9湯目 放課後に温泉!?
温泉ツーリング同好会などという、いかにも「怪しい」同好会に入ることになった私。
入会してから、早くも1か月近くが経っていた。
5月末。
いつものように、放課後に狭い部室に行くと。
先輩たち3人が揃っていた。
「遅れてすみません」
謝るが、彼女たちは平然としており、少しも苛立った様子はなかった。
それどころか、まるで私を待っていたかのように、
「よし。瑠美も来たことだし、行くか」
「そうね」
「温泉、楽しみネ!」
まどか先輩、琴葉先輩、そしてフィオが早くも出かける準備をしていた。
「どこに行くんですか?」
と、聞くまでもなく、行き先は温泉なんだろうが、私が知りたかったのは、もちろん具体的な「場所」だ。4人の中で、唯一50ccの「原付一種」に乗っている私は、場所によっては、行くだけで疲れてしまうからだ。
それを察してくれたのか、先輩たち、というより我らが「会長」が鶴の一声を発した。
「塩山温泉だ」
「えっ。塩山温泉? この辺りに温泉なんてあるんですか?」
そう驚きの声を発していたのは、私が元々、ここ甲州市の出身ではなく、甲府市の生まれだからだ。引っ越してきたのは、中学生の頃。
「あるさ。まあ、放課後だし、時間もないから、サクッと行って帰ってこれるのもメリットだしな」
(知らなかった)
ここ山梨県で有名な温泉は、石和温泉や、「信玄の隠し湯」で知られる下部温泉くらいだと思っていたし、私はそもそも温泉自体にそれほど興味がなかった。
嬉々として、駐輪場に向かう会長のまどか先輩に、私も含めて残りの3人がついて行く。
駐輪場から向かうため、それと近場の為、今回はそれぞれが「通学」に利用している、250cc以下のバイクを使うことになった。
まず、まどか先輩。
彼女のは、出逢った時に見た、ヤマハのバイク。排気量は125ccと聞いている。見た目はどこにでもありそうな、原付のスクーター。出逢った時は、じっくりと見る余裕もなかったが、よく見ると、鮮やかな青色の車体で、どことなく「夏」を思わせる爽やかな色をしている。シートも広く、乗りやすそうに見えた。
「まどか先輩のは、ヤマハの……」
「シグナスだ」
「へえ。いい色ですね」
「おう。あたしは青が好きなんだ」
どことなく、男の子っぽくて、さっぱりしている彼女には似合うと思った。
一方で、
「フィオのバイクは可愛いね」
見ると、フィオのバイクは、シート以外のほとんどが鮮やかな赤色の車体で、タイヤも小さく、レトロな丸目のヘッドライトが特徴的だった。そういえば、彼女が乗っているドゥカティ モンスターも鮮やかな赤色だった。フェラーリが生まれた国、イタリア出身だから、赤色が好きなのかもしれない。
「Grazie! VESPA 125 Primaveraネ。ヴェスパは、イタリアのメーカー、Piaggioの小型スクーターでネ。実は、飛行機の技術者が作ったから、unico、えーとユニークな構造をしてるんだヨ」
誇らしげに、しかし嫌味を感じさせない明るさで、フィオは話してくれた。彼女は正真正銘のイタリア生まれだから、地元を愛する気持ちがあるのだろう。それにこのバイクは、大昔に某有名映画の女優が乗っていたことでも有名で、実は東南アジアでもライセンス生産され、世界的にも有名なはずだ。
そして、最後に琴葉先輩だが。
「琴葉先輩だけは、変わらないですね」
そう。彼女だけは、前にほったらかし温泉に行った時と全く同じ、先端が細長いクチバシのような形状になっているのが特徴的な、黄色いバイク。
確か、スズキ Vストローム250だったはず。
「そうね。私は別にこれで十分だし。そもそも2台も持つ余裕がないしね」
だが、本来なら彼女の言うように、高校生の身分で、バイクを2台も持つなどあり得ないはずだ。
そこが気になったから、2人に聞いてみた。
「お二人はお金持ちなんですか?」
そのストレートな物言いが受けたのか。まどか先輩もフィオも笑っていた。
「違う違う。あたしのもフィオのも、親のお下がりだ」
「そうなんですか?」
「ああ。まあ、少なくともあたしの家より、フィオの家の方が金持ちなのは間違いないから、2台持つ余裕もあるかもしれんが」
まどか先輩の言い方が、少し引っ掛かる。というか気になった。もちろん、原因はフィオだ。
「フィオのお家はそんなにお金持ちなの?」
彼女は、いつでも明るくて可愛いが、少し小首を捻って、考えてから答えていた。その素振りすら、可愛らしい。
「うーん。どうかなあ。パパは儲かってるって言ってたけど」
「謙遜すんな、フィオ。お前の家は、某食レポ有名サイトで、星5つがつくくらい、評判がいい。さぞ儲かってるんだろうな」
それが本当なら、確かに羨ましい話かもしれない。
「ワタシには、よくわからないかな」
そんなやり取りが続いているうちに、時間が経っていた。
「ほら、まどか。さっさと行くわよ」
ヘルメットをかぶり、先頭を切って、琴葉先輩が走り出していた。慌ててまどか先輩、フィオも後を追い、その後に私も続く。
どうでもいいかもしれないけど、まどか先輩とフィオ、それに私はスクーターだから、制服でも違和感がないが、明らかにアドベンチャーバイクの琴葉先輩だけは、「旅に行くようなバイク」なのに、制服ということで、違和感があった。
向かった場所は、学校からわずかに1.5キロほどの、バイクにとっては、ものすごく「近い」場所だった。
いつも通学で通るゆるやかな坂道を下って、塩山駅方面に向かい、「町屋」と呼ばれる交差点を右折し、「花かげ通り」と呼ばれる道を走る。そこからは完全に、住宅街の中を通る、狭い道だった。
一級河川の重川の支流、塩川と呼ばれる小さな川を横切る、小さな橋を渡った先にそれはあった。
「えっ。旅館?」
ヘルメットを脱いで、見ると、目の前には古い建物が建っていた。
切妻屋根の3階建てくらいの、昔ながらの「昭和」の雰囲気を残した佇まいの、見るからに「旅館」という風情の建物。
同じくヘルメットを脱いだ、まどか先輩が、建物を見上げながら、声を発した。
「ああ。一種の温泉旅館みたいなもんだな。ただ、日帰り温泉もやってる」
期待と不安に胸を膨らませながら、私にとっては、初めての「塩山温泉」が待ち受けていた。