死が別つもの
暗いお話となります。
ハッピーエンドでもありません。
苦手な方はお避けください。
娘が亡くなって、ひと月が過ぎた。
婚家に嫁いで9年が経ち、2人の子も出来て、家族仲も良く、順風満帆だった筈の生活が突然に崩れた。
取り分けて特別な所もない子爵家の娘として産まれ、寄親の繋がりで伯爵家の嫡男へと嫁ぐことになり、次期伯爵の夫人として婚家に入った。
よくある貴族の娘の成り行きで、でも、何一つ不自由も不幸もなく、穏やかに幸せに暮らしていた。
アデレード マクシミリオン、マクシミリオン伯爵家に嫁いだ私には、下の子として嫡男のカイヤットと初めての子だった上の娘、マリアローズがいた。
今年で6歳になるマリアローズは元気で優しく、そして賢い子だった。お転婆なところもあっても、習い事はしっかりと熟し、弟が出来れば、姉としても幼いながら、面倒見もよい、可愛らしい最愛の娘だった。
半年も前から熱を出し、苦しみながら床に伏すようになるまでは。
この国では様々な宗教、宗派の教えがあり、その中でもガイゼ教正教が最も信仰を集めており、私の実家も婚家も信徒である。
ただ、私も実家も然程、熱心な信徒ではなく、代々領内の教会に神事をお願いしているために、表向き信徒となっているだけであった。
それに引き換えると、婚家のマクシミリオン家は熱心で敬虔な信徒で、義父母も夫も信仰に篤い人間であったが、特に問題はなかったのだ。
マリアの容態が悪化していくまでは。
マリアの容態は様々な医者に見せ、神官たちの祝詞があっても回復せず、悪化するばかりだった。
私は何としても、どんな手を使っても、苦しむ娘を救いたかった。元気になって欲しかったし、娘とこれからの人生を歩んでいきたかった。
実家の両親も私の気持ちをわかってくれていたし、友も同様で、だからこそ、国内の遠く離れた地方や国外の伝統的な療法や、呪いや、様々な薬を調べ、効果のありそうな物を持ってきてくれたのだ。
「そんなものをマリアに使う訳にいかないと、何度言えば、わかるんだい。良くなる訳もなければ、良くなったところで、邪法や外法を使えば魂が穢れてしまう。マリアが地獄に堕ちることになってもいいのかい」
齎された療法や薬はマリアに試されることは無かった。夫のロックは穏やかに諭すように、毎回、私に信仰に背けば娘が地獄に堕ちると、来訪者を丁重に返し、薬の類はすべて、家令に預けて、焼却処分させた。
いよいよ、マリアの意識が途切れることが多くなり、痩せ細り、顔色にも死の気配が漂うようになり、私は夫や義父母に抗議した。
「私にとってはマリアの命が一番なのです。どうか、マリアの症状と同じものに効果があると、東方や西方でなされている療法を受けさせてください。娘を殺すようなことをするのは信仰に反してはいないのですか」
しかし、この訴えには義父母、夫ともに怒りだし、私は頭を冷やすようにと私室に蟄居させられたのです。
3日ほど、部屋に閉じ込められたあと、少しは落ち着いたかと微笑む夫が悍ましく。
私は娘を連れて逃げ出すことを、やっと決心し、準備した矢先、マリアは旅立ってしまったのです。
放心状態のまま、葬儀は執り行われ、喪主となった夫は、ガイゼ教の教えに従って、参列者に挨拶をしていました。
「悲しいことに娘マリアは7つの誕生日を迎えることなく、天に召されました。しかし、清らかな魂は天上の世界で安らかに幸せに暮らすことでしょう。どうか、我が娘の死を悼むとともに、その幸せを願い、明日を笑って暮らしてくださいますように」
私はあの日から、ずっと心を喪って生きているのです。
息子のこともありますし、婚家での家政もありますから、暇などありません。1日を忙しく動いて、その合間に、もうやめてしまうかと何度も思うのです。
夜は私室に籠もり、義理の家族とは顔を合わせることも出来なくなりました。
そうしてひと月。
「いい加減にしないか、家政や息子の世話は問題なくやっているといって、いつまでも塞ぎ込んで、マリアは天国にいったのだ、君がそうして塞ぎ込んでいれば、天上のマリアが悲しむと、なぜ分からない」
私は、もう無理だと。説明する言葉を見つけられず、話したところで理解されないこと、何より、この人を夫として見ることが出来ないと。
ですが、私の拠り所は息子のカイヤットだけなのです。ですが、離縁を申し出れば、嫡男であるカイヤットはこの家に残ることになります。
身一つで実家に返されることを思えば、私は此処に残るほかなく。
〜〜〜〜
「ロック、お前に相談があると言われて、聴いてやったが、悪いが、悪いのはお前とお前の両親だ」
俺の言葉に、何故俺が悪いのだと喚き立てているのは、幼少から付き合いのある、寄り子の領主であるロックヤードだ。
俺はこいつの寄親にあたるバンドラット侯爵家の現当主の弟であるグランク、領内の執政の補佐として伯爵位を親から与えられているため、爵位は同じであり、歳も近いが、寄親の家柄ゆえに、立場は一応は上ではある。
「細君が突然に暴れだし、部屋に軟禁していると聞いて、そして、離縁は外聞が悪い上に信仰に反すると、だから細君を説得してくれと、そう聞いた時から悪い予感はしていたがな」
この男も、その両親も善良で、領内の統治も問題なく、良く出来た人間であることは間違いないのだが、話を聞くにどうにも、夫人に問題があると思えない。
むしろ、夫人にのみ問題があり、自分たちは間違っていないという姿に、幼い頃から知っていた知人の狂気を感じて、失望するやら、怖じけるやら、と複雑だ。
「言っているだろう、私たちはマリアの幸せのためにアデルに助言し続けていたんだ。確かに娘を亡くし、悲しいのはわかるが、間違いなく天国で幸せにしているのだし、寂しいと言っても、何れは会えるのだ、それをあの様に魂を腐らせれば、地獄に堕ちて会えなくなってしまう」
信仰に根差して正しいことを言っていると信じているからこそ、見えないのかもしれないが。
「なぁ、ロック、昔からの友人として、ひとつ訊くが、お前は娘さんが亡くなったあと、一度でも、夫人と抱き合って泣いてやったか、一度でも夫人が泣くのを抱きとめて受け入れてやったか」
そう訊いた俺に、心底不思議そうに。
「なぜ、そんな必要がある。娘は天国に行ったのだ。確かに寂しいが、泣くことなどない。あー、確かに夕食後、突然泣き出したことがあったから、泣く必要はない、と話したことがあったがガイゼ信徒なら、当たり前であろう」
成る程、熱心で敬虔なことはいいが、この男もこの男の親も教義をはき違えているようだ。
「なぁ、友よ。娘を亡くした母親に開祖サルガット様が何と仰ったか忘れたか」
問いかけに対してロックは自信満々に胸を張り、当然と言わんばかりに答えた。
「忘れるものか、経典の隅々まで諳んじられるぞ、貴女の痛みはその必要のないものです。貴女の子供は神の御手に護られているからです。どうだ、サルガット様も嘆かなくてよいと言っている」
表面だけしか理解していない。これが敬虔な信徒だと言えるか。
「そのあと、女性の周りの者に何と言ったかは忘れたか」
呆れて言う俺に、何が間違っているのだと訝しげな態度でロックはそれでも答えた。
「良く見てあげるのです。彼女が魔に魅入られることのないように、注意深く、守ってあげなさい…だ。だから、私も両親も魔に魅入られることのないように指導しているのだ」
こりゃ、駄目だなと。そうじゃない。信仰を優先しすぎて、肝心のその真意を忘れ去っている。
「サルガット様の言葉は最愛の娘を亡くし、喪失に心を壊された女性へ、寄り添うものだ。そして、周りの者に、どうか後を追わないように注意深く見ていて欲しいと願った、慈愛の言葉であり、配慮の言葉だ」
俺の言葉にそんな事はないと喚き立てる友を見て、あまり関わったことはないが、何度かは顔を合わせた夫人のことを思い出す。
「悪いことは言わない、すぐに帰り、今からでも夫人を労るんだ。暴れたからと、また蟄居したと言うが、労ることが出来んのなら、せめて、いっときでも良いから、実家に返してやれ、お前たち家族は死ねば娘に会えると洗脳しているようにしか思えん」
そう言いながら、俺は脇の従者に合図した。
手遅れにならなければいいが。
〜〜〜〜〜
俺の屋敷に運び込まれた女性と、その子供を手厚く迎える。
結局は手首を切っていたらしいが、間に合ってよかった。
親にも話して、嫡男ごと、保護し、切り離したが、これでいいだろう。
「取り敢えず、息子さんとふたり、ここでゆっくり休んでください」
そう話した俺を呆けた顔で見る夫人に哀しくなるが、ゆっくりと回復を待つよりない。
離縁の手続きが必要なら、手助けしよう。
「リナリー、できる限り助けてくれるか」
そう妻に問いかけてみるも。
「女の敵を倒すんなら、いくらでも」
と食い気味に返ってくる。
お願いしたいのは夫人の世話なんだが、随分と血気盛んな宣言をされる、見た目は清楚な貴族夫人なのにと笑ってしまいそうになるが頼もしい。
「一応は善良な領主ではあるんだ。ただ、夫人への不当な扱いについては穏便に関係を解消した上で、嫡男も権利を手放させるように父と話してるよ」
そういうと、嬉しそうに背中を叩かれる。
不思議な女だ。
不安そうに母親を見つめる幼子の頭を撫でながら。
「安心しな。今日からあんたも、おかーさんも、私の家族だからね」
大声で笑っているのを見て、これこそがガイゼ信徒の正しい在り方だと思うのだった。
感想お待ちしておりますm(_ _)m
ネットで、配信者の方に
「妻が息子が死んでひと月、塞ぎ込んだままで、息子が天国にいったと言っても理解してくれません。どう説明したら理解出来るか教えてください」とスパチャしている方がいて、配信者の方は「ありません」と即答していましたが、こんな無配慮な人がいるのかと驚いたのがきっかけの作品です。
不謹慎と思いましたが、元宗教信者として、思うところを作品にしました。