10
今すぐ食べると言うのを、食べたら夕飯がなくなると宥めて、涎を垂らしそうなジゼルを、
「そう言えば、詳しい話を聞いていない」
と居間に連れて行く。
「詳しい話? なんだったっけ?」
忘れっぽいのか、惚けているのか? 表情からは読み取れない。
「ほら、保護術が有効だとかって話の後に、詳しい話は明日だって昨日言ったのを覚えてないか?」
ジゼルは少し首を傾げた。傾げる方向がいつもと反対だなと思いながら、思い出すのをロファーが眺めていると、一瞬ジゼルの瞳が光ったように見えた。
「あぁ、思い出した。わたしが力を使い過ぎた時のことを話そうと思っていたんだった」
と、にっこりする。
「そんなに難しいことではないよ」
本棚の横のソファーに腰かけて、ジゼルが言う。
「力を使い過ぎるとわたしは身体が冷えてしまうことがある。いつでも、と言うわけではないのだけれど」
ソファーはもう一人や二人、余裕で座れたがなんとなく気が引けて、ロファーは中央のテーブルの椅子に腰かけた。
「そんな時は何しろ温めて」
自分では動けなくなるほど身体が冷えてしまう。そうなる前に兆候があるから自分でも備えるのだけれど、動けば冷えを助長する。なるべく早く回復したい。だから手伝って欲しい。
「温めるって、暖炉に火を熾すとか、ケットで包むとか?」
ロファーが訊くと、
「うん、暖炉に火を熾して、わたしはベッドに潜り込むから、クローゼットからケットを出して、あるだけ掛けて。それでも寒いと言ったら、ベッドに入ってあなたの体温で温めて」
「……雪山で遭難した時にやるように?」
「あぁ……似たようなことだね。ただ、雪山だと肌を直接触れ合わせたりする。わたしの場合は、服のままだ。それは必ず守るように」
「まぁ、その方がお互い気まずくなくていいだろしね」
ロファーが言うと
「なぜ気まずいと?」
ジゼルが問う。
「いや、いくらなんでも肌を触れ合わせるなんて、普通、他人とはしないことだ。おまえがいくら子どもだと言っても、抵抗感が拭えない」
「ロファーから見ると、わたしは子どもなのだね」
ジゼルがため息をついた。
「大人と思えというのか? そりゃあ無理だろう」
「いくつなら大人と言える?」
「うーーん……成人は十七だけど、十六くらいなら大人の仲間に入れてもいいかもしれないね」
適当なことを言うロファー、
「では、早く十六になることとしよう」
ジゼルが笑った。
「おまえは、だ。年齢以上に心が幼い」
さっきも言ったが、嬉しくて相手に抱き付くのは子どもがやることだ。
「大人の振る舞いや考え方ができるようになるまでは、齢が行ったって子どもだ」
まだ何か言おうとするジゼルに
「この話は判った。もう終わりでいい」
ロファーは話を打ち切った。
「ほかにもなにか注意する事があるのか?」
ロファーが訊くと、
「あるよ」
ジゼルが即答する。
「わたしが呪文を唱えているときは、話しかけたりして邪魔をしないこと」
まぁ、邪魔されたってロファーを黙らせることぐらい簡単だけど、痛い思いをさせるのは本意じゃない。
「術を使うとき、いくつか命令することがあるけれど、それはロファーの安全のためだから必ず守る事」
背きそうなら、操ってやらせることもできるけど、痛い思いはしたくないよね?
「そしてわたしの呼び出しには必ず応じる事」
緊急の用事があるから呼ぶ。だから無視しないで欲しい。無視したら、その時は転送するけど、きっと身体に痛みが ――
「待て、俺は間違えるとしょっちゅう痛い思いをしそうに聞こえるが?」
「うん、そうとも言える。契約書にサインしたから仕方ない」
魔導士の誓約に比べたらどうってことないと、ジゼルが笑う。
「誓約に反すれば魔導士は存在すら消されてしまうときもある」
「存在を消されるって、殺される?」
流石のロファーも顔色を変える。
「その誓約って、どんな?」
「魔導士の誓約の内容は他言できない。誓約違反だ。目の前で、わたしが消えていくのを見たくはないでしょう?」
ジゼルは笑うが、ロファーにしてみればとんでもない話だ。
「だからおまえ、いくつなんだよ? おまえみたいな子どもにそんな重いものを背負わせるなんて、魔導士ってのはロクでもない」
「ロファー、怒らないで」
ジゼルは穏やかな口調だ。泣き出す様子もない。
「誓約は魔導士自身をも守るものだ。そして、守れない誓約などない」
納得できないロファーを
「一つ忘れないでいて欲しい」
ジゼルが見つめた。
「ロファー、わたしは嘘を吐く。と、言うか、魔導士は嘘を吐けないが、真実の中に嘘を隠すことには長けている。あるいは本当のことを言わずに誤魔化す。だけどあなたに言うそれらは全て、ロファー、あなたを守りたいからだ」
それ以外の理由であなたを騙したりはしない。だから、わたしをを信じ、あとから偽りだったと判っても嫌わないでいて欲しい。
「なんだか随分虫のいい話に聞こえるが?」
苦笑するロファーに、ジゼルは悲しげな視線を向けた。
そんなジゼルの顔を見ていると、なんだか虐めているような気分になり、
「そりゃあ、なんだな。誰にでも立場ってものがあるよね」
気にするなと、つい口にしたロファーだった。
それからパンの発酵が終わるのを待ちながら、ジゼルは先ほどと同じように空間と遊び、ロファーは本棚の前に立って様々な本を出させては驚いたり、読んだり、納得したりしていた。
もともと本好きのロファーだ、なんでも出してくれるという本棚に興味を持たないはずがない。
「なぁ、ジゼル、魔導術の本が出てこない」
とロファが苦情を言うと、
「常人のロファーには魔導術の本を読む権限がないからだ」
とジゼルが答える。
なるほど、と納得したように見えて、
「ジゼルには権限があるんだろう? だとしたら、ジゼルが出させた本を俺が読むってことはできる?」
と更にロファーが訊いてくる。
「それも無理。権限のない者が手にすれば、自動的に蔵書庫が取り返す。そんなに魔導術の本が読みたい?」
「いやさ、禁書以外は本棚が出してくれると言っていたから、制約なしに出てきたんじゃ、いろいろ不都合もありそうだと思って。試してみたら案の定だったんで、確認しただけだよ」
「ロファーはやっぱり面白いね」
ジゼルがクスリと笑う。
「不都合があればわたしが許可するはずもない。ちなみに本棚の前に立てば誰でも、と言うわけじゃない。ロファーはわたしの助手だから本棚も出してくれる」
わたしがロファーに、本棚から魔導術の本を持って来い、と命じれば、その時は本棚も指定した本を常人のロファーでも出してくれる。
「ただし、本を開くことはできないか、開いても何らかの事情で常人のロファーには読めない。文字が消えるとか滲むとかだね」
今度こそ、なるほどね、とロファーは本心から言った。
「ところで、ジゼルはときどき宙を見て、頷いたり、何かこっそり話したりしているよね。あれは何?」
気になっていたことをロファーがとうとう切り出した。
「何か、宙にいるのかい?」
すると事も無げに、
「妖精と話しているだけだよ」
ジゼルが答える。
「常人のロファーには見えないけど、わたしを守る妖精がこの家を守っている」
「妖精ですか?」
どう答えたらいいか判らず、訊かなきゃよかったと思うロファーだ。
「うん、妖精。魔導士学校を出て暫くしてから現れたのだけど、わたしの傍でわたしを守ってくれている。誰にでもそんな妖精がいるわけではないし、魔導士なら誰にでも見えるというものでもない」
だから常人のロファーには見えなくても仕方ない。とジゼルが笑う。
「ジゼルには特別に妖精が付いている、ということ?」
とロファーが問うと
「特別と言うより、母がそうしたと聞いている」
と答えてくる。
「わたしの両親がわたしを手放したのは、わたしが普通じゃなかったからだ」
ロファーが気に病むようなことをサラリとジゼルが口にする。
「だからこそ、それを修正し助ける何かが必要だと思ったのではないかな。それが妖精だ」
住処をわたしが留守にしても、住処に掛けた結界を妖精が守ってくれる。わたしが迷えば妖精がヒントをくれる。
「そう言えばロファーがわたしを子どもだと言ったが、妖精を見るとその通りだと判る。わたしの妖精はまだ子どもで、それはわたしが子どもだからに他ならない」
わたしが大人になれば、妖精も大人になる。今は白い翼だけど、大人になると別の色に変わる。
「何色になるかはわたしがどんな大人になるかで決まるんだよ」
ロファーは、『へぇ』と間抜けな返事をするしかなかった。




