猫耳先生とサイバーサムライ
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──猫耳先生とサイバーサムライ
「君の身体のオペレーティングシステムを見させてもらったが」
王蘭玲が呉に言う。
「バージョンアップしてないね? 旧式のままだ」
「これが丁度馴染んでいるからな」
「ふむ。しかし、いくつかの事項をバージョンアップするとさらなる信頼能力の向上が見込めるよ。試してはみないかい?」
「どうしたものかね」
東雲からは信頼できる医者だとは聞かされているが、相手は闇医者だ。下手に体を弄らせていいものだろうかと呉は考える。
「どれくらい向上できる?」
「脚部は約20%、腕部は約35%ほど。市販品のオペレーティングシステムが不安ならば、私の組んだオペレーティングシステムでもいいがね」
「あんた、機械化した身体のオペレーティングシステムが組めるのか……」
「その手の技術はある。そっちの方がより向上すると保証してもいい。まあ、市販品の方が定期的にアップデートできるが。それでも私のオペレーティングシステムも市販品と互換性はある。今後のアップデートに支障はない」
「ふむ……」
この女医はジェーン・ドウからも信頼を得ている。
そして、今回の件はジェーン・ドウの依頼だ。
女医とてジェーン・ドウを裏切ればどういうことになるかは想像できるだろう。
となると素直に受けた方がいいのかもしれない。
「分かった。頼む。あんたのオペレーティングシステムを当ててくれ」
「では、一度BCIポートに接続するよ」
「ああ」
呉の脳が王蘭玲のコンピューターに接続される。
既に腕の人工筋肉の移植手術は終わっており、自由に動かせるが、移植したての人工筋肉には慣らし運転が必要だ。
「君は感覚を試すとき、どうする?」
「腕ならコインを投げてキャッチする。丁度表になるタイミングで。足ならリフティングだ。ボールをずっと蹴り続ける」
「ボールならあるし、コインもある。試しながらやろう」
もう立ってもいいよと王蘭玲が言う。
「とりあえず腕から見てみよう。コインだ」
「ふむ」
昔の日本の100円玉。今は使えない記念品でしかない。
桜花の記された方を親指に乗せ、高く弾く。
この時点でサイバーサムライの本領が発揮される。
動体視力は常人の50倍以上。脳が認識するスピードを加速させて相対的に体感時間を遅らせ、行動するまでのラグのみが試される。
呉は表と認識した時点でコインをキャッチした。
「凄いな。反応速度が思った以上に上がっている」
「それはなにより。その腕は君たちサイバーサムライによっては魂より大事なものだろう。サイバーサムライが恐れられるのは、その腕と刀のみで、厳重に警護された要人を暗殺することにある」
「ああ。俺たちにとって腕は重要な商売道具だ。この腕で何十人もの要人を斬ってきた。サイバーサムライ。銃火器よりも素早く、そして防弾装備などをものともせず、対象を確実に始末する俺たちにとっては腕は命より大事だ」
その腕の調子が以前よりいいことに呉は上機嫌だった。
「次に足の調子を見てみよう。力加減に用心したまえ。思わず力がでることがあるからね。ここら辺の精密機械を壊されては困る」
「分かった」
そう言って呉はリフティングを始める。ボールを蹴り上げて受け止め、さらに蹴り上げをずっと続ける。
すこぶる調子がいい。100回を超えてもまだ続けられる。
使う力は最小限で、省エネ。それでいて反射速度は倍以上に増加している。
「問題なしだ。これはいいアップデートだった」
「それはなにより。また何かトラブルがあれば来たまえ。術後14日間は副反応などの責任を取って無償で診るよ」
「ありがとう、先生」
「どういたしまして」
今の自分ならばセイレムに確実に勝てるに違いないという自信が呉の中で増していた。この前は勝敗が明白につかず引き分けに終わったが、今度は勝てる。
「終わったか」
「ああ。あんたの番だ、相棒」
「あいよ」
呉と入れ替わるように東雲が診察室に入る。
「君は相変わらずの貧血だね」
「造血剤をかなり使ったから、補充をお願いしておきたい。これからまた荒事がありそうなんでね」
「全く。健康を気にしない患者だね、君は」
医者としては手に負えないよと王蘭玲は愚痴った。
「仕方ない。こういう仕事しか生きていく方法がないんだ」
「いっそ輸血パックから直接血を吸わせればいいのではないかね?」
「ダメだ。こいつは吸血鬼たちの王の剣だ。生きている人間から溢れ出たばかりの血しか受け付けない」
「難儀なものだ」
「だが、ロマンがあるだろ?」
東雲はそう言ってにやりと笑った。
「ロマンでは貧血は解消しないよ。造血剤はどれぐらい必要だい?」
「あればあるほどいい」
「医者として出せるのは30日分までだが、まあ闇医者がそのルールに従う必要はない。120日分出しておく。だが、過剰摂取には気を付けたまえよ。血圧の上昇はいいことはないのだから」
「まだ高血圧で悩む年齢じゃないよ、先生」
どちらかという低血圧だ、常に、と東雲は言った。
「低血圧は低血圧でいただけないが。まあ、必要に応じて使いたまえ。君は自殺するような人間じゃないから自殺目的の過剰服薬の心配はしていないとしても」
「そうとも。俺はこう見えても気楽に生きてるからな」
「ジェーン・ドウと関わっている時点で気楽でいられる立場ではないだろう」
彼女たちと関わるとそれ相応のリスクがあるはずだと王蘭玲は言う。
「だが、そう言う先生だってジェーン・ドウに信頼されているだろう?」
「まあ、便利な駒として使われていることは否めないな。金払いはいいものの、いつジェーン・ドウが心変わりして使い捨てにされるかと思うと気が気じゃないよ」
「ジェーン・ドウだって先生みたいに腕のいい医者を使い捨てにはしないさ」
「そうだとありがたいんだがね」
ジェーン・ドウもまた六大多国籍企業の駒だから、上からどんな命令が出て、いつ自分の扱いを変えるか分かったものじゃないと王蘭玲は語る。
「まあ、それについては俺たちも同じだな。ジェーン・ドウにとって不都合になったり、六大多国籍企業に不都合になったりすれば、使い捨てだろう。その時は犬らしく足掻いてやるさ」
「君らしい。そのポジティブな思考は維持したまえ。精神衛生にとっていい効果がある。悲観的になりすぎていいことはない」
「しかし、最悪は想定しろって言うだろ?」
「危機管理の話だ、それは。個人としてはポジティブであり続ける方がいい。楽観的過ぎるぐらいが、この鬱屈とした世の中を生きていくのに重要だ」
「確かに今の世の中は悲観したくなるようなことが多いがね」
六大多国籍企業の支配、国家と政府の形骸化、そしてAIの暴走と東雲は言う。
「こんな世の中だからこそ心病む人間は多く、弱い人間は電子ドラッグにのめり込む。大井統合安全保障は金にならないことはせず、電子ドラッグの取引はし放題。ウェアひとつで何十人と死んだこともある」
電子ドラッグも本物のドラッグと同じように脳に不可逆の影響を与えると王蘭玲はため息交じりに言った。
「BCI手術を受けていない俺には関係のない話だ」
「そういう油断はいけないよ。昔ながらのドラッグ取引が完全に終わったわけじゃない。今でもヤクザ、チャイニーズマフィア、コリアンギャングはコカインからLSDまで手広く扱っている」
「相変わらずの犯罪大国だな」
東雲は未来になれば治安はもっといいものになっているものだとばかり思っていたが、良くなるどころかどん底に突っ込んで、さらに地面に食い込んでいると思った。
「さて、貧血以外に困っていることは?」
「ないよ。どうも、先生」
「どういたしまして。体に気を付けて」
「ああ。今回の仕事が終わったらまたみんなでラーメン食べよう」
「そうだね。たまには大勢で食卓を囲むのもいいだろう」
そのためにも生き残りたまえよと王蘭玲は言った。
「もちろんだ、先生。今回の仕事も上手くこなすさ」
そう言って東雲は診察室を出て、待合室に向かった。
「今回のお会計の明細です」
「これで」
「承りました」
呉の手術代が9000新円。かなりかかったが、20万新円の報酬はこのためのものだったんだろうと東雲は割り切った。
「こちらはお薬になります」
「どうも」
造血剤をたっぷり受け取り、東雲はそれをカバンに仕舞う。
カバンはジャケットと同じ柄で同じ合成繊維のリュックサック。動きを邪魔されることはないが、いざというときに造血剤を取り出すのに苦労するので、造血剤は可能な限りポケットに押し込んでおく。
「終わったぞ。待たせて悪かったな」
「んー。大丈夫。さっきまでマトリクスに潜ってたから」
「何か調べものか?」
ベリアがワイヤレスBCIを指さすのに東雲が尋ねる。
「うん。次に敵が攻撃してくるならどこかなって。確かに白鯨は撤退したみたいだから、電子的な攻撃はないと思うんだけど」
「ここで話すと先生の邪魔になる。車の中で話そう」
「分かった。そうしよう」
ベリアはそう答え、東雲たちはクリニックを出た。
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