24湯目 甲府盆地を見下ろす丘の上
私と琴葉先輩が、その場所に着いた時には、11時20分を回っていた。
雨が小降りになっていたとはいえ、雨中でのバイク走行は、想像以上に気を遣うため、いつも以上に時間がかかっていた。
何よりも、雨粒がヘルメットのシールドを伝ってきて、視界が悪くなり、どうしても進むスピードが遅くなり、その上、疲労感も普段以上に増すものだ。
まだ雨は降り続いていたが、入口の脇にある、バイク用の駐車場には、まどか先輩のSR400と、フィオのモンスターが停まっていた。2台のハンドル付近に濡れたカッパがかかっていた。
そして、その場所は。小高い丘の上にあり、比較的新しい施設のようだった。ヘルメットを脱いで、お互いにカッパを脱ぐと、急いで入口に入った。
中は、新しく、綺麗な上に広々としていた。食堂もあるようだった。
だが、まずは濡れた体を暖めるためにも、温泉に入ることにする。
脱衣所へ抜けて、いそいそと服を脱ぎ、琴葉先輩と並んで浴室に入る。
中は、大きな浴槽が2つあり、高温サウナもあるようだった。外に通じるドアもあり、露天風呂もあるようだった。
連休初日ということで、それなりに混んでいたが、雨のせいと、朝早いため、ぎゅうぎゅう詰めというほどではなかった。
互いに並んで、体を洗ってから、内湯に入る。どうやらここは、中温浴槽と高温浴槽に別れているようだったが、私と琴葉先輩は共に、中温浴槽に入る。
そもそも、「熱いお湯は苦手」と言っていた彼女らしい。もっとも、まだ夏の名残を残した、残暑厳しい9月の雨だから、それほど寒さを感じてはいなかったが。
そして、この雨にも関わらず、2人の姿は内湯のどちらの浴槽にも洗い場にもなかった。
「もしかして、もう上がったのかしら?」
「それはないんじゃないと思いますよ。まどか先輩、長湯ですし」
「そうね。じゃあ、この雨にも関わらず、わざわざ外に行ったのかしら?」
「でしょうねえ。テンション高い2人ですから、『雨でも景色を見るんだ!』とか言って、飛び出して行ったんじゃないですか?」
私がそう言うと、琴葉先輩は、口に手を当てて、おかしそうにくすくすと笑い出した。よく見ると、この人、上品で、可愛らしいところがある。
しばらく内湯の中温浴槽を堪能した後、続いて同じく内湯の高温浴槽に入る。
高温とは言っても、実際には思った以上に高温ではなく、適度な温度に保たれており、あまり熱さを感じなかった。
「ここは、どんな温泉なんですか?」
「アルカリ性の温泉よ。ここの売りは、眺望の美しさね。あと、この適度な温度が快適で、長く浸かっていられると評判がいいの」
「じゃあ、私たちも外に行きます?」
「そうね」
ようやく重い腰を上げるように、私と琴葉先輩は、内湯から上がり、ドアを開けて、外に出た。
正直、驚いた。
弱い雨が降り、景色としてはあまりよくはないが、それでも開放感抜群の大パノラマが広がっていた。
丘の上にあり、遮るものがない状態から、甲府盆地を眼下に見下ろすことが出来る。
岩に囲まれた浴槽は、内湯と同じく中温浴槽と高温浴槽に分かれていたが、そのうちの向かって右側の高温浴槽に2人の姿はあった。
さすがにこの雨の中、露天風呂に入る奇特な人は少ないらしく、内湯より空いていた。
「おー、来たか。おつかれー」
まどか先輩が、弱い雨に当たりながらも、元気に手を振っている。
「遅かったネー」
フィオもまた、長い髪を降ろして、のんびりとお湯にぷかぷかと浮いていた。
私と琴葉先輩も高温浴槽に入る。
普段なら、低温や中温の方が嬉しいが、この雨だ。かえって高温の方が気持ち良かった。
「しかし、降られましたねー」
私がそう口に出すと、てっきり雨女とか言われるかと思ったら。
「まあ、しゃーないさ。近頃は、地球温暖化の影響で、雨ばかり降りやがる。まったくバイク乗りにはツラい時代だな」
まどか先輩は、少しも気にしていないという様子で、鈍色の空を恨めしそうに眺めていた。
「そうね。日本には、もう『四季』なんてものはないのかもしれないわ。『二季』に近いもの」
琴葉先輩の言葉が、辛辣というか、リアリティーがある。
実際、春や秋が極端に短く、冬が終われば夏という感覚が、私の中にもあった。
「日本も、東南アジアみたいになってるネ」
フィオは、雨に打たれながらも相変わらず元気な声を上げていた。
「あ、それわかる。スコールだっけ。ゲリラ豪雨なんて、あれみたいなものでしょ」
「そうだな。まあ、とりあえずここのお湯は気持ちいい。のんびり、まったりしようや。天気予報じゃ、昼過ぎには雨雲は抜けるらしい」
まどか先輩の一言に、私も含めて3人が頷く。
「でも、残念ですね。晴れていれば、きっといい景色だったと思うと残念です」
「それはそうだが、最近の天気なんて、当てにならんからな。逆に雨宿りには日帰り温泉はいいぞ」
と、まどか先輩が、
「そうね。それにここは夜景も綺麗なのよ。今度、また夜にでも来ましょう」
と、琴葉先輩が答え、私もフィオも一様に頷いていた。
確かに甲府盆地を見下ろす抜群の眺望で、ほったらかし温泉とは違った意味で、開放感があるし、富士山の位置もここからだとほったらかし温泉とは逆方向に見えて面白い。
もっとも、この雨では見えなかったが。
あとは、30分以上もお湯に浸かり、いつものように他愛のない話をして、風呂から上がり、昼には食堂で昼食を食べ、広い休憩室で寝転がって、さらに1時間以上。
午後2時過ぎになって、ようやく雨雲が通り抜けたことを確認して、私たちは、このみこしの湯を出た。
濃い雲の切れ間から、わずかながらも陽射しが出てきていた。
その天の階段のような、薄い光に照らし出された甲府盆地は美しかった。
「じゃあ、帰るか」
「そうね」
「次はどこ行くの?」
フィオはもう次の予定にウキウキしているように、笑顔を見せていた。
「そうだな。温泉はしごツーリングなんていいな」
「何、それ。1日に何回入るつもり?」
「さあな。気が向くままに、温泉をはしごする。贅沢なツーリングじゃないか」
「まどからしいわね」
先輩たちは、もう次の計画を立てているようだった。
私の免許取得のせいで、夏休みのツーリングにも行かなかった先輩たち。私は申し訳ないと思うと同時に、これから始まるであろう、秋シーズン、つまりツーリングにとって、最も快適なシーズンであり、温泉に入るには最も気持ちいいと言われる、秋に期待を寄せる。
もっとも、まどか先輩や琴葉先輩が言うように、もう日本に「四季」はないのかもしれないが。




