12

 やっと発酵が終わったパンの一部をパン(だね)として残し、残りは小さく丸めて成型する。しばらく待つと生地はまた膨らみ、こぶし程度の大きさになった。それを(かまど)の横に(しつら)えられたオーブンに入れて焼けば出来上がりだ。


 三倍に膨らんだ生地を見て大喜びし、さらに膨らんだ生地を見てまた大喜びするジゼルに、今度焼くときはチーズやレーズンを混ぜてもいい、表面に胡麻や砂糖を振ったり、切れ目を付けてバターを乗せて焼いてもいいと、ロファーが言うと、やっぱりジゼルはよだれを垂らしそうになった。美味しそうだね、と味を想像しているのが見て取れる。


 早く焼けないかなぁとオーブンの前に屈み込んで離れず、ロファーに

「あまりくっ付くと鼻の頭を焼くぞ」

と言われても気にする様子はない。


 そのジゼルが、まだ焼き上がりには間があるというのにふと立ち上がり、窓の外を見た。どうかしたかと問うロファーに

「街で何かあった」

と顔色を曇らせる。


「街の出来事が判るのか?」

「この街と魔導士として契約したことで、わたしには街全体に感覚を張り巡らせる権限ができた」

いわば縄張りのようなものだ。その中で何か異変があれば、すぐにわたしの知るところとなる。


「どうやら長老のところに隣街からの伝令が届き、街で騒ぎになっているようだ」

ちょっと静かにしてて。街を見渡してみる……とジゼルが言う。すると部屋が少し暗くなったようにロファーは感じた。


 ジゼルは目を閉じると、胸の前で祈るように両の(てのひら)を合わせ、口の中で何か言っている。次には、カッと目を見開き、腕を左右に広げた。その顔からはあどけなさが完全に抜け、むしろ怖いくらいの形相だ。


(目が、光っている?)

見開いた瞳からオレンジ色の閃光が飛び出したようにロファーには見えた。みんなが恐れる魔導士の力って、これか……そう思わずにはいられなかった。


 ふう、と息を吐いて脱力すると、いつも通りのジゼルに戻っていた。


「どうだった?」

たまらずロファーが尋ねる。

「うん……」

とジゼルは浮かない顔だ。


「わたしの保護術を誰かが破った形跡があった。そんな必要はないだろうと、簡単なものしか掛けていなかった」


 なんだ、それは? と聞くロファーに

「街の全ての入り口に悪人除けの術を掛けておいたんだよ。それを破って誰かが潜入した」

簡単なものだから、魔導士ではなくても、強い意志や目的を持って街に入ろうとする者までは拒めないものだった。


 どうせ、コソ泥やペテン師、掏摸(すり)くらいしか来ないと踏んだ。街の入り口を通る際、そんなヤツ等に『この街はやめておこう』と思わせるには充分なものだった。


 けれどまた、簡単なものだからこそ、破られても気が付けなかった。強い術が破られれば瞬時に判る。

「けれどね、サインしなくても使える術としては最強の物でもあったんだ」

とジゼルが続けた。

「もっと強い保護術はサインともいえる形跡が残る。誰が掛けた術なのか、魔導士には判ってしまう。できればそれは避けたい。敵だとしたら、魔導士の存在を知られた上、こちらの力を知らせることになる」


 魔導士の名前が判れば、その魔導士がどの程度の力を持ち、どんなことが得意かすぐ調べられる。手の内を知られることになるんだよ。


「おい、敵ってなんだよ?」

「魔導士ギルドの中にも勢力争いがあるんだ、ロファー」


 通常は、魔導士間だけのものなのだけれど、たまに愚かな魔導士が関係のない人を巻き込んで闘いを仕掛けてくることがある。


「それで、だ。今回、わたしの保護術を破ったのは、間違いない、魔導士だ」

この街に魔導士がいることにヤツは気が付いている。それでもこの街に入ってきたのは何か狙いがあるからだ。


「この街の魔導士に成り代わろうとかと言うのなら、相手をするのもさほど難しくない。だが、西側の隣街から長老に伝令が届き、破られたのは西の入り口。悪人除けの術が発動し、ヤツに知られて破られている。よくない企みを持った魔導士に間違いない」


「長老に来た伝令の内容は判らないのか?」

「大騒ぎで却って聞き取れない。じきに長老からの使いがここに来る。それを待つしかないな」


 そう言いながらジゼルがオーブンを覗きこむ。

「もう、焼けたかな?」

慌ててオーブンを覗くと丁度良い焼き加減だ。


「長老の使いが来れば、出かけなければならないだろう。少し食べて腹ごしらえしよう」

ジゼルが涎を垂らす。


 オーブンから出したパンは香ばしく、ジゼルが食欲をそそられるのは判らないでもないが、

「こんな時にのんびりしていていいのか?」

ロファーのほうが落ち着かない。


 ジゼルは焼き立てのパンを取ろうとして、熱さに手を引っ込めた。

「相手が誰でどんな意図を持っているのか判っていないのに、慌てても仕方ない」

パンを見ながらジゼルが言う。


「大丈夫、何があってもロファーはわたしが守るから、心配ない」

「いや、別に俺は自分を守って欲しくて言っているわけじゃない。パンはもうちょっと待たなきゃ、熱くて食べられない」


「そんなに怒らないでよ。ロファー」

今度は指でツンツンとパンを突きながら言う。

「焼き立てのパンを初めて見た。こんなに熱いものなのだね。今まで焼かれていたのだから、当然だけど」


 焦れるロファーを全く気にする様子のないジゼルが急に

「そう言えば街には何軒の宿屋がある?」

と訊いてきた。


「ジュードの『星降る宿』と、『山茶花亭(さざんかてい)』『吉祥旅館』の全部で三軒だ」

「レストランとか、パブは?」

「レストランは『山の煙』と『南風』『山椒の実』の三軒、パブは『猫の額』『どこふく風』『酔客』『デンでけデンのドンどこドン』『葡萄樹』『グレイン』の、えっと、六軒か。それがどうかした?」


「侵入者は街人ではないのだから、宿に泊まるか飲食できる所に寄るだろう、と思っただけさ」

なんだ、まったく気にしてないわけじゃないんだ。少しロファーが安心する。


「よし、パンを食べよう。お茶を入れる余裕はなさそうだから、湯冷ましでいい」

言うが早いかジゼルは、パンを千切って口に入れている。やれやれ、とケトルに残っていた湯冷ましをカップに注いでやる。にこりとしたところを見ると、パンはお気に召したらしい。


 確かに、このあとどれくらい時間がかかるか予測できない。ロファーも思い直してご相伴に預かることにした。せっかく作ったスープを落ち着いて食べられるのはいつになるのだろう。


 ロファーが一つ食べ終わるころ、

「来た」

と、ジゼルが呟いた。


「今、わたしの結界の中に長老の使いが入ってきた。ロファー、相手をお願い」

そして程なく呼び鈴が鳴る。いつの間にか呼び鈴を付けたのだろう、そう思ったが、やはりロファーは気にしないことにした。


 ロファーが出ると、

「長老がすぐに魔導士様においで願うと言っている」

自警団のアルスが青い顔で言う。


「西の隣街が襲撃されて、あの街の魔導士は殺された。襲撃した者の正体はよく判っていないが、火が放たれ、いまだ消えず、大勢の死傷者が出ているらしい」

するとロファーの後ろから、『承知した』とジゼルの声がする。


 ロファーが横に退()くと顔を見せ、

「ご苦労だった」

とアルスを労う。


「ロファーに水を貰ってから、すぐに行くとわたしが言ったと長老に伝えてくれ。支度してから行くってね」

ロファー、頼んだよ、とキッチンにある入り口からステンドグラスの部屋に姿を消した。


 アルスが帰り、おまえのような子どもの出る幕じゃないと、ステンドグラスの部屋に行こうとするが、あったはずの入り口は壁で塞がれている。


 焦れたロファーがその壁を叩こうとすると、何かがその手にぶつかってくる。仕方ないので

「ジゼル!」

と名を呼ぼうとするが、今度はなぜか声が出ず、咳込むばかりだ。


 そうこうするうち突然、壁が消え、ジゼルが姿を現した。銀色のローブを着こんでいる。深紅のモールで縁取られ、フードが付いたものだ。


「サッフォに連れてってもらう。二人乗りはできるか? わたしを乗せて長老の屋敷まで、ギャロップで」

「待て、子どものおまえを行かせるわけにはいかない。いくらなんでも危ない」

「おや、わたしを心配している?」

ジゼルがにこりとする。


「大丈夫。わたしは魔導士としては大人顔負けなのだよ」

「でも!」


「でも? わたしは魔導士としてこの街と契約した。それを破れば魔導士の誓約に反することになる」

それが何を意味するか判って言っているのか?


「それは……」

「大丈夫、なんの問題もない。街なかに火を放って逃げる時間を稼ぐような魔導士なんか、大したことない」


 そう言いながらジゼルは食べかけのパンを口に放り込んだ。

「さすがに味わっている余裕はないや」

すぐに水で流し込む。


「行くぞ、ロファー」

ローブを(ひるがえ)し、ジゼルは外へと通じるドアに向かった。翻ったローブの陰に銀色に光る剣をロファーは見た。


「剣が必要だなんて、やはり危険なんじゃないのか?」

訊くとジゼルはさらりと、

「力を強化させる効果を持つ剣だよ」

と言った。


 外に出るとサッフォがいて、どうやって馬小屋から出たんだと思ったが、それをジゼルに聞くのは馬鹿だと黙っていた。


 先に乗ってジゼルの手を引くと、まったく重さを感じさせずジゼルは馬に乗ってくる。もう、いちいち気にしていられないと、なんにも言わずロファーは手綱を握った。


 街なかに入っていくと慌ただしさは感じるものの、今のところこれと言った変化はないように見えた。


 流石に長老の屋敷は人の出入りが激しくなっていて、ジゼルを見ると

「魔導士様がいらした」

と奥に知らせる声が響いた。


 事の発端は若者同士の喧嘩だった。一人の娘を巡っての喧嘩だったが、一人が大怪我を負った。娘は二人のどちらとも気持ちを通わせていたわけでもなく、大怪我をしようとさせようと、どちらにも得はない。


 それなのに、大怪我をさせられたと怒った親が、どこかで魔導士を雇い、相手の若者を襲わせたのだという。その魔導士は、若者を雇い主の屋敷におびき寄せ、雇い主の見ている前で若者を(なぶ)り始めた。


 そして、『そろそろやめろ』と雇い主が制するのにも関わらず、若者を痛めつけることを楽しみ、そして果てには殺してしまった。雇い主が恐れ(小野の7)いて街の魔導士に訴えようすると、魔導士は裏切られたと激怒し、雇い主やその家族、自分が殺した若者の家族を次々に襲い、皆殺しにした。


 更に魔導士は若者同士の喧嘩の許となった娘とその家族を襲う。家族は皆殺しにされたが、娘はたまたま街を離れていて、今のところ難を逃れている。


 襲った家に火を放った後、魔導士は姿を消し、どこへ行ったか判らない。ひょっとしたらこの街に娘がいると思い、追って来ているかもしれない。


  もちろん街の魔導士はそれらの犯行を、指を咥えてみていたわけではない。止めようとしたものの、奮闘むなしく殺されている。


  三か所の火元は必死の消火にも関わらず勢いが衰えることなく、どんどん燃え広がるばかりだ。街は近隣に応援を求め、早馬を出した。


  当事者が皆殺しにされているのに、なぜ事情が判ったのだろう? 話を聞いていたロファーは不思議に思ったが、ジゼルが何も言わないので黙っていた。きっと先行した魔導士が調査したのだ、と自分を納得させた。


「なるほど……」

とジゼルが腕を組む。

「火を消すことを優先するか、この街に逃げ込んだ娘を助けるか」

「魔導士様、賊は娘を追ってこの街に?」

長老が恐る恐る訊いてくる。


「そうだね、すでに入り込んでいて、こちらの様子を窺っているし、娘の行方を探している。そして娘もこの街にいる」

事も無げにジゼルが答える。

「娘を見つけたら殺して、また火を放つつもりだろう」


 ひぇっと長老の口から悲鳴が漏れる。

「魔導士様のお力でなにとぞ回避を」

と泣きそうだ。


「長老、その娘の生家の生業は?」

「確か粉屋かと」

長老の答えにロファーが青ざめる。まさか、オーギュの?


「その娘がこの街に来ているかもしれないとは、理由があるのか?」

「ここのところよく来ていたらしく、どうやら誰かは判りませんが恋人がこの街にいたようです。多分今日もそうだろうという事でございます」


「と、いうことだ、ロファー。この街で恋人が密会するとしたらどこだ?」

「代書屋のハックなら知っているかもしれない」


「よし、ハックの店に向かおう」

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