16湯目 その先にあるもの
8月。
夏休みに入った。
私の普通自動二輪教習は、続いていたが、すでに全工程の8割はこなし、後は見極め検定と言われる、最終段階をクリアし、卒業検定、いわゆる「卒検」を受けて、合格するだけとなった。
その間、私は部活動を自粛し、バイトに精を出しつつ、教習に注力していた。
予想外のフィオの応援により、「力」を取り戻した私は、一気に普通自動二輪免許の制覇へと駆け上がって行った。
本当は、夏休みに先輩たちは、泊りがけのロングツーリングを企画していたらしい。らしい、と言うのは、フィオがこっそり教えてくれたからだ。
だが、私抜きで、3人だけで楽しむのは、気が引けたそうで、取りやめになったという。
つくづく、後輩思いの先輩たちだ。
その期待に応えなければならない。
そして、8月上旬に見極め教習を無事にクリアし、ついにその時を迎える。
卒検当日。
8月中旬。その日は、うだるような暑さだった。
甲府盆地は、盆地ゆえに、真夏になると、風の逃げ道がなくなり、灼熱地獄と化す。ましてやこの地球温暖化全盛の昨今。
下手をすれば、東京の都心よりも暑い。
けれど、バイクに乗るためには、「半袖」は厳禁で、もちろんスカートや短パンも許されていない。その辺りは、自動車学校では特に厳しい。
仕方がないから、薄い夏用のジャケットを着て、少しでも涼しくなるために、中にメッシュの入ったチノパンを履いてきた。
そして、その卒検で。
「瑠美! 応援に来たぞ」
「大田さん。がんばって」
「瑠美! Forza! Buona Fortuna!」
何と、先輩たち3人ともが、教習所の外にあるベンチに座って、声援を送ってきていた。
私がフィオに聞かれて、今日が卒検の日だと教えたからだろう。
フィオのイタリア語は完璧にはわからなかったが、もう慣れていた私は、恐らく「がんばれ。幸運を祈る」くらいの意味だろうと予想する。
もっとも、これは返って、プレッシャーになる気がする。
こんな応援の前では、逆に緊張してしまうような気がする。
それはともかく、先輩たちの応援が嬉しくないはずがない。
「ありがとうございます。がんばります」
そう、短く告げて、私はゼッケンを受け取りに、教習所内の中央にある、小さなプレハブ小屋に向かう。
そこは自動二輪用に設けられた、小さな待合室兼教室で、たまに教官がコースの説明や乗り方の説明をするために使用されていた。
そして、卒検の時は、待合室になる。
その日、受講する人は私以外に3人いた。私以外を、受験する順番にたどっていくと。
一人は20代前半くらいの男子。少しイケメンで、スタイルがいいが、この中では一番運動神経がいいことを、一緒に教習を受けたことがある私は知っていた。
一人は私より少し年上の大学生くらいの女子。少しオドオドした感じの大人しい子だ。
そして、最後に30代前半から後半くらいの男性。年齢のためか、さすがに落ち着いていた。
ちなみに、運がいいのか、悪いのか、私の順番は最後の4番目だった。
こういう時、共に戦う「仲間」のような彼らには「受かって欲しい」と思うものだ。むしろ周りの人が落ちると、不安になる。
だが、運命とはわからないもので、最初に意気揚々と出て行った、20代前半のイケメンくんは、あろうことか、踏切前で完全に停止していなかったのを減点され、さらに途中でコースを間違えて逆走し、あっさり教習中止になっていた。
(まさか彼が)
という思いが、私はもちろんあったが、他の受験者にもあったかもしれない。
続く、10代後半から20代前半くらいの女子。
彼女は、いつも自信なさげなところがあって、引っ込み思案なところがある。言い換えれば「弱気」だ。
それが災いしたのか、一本橋をふらふらと走り、あっさり転落して、卒検中止。
早くも4人中、2人が卒検自体を、中断されて、落第になっていた。
まだ誰も、最後まで走れていない。
さすがに不安になる私。
だが、3人目の30代男性だけは違った。何よりも、年の功というか、堂々としている。見事にコースをクリアし、一本橋はもちろん、すべての課題を難なくクリアして、完走していた。
(すごい。欠点がない)
そう思えるほどの、万全の走りだった。あれは合格だろう。
そして、ついに私の番。
(ああ。緊張する。けど、ここまで来たら、やるしかない!)
気合を入れて、バイクに向かった。
バイクはまたがる前から、検定は始まっている。サイドスタンドを払い、ミラーを調整し、後ろを見て出発。
だが、私は思わぬ「失敗」をやらかすことになってしまった。
コースを間違えたのだ。そのことに気づいた教官に、マイクで指摘されていた。
通常、卒検には、今まで教習で走ったコースのうちの、どれかを選んで実施されるが、いつもやるAコースと、たまにやるBコースを間違えていた。この日は、Bコースだったのだ。
だが、後で知ったことだが、コースの間違いは、減点対象にならないという。普通二輪や大型二輪の教習は、「減点方式」だから、最初の持ち点、恐らく100点から、いかに引かれないか、が問題になる。
その意味で、一本橋は、落ちただけで、検定中止、一発失格になるから、厳しい。
その一本橋。
1速で上がった私は、早くもフラついていた。ヤバい。これは、落ちるかも。
そう不安な気持ちが浮かび上がったが、ふと視界に入ったのが、フィオの笑顔だった。心なしか緊張しているようにも見えるが、あの天使のような美少女の顔が、私に勇気をくれる。
同時に、以前ここで会った時に、彼女が言っていた、唯一のアドバイスを思い出していた。
―瑠美。バイクのキホンは、ニーグリップネ!―
(そうだ。ニーグリップ!)
思いきり膝をタンクに押しつけた。すると、不思議なほど車体は安定する。
後は、前を見て、何とか乗り切ることに成功。
最大の難関を突破した後は、順調だった。坂道発進、S字、クランク、スラローム、最後に急制動。
いずれも、何とかクリアは出来ていた。
終わってみると、真夏ということもあるが、思った以上に汗をかいていた。
結果を待つまでの間が、一番緊張するが、ここで彼女たちに会っては、返ってぬか喜びさせることになるかもしれないから、私からはあえて会わなかった。
同時に、彼女たちもそれを察してくれていた。
そして、ついに結果発表。
「大田さん」
私の名前が呼ばれた。合格だ。ついに私は、普通自動二輪免許を取得することに成功した。
「良かったな、瑠美!」
「おめでとう」
「Congratulazioni! おめでとう!」
まどか先輩が、琴葉先輩が、フィオが、それぞれ笑顔で祝福の言葉をかけてくれた。ああ。私は本当にいい先輩たちに恵まれている。
同時に、ようやく合格できた。そんな幸福な気持ちの余韻に浸っていると、
「ところで、瑠美。もう乗るバイクは決めたのか?」
まどか先輩の一言で、私は我に返っていた。
そして、
「あ、そういえば、全然考えてませんでした」
あっさりそう返すと。
「何だと。なら、ヤマハにしろ。ヤマハはいいぞ。オシャレだ。カッコいい。ヤマハが一番だ」
「何言ってるの、まどか。バイクと言えば、スズキよ。スズキ以外、選択肢はないわ」
「瑠美。ドゥカティは最高ヨ! あのエンジン音。Bravissimo、素晴らしいネ!」
3人の先輩たちは、それぞれの思いを、それぞれ乗っているバイクのメーカーをたとえにして、推してきた。
だが、私は何も考えていなかったわけではなかった。同時に、自分が乗るバイクは、ホンダでも、ヤマハでも、スズキでも、カワサキでもないと思っていた。国産4メーカーのバイク以外を選択肢に選ぶ。
これは、すでに私が、「変り者」になっている証拠かもしれなかった。
薄ぼんやりと、乗りたいバイクはあったが、まだ明確には決めていなかった。




