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第三話

「中々全快なさいませんね……」

「してますけど。貴女たちが大袈裟なだけです」



 熱を出してから三日も経って、もう本当は大丈夫であるのに私はまだベッドに押し込まれている。



「我々ではございません。お医者様がまだ熱が下がり切っていないと仰っているのです。あの一年間の疲れが出ているのです」

「もう怠さもないのです。散歩に行きたいとは言いませんから、刺繍か読書くらいはさせてください」

「桃を剥いて差し上げますから、今日までは大人しくしていてください。ただ体を休めることも重要なんですよ」

「……ただ寝ているのはもう飽きました」



 確かにほんの少しだけ熱っぽさはまだ感じてはいるが、ただそれだけだ。ハンナは私の世話をよくしてくれているけれど、それでも暇なものは暇だ。



「楽士でも呼びましょうか?」

「そういうのじゃなくて……。編み物も駄目?」

「刺繡と読書と編み物に何か違いでも? ……はあ、分かりました。何か頭を使わないようなご本をお持ちします」

「ありがとう、ハンナ」



 ハンナは渋々といった体で、本を探しに部屋から出て行った。やっとこの退屈から逃れることができるようで、私は少し安心した。


 熱を出した夜に聞いた幻聴はもう聞こえていない。……というか、怖くて魔法石のペンダントにも触れていない。また幻聴が聞こえるかもしれないし、後、もう一つの可能性に気が付いてしまったのだ。


 あの夢か幻聴かと思っていたことが、現実だったかもしれない可能性がある。私が贈られたのは、“魔法石のペンダント”だ。防衛魔法が付与されていると渡された物であったけれど、魔法石を媒体として遠くの人に話しかける魔法は古くからある。装飾品として作られるような高価な魔法石でなくても、比較的に安価な魔法石で使用できる魔法だ。使用方法が面倒なので、あまり普及はしていないが、私自身も使ったことがある。


 でも、普通、通話用の魔法石はそれ用に作るもので、一般的な魔法石のペンダントにそんなことはできない、筈だ、と思う。……私も生活に必要な魔法は使うけれど、魔法を専門に勉強したことがないのでそこまで詳しくない。魔法関連の商品は昔から兄の担当で、私は芸術方面ばかりを扱ってきたからあまり調べもしなかった。


 まあ、あれは夢だっただろう。現実にあんなことはなかった。何せ、私に都合がよすぎた。現実のセオドア様は『君と結婚がしたい』なんて言ってはくれない。


 うん、やっぱりあれは夢だ。あの魔法石のペンダントも、やはりセオドア様に返そう。そう思っていると、ドアをノックする音がした。



「グレース、兄さんだけど、ちょっといいかい?」

「ええ、どうぞ」



 てっきりハンナが帰ってきたのだと思ったのだけれど、そういえばハンナはノックなどしない。許可を得ている使用人は、ノックをせずに主人の部屋に入ることができるのだからハンナである筈がなかった。



「どうなさったんですか、お兄様?」

「こんなことを、病の床に伏しているグレースには言いづらいんだけど」

「人を重病人のように言わないでください。もう大丈夫なんですから」

「そう? 本当に?」

「大丈夫です。何があったんです? 目を付けていた商品が暴落しました?」

「ううん……」



 兄は難しい顔をしたままベッドの傍に座り込み、はああ、っと長くため息を吐いた。



「あのゴミ人間が、何度も何度も手紙を」

「待ってください、誰のことですか?」

「ゴミと言ったら奴しかいないだろう、セオドア・オルニエールだ」

「……お兄様」



 今度は私がため息を吐く番だった。痛んでいない頭が痛むような気がしてくる。



「いや、あいつ、本当にゴミだったよ。うちが有責の形にするからね、金は払ってもらうが、釈明も謝罪も我が家は受け入れないと先に正式な書状を送っていたんだ。にも関わらず、延々と『申し訳ない』だの『どんな賠償でもするからグレースを返してほしい』だの……」

「え」

「何が『返してほしい』だ! グレースはうちの子です!」



 怒る兄を横目に、私は静かに焦った。……もしかして、やっぱりあの夜の出来事は、夢でも幻聴でもなかったのかもしれない。辺境伯閣下に対して、何てことを、いえ、でも、まだそうだとは決まっていない。私は深呼吸をして、兄に向き合った。



「それで、その、お兄様。どうなさるおつもりなんですか?」

「無視をするつもりだったが、あんまりにも量が多い。更にはあのゴミ」

「お兄様!」

「……オルニエール辺境伯は王都に向かったらしく」

「王都に?」

「この件に関して、国王に仲裁を頼むつもりらしいとあっちにいる商人から情報が」

「……はあ?」

「ね、はあ? って、なるだろう?」



 兄は怒りが収まらないようで、腕を組み指でとんとんと叩きながら話を続けた。ちなみに、私の『はあ?』は怒りの感情ではなく、驚きというか呆れというかそういうもので、何というか、そう、理解ができないという意味だ。



「国王とオルニエール辺境伯は、再従兄弟だった筈だ。本気で仲裁に入られたら為す術は、正直ない」

「……」

「元々の縁組自体は悪いものじゃなかったし、うちから送った婚約解消についての書類も返ってきていない。返ってきていないものは貴族院に提出もできない。うちとしては既に切った縁だが、君たちの関係はまだ婚約者のままだ。で、僕は一応、グレースの気持ちを確かめにきた」

「わたくしの気持ち、ですか?」

「僕としてはもうグレースをオルニエール領に行かせたくはない。ここまでくれば、奴の所業を社交界で暴露してうちの商会を人質に国に脅しをかけて全面戦争をしてもいいと思っている」

「お兄様、それは」

「……レクシーにもそれは考え直せと言われたよ。ともかく、グレースの気持ちが大事だと」



 さすがはレクシーお義姉様だ。兄は普段なら冷静に物事を考える人なのに、一度頭に血が上ると突拍子もないことを言い出すので困っていた。義姉と結婚してからは、義姉が手綱を握ってくれているので安心している。



「……お兄様のよいように、と言いたいのですが、全面戦争はいけません。領民や商会を危険に晒すなんて、領主としてあるまじき行為です」

「うん、だから、グレースがいいなら今の内に新しい婚約者を擁立して、簡単になってしまうけど結婚式を挙げてもいいと思っているんだ」

「……」

「そんな顔をしないのだよ、いくつか当てはあるんだ。辺境伯閣下からすれば見劣りするが、辺境伯閣下とはいえゴミは駄目だ。グレースのことを蔑ろになどせず、きちんと大事に扱ってくれそうな男をもう数人探してある。今度こそ大丈夫だ」

「しかしお兄様、わたくしは現状まだ辺境伯閣下の婚約者なのでしょう? 下手をすればこちら側にもそちら側にも咎が及びます」



 ため息交じりに痛む頭を押さえる。怒っている時の兄の突拍子もなさは子どもの頃から知っているが、今回のは特に酷い気がしてきた。私が引き起こしてしまった問題であるのに、熱が出ているからと義姉一人にこの人の対処をさせてしまったのが悔やまれる。後でお詫びに行こう。



「そこは上手くやるさ。うちだって別に古いだけの貴族じゃない。グレースがすぐに結婚してもいいと言ってくれるなら、兄さんが全ていいようにするさ」

「お兄様、冷静になってください」

「それも言われた。僕の妻と妹は考え方が似ているらしい。……はあ、分かっているさ。だが、この一連の流れはあまりにも我々をおちょくっているように思える。そんな所に嫁がせてしまって、グレースが不幸になるのは」

「……お兄様」

「だが確かに、オルニエール辺境伯の条件は元々、グレースにとっても我が家にとっても悪くなかった。そこで、グレースの考えを聞きたい」



 こちらを向く兄は、私のことを案じてくれているようにしか見えない。ああ、私は本当に面倒なことをしでかしてしまったのだ。こんなにも大事になるなんて、いや、方向性は違うけれど、元々大事は大事だった。……どうしてこうも、ややこしくなってしまったのか。



「申し訳ないが、猶予がない。僕は勧めないがグレースがオルニエール辺境伯でもいいと言うなら、わざわざ国王に仲裁をして頂く必要もない。だが、オルニエール辺境伯が嫌だと言うなら、すぐにでも別の相手と結婚をしなければならない。国王がこの件を知り、介入してくる前に既成事実さえ作っておけばなんとかなる。……こんな選択肢しか出せない兄でごめんよ、グレース」

「いいえ、お兄様。選択肢を与えてくださったことに感謝こそすれ、お兄様が謝罪されることなんてございませんわ。むしろ、わたくしのことでこんなに煩わせてしまって申し訳ありません」

「グレース……」



 ふむ、と考える。冷静にならなければいけないのは、私もだ。貴族として、この家の人間として最良を考えるとするならば――。



「……あの、辺境伯閣下と直接お話はできないのでしょうか?」

「まさか、グレース。君があれと交渉するつもりなのか」

「これでも一年間、一緒に仕事をさせて頂いた仲です。その、認識の違いもあるようですし、直接お話をした方が早いかと」

「許したくない……!」

「お兄様、一番手っ取り早い方法です。工程の数は少ない方がいいでしょう?」

「これはそういう話じゃない!」

「上手くいけば諸々の厄介事全てが片付きますし、わたくしも気持ちの整理ができると思います」



 気持ちの整理というか、セオドア様が何を考えているのかを探りたい。兄はもう冷静にセオドア様と話せる状況ではないし、結局は当事者同士が話すのが一番早いに決まっている。



「……はあ、うん、分かった。そうしよう、では、オルニエール辺境伯に連絡を」

「閣下はもう王都に向かわれているのでしょう? でしたら、わたくしも王都に行きます」

「何で?」

「一番手間が省けるからです」

「君っていう子は……」

「そうです。わたくしっていう子はこういう子なんです。ですからお兄様、そう心配なさらないで」

「……分かった。グレース、君を信じるよ。でも、何かあったらちゃんと相談すること。いいね?」

「はい」



 兄はわざとらしくため息を吐いて、部屋から出て行った。


 どうにか兄を説得できたかと思えば、今度は帰ってきたハンナにとても怒られた。まあ、怒られたところで決定は覆らないのでそのまま王都へ行く準備もしてもらったが、ずっとぷりぷり怒っていた。ハンナには、また今度、何かお詫びの品でも贈ろうと思う。



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