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第二話

 けほり、と乾いた咳が出る。ぼんやりとかすむ視界で懐かしい天井を眺めるのにはもう飽きたけれど、起き上がりでもしたらハンナが怒るのでそれすらもできない。



「……暇だわ」

「当たり前です。病人は大人しくするものですよ、お嬢様」



 昨夜、兄家族と夕食を食べた後、喉に違和感を覚えていたけれどここまで体調を崩すとは思わなかった。ハンナは隣で私の好きな桃を剥いてくれていて、その他にもかいがいしく世話を焼いてくれている。



「でも、暇なのよ、ハンナ」

「お嬢様は働き過ぎだったんです!」

「ちゃんと休みはとっていました」

「私は半休は休みとは認めません。その半休でさえ大体途中で何か仕事が入って、あの駄目辺境伯とご一緒にどこかに行かれたこともなかったじゃないですか。お庭へのお散歩でさえ、いつも一瞬で終わって」

「ハンナ、貴女ね。不敬という言葉があってね」

「知りません、そんなもの」

「……わたくしは、あの一年間、結構楽しんでいたんですよ?」

「……」

「何です?」



 ハンナが桃を切りわける手を止めて、じっとこちらを見てくる。



「……お嬢様があれだけ心を砕いていたのに、あの男、お嬢様の優しさに胡坐をかいて」

「ハンナ」

「私、悔しくて、本当に、何であんな……!」



 横になったままで腕を伸ばして、ハンナの手を握った。きっとハンナがこんなに感情を露わにしてくれるから、私はこの失恋に取り乱さずにいられるのだ。



「わたくしが、あの方を好きになってしまったことと、わたくしがあの方のお眼鏡に適わなかったことは別の話なのです。心を返してもらえなかったからといって騒ぐのは、自己愛が過ぎます」

「……恋愛感情が自己中心的なものであったとしても、そもそも婚約をしておいてご令嬢を自領に住まわせて仕事までさせておいて、結婚式を忘れるような人間はゴミです」

「……ううん」



 それを言われてしまうと、口を噤むしかない。でも、私ももっと口を出してよかったのだ。忙しいからと初めの二ヶ月で諦めた私だって、相当悪い。だから被害者面をするつもりはない。


 ……いや、これは嘘かもしれない。いつか結婚式のことを思い出してくれるのでは、と期待していて、それが叶わなかったからと、当てつけのようにして逃げ帰って来たのだから。



「……わたくしが、悪かったのかしら」

「何でそうなるんですか!? 悪いのは奴です!」

「ふふ、まあ、もう会うことのない人です。少なくともこの先数年はね」

「一生会わなくて結構です!」



 そう、もう会うこともない。ああ、寂しいなあ。自分で決めて帰って来たのに、私の家はここなのに。熱が出ているからか、散らかった思考に少し笑ってしまう。



「ハンナ」

「はい!」

「桃、食べたいわ」

「あっ」



 ハンナが慌てて切りかけの桃にまた取り掛かる。私はそれを笑いながら見て、私だけに優しい空気に浸った。


 きっと、この婚約は元々の縁がなかったのだ。私が結婚式のことを強く言えなかったことも、セオドア様が結婚式のことを最後まで思い出せなかったことも、もうそれで片付けよう。


 私たちはきっとどっちも悪かった。セオドア様が結婚式の準備を忘れていたのは事実だけれど、私だってやりようは沢山あっただろうに、その努力を怠った。だから、私に降り注ぐであろう悪評も甘んじて受けよう。家族には、悪いことをしてしまったから、もう一度ちゃんと謝って……そうだ、たくさん働いて、おかねを、いえにいれて……


===


 教会の鐘が鳴っている。ああ、そうだ。今日は結婚式だ。私は、子どもの頃の夢だった真っ白でレースがふんだんに使われたドレスを着て、そして隣には――


===


 ばさっと大袈裟な音を立てて、シーツが落ちる。部屋はいつの間にか真っ暗で、ベッドの横に座って桃を切っていたハンナもいない。


 ……眠っていたのだと理解して、夢の内容に失望した。失恋とはこんなにも尾を引くものなのか。それとも、自身で思っていた以上に結婚願望があったのか。確かに夢で見たようなウエディングドレスを着るのは、憧れだった。でも、今見る夢じゃない。


 はたはたと落ちていく涙が、私の卑しさを象徴しているようで更に泣けてくる。こんなに後悔するくらいなら、結婚式の準備くらい一人でやってしまえばよかったのに。ハンナに訳知り顔で『心を返してもらえなかったからといって騒ぐのは、自己愛が過ぎます』なんて、言っておいて何たる醜態だろう。


 ああでも、辛い。あの方に、セオドア様に会えないのが、辛い。好きになってもらえなかったのは仕方なかったかもしれないけれど、私などどうでもいいと、捨て置かれたのが辛い。



「いっそのこと、わたくしが、男の人だったらよかったのに……!」



 そうしたら、事務官としてあの方に仕えることができたのに。



【――れ、は困る!】

「!?」



 私以外に誰もいない筈の自室に、私以外の声が響く。男性の、聞いたことのある声だと思うけれど、くぐもっていて誰かが判別できない。いや、そもそもどうして私の部屋に人が、しかも男性がいるのだ。



「だ、誰です……? ここがどこで、わたくしが誰か知っての狼藉であるなら」



 どもってはしまったけれど、毅然とした態度をとりつつ部屋を見回す。室内は暗いが、月明かりが差し込んでいるので全く見えない訳ではなく、でも、



「……え?」



 誰も、いない。さあ、っと血の気がひいた。私は、その、幽霊の類は、そこまで信じてはいないが、けれど絶対にいないとも言い切れないタイプの人間だ。まさか、そういう、その、怖いものが私の部屋に……?


 いや、待って、落ち着くのです。これはそう、熱のせい! そう、熱で幻聴が聞こえているだけ! 寝れば治る、寝れば治るから!



【――ス、――だ。頼むから――】

「ひ」

【――に、渡した、魔法石のペンダントを――】

「……魔法石の、ペンダント?」



 深夜ではあるが、誰か使用人を呼ぼうと呼び出しのベルに手を伸ばした時、誰か分からない声の主は確かに“魔法石のペンダント”と言った。……。もしかすると、これは幻聴などではなく、夢の続きなのかもしれない。伸ばした手を引っ込めて、私はベッドから降りた。


 魔法石のペンダントなんて貴重な物、私は元々持ってはいなかった。魔法使い達が一つ一つ魔力を込めて作るそのペンダントには、様々な効果が付与されている。


 防衛魔法など付与させている物をつけるのは高位貴族たちの中ではそう珍しいことではない。また、魔力が込められた魔法石は普通の宝石にはない輝きを持つのでそういう意味での愛好家も少なくない。私は自家の商会で扱っているのを見たことはあるが、特別に必要な物でもなかったので特に欲しいとも思わなかった。


 でも、そう、あの方に。セオドア様に贈ってもらった魔法石のペンダントが一つだけある。オルニエール領に着いて数日経った頃に『防衛魔法が付与されているから』と、渡されたペンダントだった。高価な物だったのだし、置いてくるべきだったのかもしれない。でも、どうしても手放せなくてこっそり持ち出してしまったそれが、小さな宝石箱の中にある。



【―――、――】



 声はやはりくぐもっていて、何を言っているのか分かる時と分からない時がある。魔法石のペンダントがしまってある小さな宝石箱をチェストから出すと、声が大きくなったような気がした。


 ごくり、と喉を鳴らして、深呼吸をする。覚悟を決めて、宝石箱の蓋を開けた。



「魔法石が、光って……」

【……グレース、聞こえるか】

「っ、え、せ、セオドア様?」



 夢なのか、幻覚なのか、何故か光っている魔法石のペンダントから、セオドア様の声がした。



【そうだ、私だ。セオドア・オルニエールだ】

「……疲れているのかしら」

【っ、グ、グレース!】



 どうにも受け入れられなくて、私は宝石箱の蓋をぱこりと閉めなおした。やはり声はペンダントからしているようで、蓋を閉めるとまた聞こえづらくなった。


 ふうー、と長く息を吐く。疲れているみたいだ。でも、宝石箱の中から、何度も私を呼ぶ声がする。何度も、何度も。こんなにたくさん呼ばれたのは、初めてだ。と、いうか、そうだ。セオドア様は私のことをよく『君』と呼んでいたから、名前を呼ばれること自体が珍しいことだった。



【グレース、―――だ、話を――】

「……」

【せめて、――ス、――】



 やっぱりこれは夢か幻覚らしい。朝一番にお医者様に診てもらえるようにお願いをしよう。だから、まあ、いいか、と私はもう一度蓋を開けることにした。何が、まあいいか、なのかは私にも説明できないことだけれど、熱に浮かされているのだからもういいのだ。


 我ながら支離滅裂すぎる言い訳に小さく笑って、私は宝石箱の蓋を開けた。



「……あの、こんばんは?」

【! あ、ああ、こんばんは……】

「ええと、セオドア様、なのですか?」



 やはり、見間違いでも聞き間違いでもない。魔法石のペンダントからは、セオドア様の声がする。



【そうだ。その、グレース、君に謝りたくて】

「謝罪であれば結構です」

【……っ】

「もう終わったことですし、それにわたくしも」

【待ってくれ!】

「……はあ」



 とても気の抜けた声が出てしまったけれど、まあ、これくらいいいだろう。熱に浮かされて見ている夢なのだから、現実には何の問題ももたらさない。



【私は、君との婚約を解消するつもりはない!】

「ええ……? ですが、もう決定事項です」

【ぐ……いや、違うな。グレース、本当に申し訳なかった】

「……はい、わたくしも申し訳ありませんでした」

【……何故、君が謝るんだ】

「意地を張っていたからです」

【意地?】

「結婚式のこと、貴方が自分で思い出してくれるのを待ってたんです」



 言っても仕方のないことだったから、最後のあの日でさえ言わなかった。でも、結局はこれが本音だ。最後の二ヶ月くらいは実家に帰る準備をしながら、それでももしかしたら思い出してくれるかもと、期待をしていた。もし、思い出してくれたなら、って。



【……すまない。そもそも、君が言ってくれていた初めの頃にきちんと結婚式に関する物事の準備を終えていれば】

「ふふ、あんなに忙しかったんですから無理でしたよ」

【……本当に、すまなかった】

「もう謝らないでください」



 オルニエール領から私が出て行く少し前に、やっと人が集まって人事が決まって落ち着いてきたものの、一年前は本当に忙しかった。……ああ、やっぱり、そのことに気付いていながら準備を進めなかった私が悪かったんだろう。もう、終わってしまったことだけれど。



「たった一年前のことですけど、何だかもう懐かしいです」

【グレース……】

「はい?」

【今回のことは全て私の不甲斐なさが招いたことだ。君や、オルドヌング伯爵の顔に泥を塗った自覚もある。いくら謝罪してもしきれないことをしてしまった】

「ですから、謝罪はもう」

【だが、私は君と結婚がしたい。グレース、君以外の人を妻に迎えるなんて考えられないんだ】

「……ぇ、え。……あ、ああ、えっと」



 失恋とは、かくも罪深いもののようだ。私はきっとセオドア様に、こういう風に言って欲しかったのだ。そう思うと、かあっと頬に熱が上がってきてどうしようもない気持ちになった。



【私にできる償いなら何でもする。だから――】

「もう、休まないと。おやすみなさい、セオドア様」

【待ってくれ、グレース!】

「あの、ええと、熱が出ていて。寝ていないとハンナに、えっと、侍女に叱られるので」

【熱が?】

「はい、あの、なので……さようなら、セオドア様。夢だとしてもお話しできて嬉しかったです。……わたくしも貴方と結婚がしたかったわ」

【っ、グレース……!】



 今度こそ、未だに光る魔法石のペンダントに別れを告げた。宝石箱が入っていたチェストに丁度よく入っていたハンカチを被せて蓋を閉じ、そのままチェストの中に片付けるともう声は聞こえなかった。


 ふわふわとした足取りでベッドに戻ると、夢が終わるみたいにすぐに目の前が真っ暗になる。そこから夢は見なかった。



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