混沌とした情勢
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──混沌とした情勢
東雲たちがベンガル湾を抜けてタイを目指す中、ベリアたちハッカー集団“ケルベロス”は次の手を打つための準備を進めていた。
「白鯨はツバルにいる。そこが白鯨の拠点」
ベリアがBAR.三毛猫に設置された“ケルベロス”の専用トピックで発言する。
「ツバル? あそこに何かあったか?」
「ツバルにはアトランティスが投資してた。馬鹿デカいメガフロートを作って、データヘイブンや宇宙開発拠点にしようとしていた。実際に何度かロケットを打ち上げたはずだ」
「ツバルって気候変動で沈んだんじゃないのか?」
「六大多国籍企業の投資を受けて国土を強化して乗り切ったよ。それでも半分は沈んだがな」
「それ以降は投資した六大多国籍企業の言いなりだ」
ツバルについての情報が“ケルベロス”のハッカーたちによって語られる。
「フナフティ・オーシャン・ベース。前にシステムエンジニアとしての仕事で行ったことがある。航空宇宙港としての機能、データヘイブンとして機能、宇宙開発基地として機能。それらがあそこにはある」
アニメキャラのアバターがそう発言してデータをトピックにアップロードした。
「当時のツバルの構造物のデータだ。アトランティスはかなり力を入れていた。私は連中のために高度産業用氷を組み込んだが、それ以前から高度軍用レベルの氷に守られていたよ」
「これを見る限りツバルのマトリクスは高度に整備されている。流石は六大多国籍企業が整備したというか。構造物は大きいし、トラフィック量は膨大。それでいて氷は下手な軍用氷より強固だ」
「ああ。連中はツバルを秘密基地みたいにしてた。他の六大多国籍企業の産業スパイを排除し、ツバルという孤立した洋上空間で極秘に開発しているロケットやシャトルの実験をしていたのさ」
アニメキャラのアバターがそう説明した。
「ツバルがいくら小さな島国だからって人がいないわけじゃないだろ」
「気候変動による本格的な海面上昇のときに元の住民たちはオーストラリアやニュージーランドへ難民として保護されてる。残った連中もアトランティスがその気になれば追い払えるだろ」
ツバルのような気候変動による被害を受けた国では多くの国民が難民になった。
「宇宙開発のための秘密基地。それがASAに乗っ取られた?」
「みたいだな。もっとも新しい偵察衛星の画像だ。あちこちに地対空ミサイル陣地と地対艦ミサイル陣地。どれもアトランティス製のじゃない」
「全部アロー製だな。そして、サンドストーム・タクティカルはアロー製の武器を使ってる。イスラエル国防軍がアロー製の武器を使っていたことを考えるに、別に不思議ではない」
ハッカーのひとりで兵器に通じている人間が言うのにメガネウサギのアバターが同意してみせた。
「アロー製の武器をどこから調達してんだ?」
「アローはあちこちに武器をばら撒いてる。ブラックマーケットで取引されている武器の半分はアローが自分たちが傀儡にしている国に売却した後、その国の軍隊から横流しされたものだ」
「トートも無責任に取引するけどアローもかよ」
商品というものは量産することでコストが抑えられる。そのため六大多国籍企業の軍需部門は兵器という特殊な製品のコストを下げるためにあちこちの軍隊に取引を持ち掛け、安易にばら撒いている節がある。
「ツバルのマトリクスに跳んだ奴はいるか?」
「ただいま参上。行ってきたぜ」
ハッカーのひとりが尋ねるのにレースゲームキャラのアバターをしたハッカーがトピックに現れる。
「ツバルにはクソデカい構造物があった。正直、マトリクスでもあんなデカい構造物がツバルにあるなんて信じられなかったぜ。だが、あれが白鯨の居場所だとすると、納得できる代物だな」
「仕掛けはもうやったのか?」
「馬鹿言わないでくれ。相手はブラックアイスを滅茶苦茶に使ってる高度軍用氷でがっちり固めてるんだ。あんなのに仕掛けをやるのは遠回りの自殺も同然だぞ」
レースゲームキャラのアバターがそう言ってツバルのマトリクスをスキャンしたものをトピックにアップロードした。
「アトランティスの研究施設だったときの構造物がいくつかと、例の馬鹿デカい構造物がひとつ。これが白鯨のいる場所か」
ベリアがそのデータを見て呟く。
「なあ、白鯨を追いかける必要性は分かるが問題が増えてるだろ」
「歩く死体か? TMCもあちこちに死人が現れたって騒ぎになってるけどな」
「それだけじゃない。財団だよ。何なんだ、こいつら。今まで殺し合ってた六大多国籍企業が同盟したってのか?」
そう、財団だ。
“ネクストワールド”を巡って世界中で企業戦争を起こしていた六大多国籍企業が突如として停戦し、結成された組織。インドでの戦闘から間違いなく六大多国籍企業とその傘下の民間軍事会社が同盟している。
「財団についての情報は今のところほとんどない。六大多国籍企業が全員そろって悪だくみなんて前例がないからな。大抵は誰かが抜け駆けしようとする。連中に囚人のジレンマをやらせたら全員裏切るぜ」
「だが、団結したらしい。連中の目的はなんだ?」
「混乱の鎮圧、か?」
「混乱はビジネスチャンスだろう。それに鎮圧するだけなら同盟する必要はない」
ハッカーたちが推測を重ねる。
「財団についても調べよう。みんなで力を合わせればこの広大なマトリクスから情報を集められると思う。それから私が気になるのは生き返った死人の間でも意見の相違があるってこと」
「例のこっちに味方している死人か?」
「そう。死人が全員ASAが“ネクストワールド”で目論んだ通りに生き返りたがっているわけじゃない。一部の勢力は死者の世界と現実を分けておきたいと考えて、こっちに協力してくれた」
メガネウサギのアバターが尋ねるとベリアがそう答えた。
「そうだ。俺たちは別に生き返って現実に戻りたいわけじゃない」
そこに不意にそう発言するものが現れた。
「君は……まさか……。ディー?」
「久しぶりだな、アーちゃん」
トピックに姿を現したのは、ベリアにハッカーとしての基礎的な知識を授け、さまざまな仕掛けに参加し、そして白鯨事件でメティス本社の構造物に仕掛けを行なった際に死亡したハッカー、ディーだった。
「あんた、ディーか? 白鯨とやり合って死んだっていう……」
「白鯨とやり合ったのは俺の劣化コピーだ。俺自身はあのマトリクスの怪物とやり合う前にくたばっていた」
ハッカーのひとりが尋ねるとディーがそう返した。
「ディー。君はどっちの側?」
「聞くまでもない。俺は白鯨をどうこうしようとしてくたばったんだ。その白鯨が生み出した代物が世界をまた混乱させようって言うなら、相手になってやる。それだけだ」
ベリアが尋ねるのにディーが軽くそう返す。
「オーケー。君とまた組めるとは心強いよ」
「俺もだ。さて、死人の立場として質問に応じるつもりだ。何か気になることがあったら聞いてくれ。可能な限り情報は共有しておきたい」
ディーはそう言ってトピックにいるハッカーたちを見渡した。
「なあ、マジで死者の世界と繋がっちまったの? そもそも死者の世界ってのは本当に存在するものなのか? 地獄とか天国とかが実在するってわけ?」
「俺たち死者もどうなっているかは解明中だ。だが、確かに死者の世界は存在する。だが、それは文化的、宗教的な死生観で説明されるものではない。ミステリアスなものはないんだ。全ては科学だ」
ハッカーの質問にディーが答える。
「死者の世界を説明するのに手っ取り場合のは、死者の世界はマトリクスに極めて近いということ。死者たちはマトリクスのような空間で過ごしている。表向きには一種の疑似空間があって、基本的にそこで暮らす」
ディーが死後の世界について語り始めた。
「だが、疑似空間の裏にはマトリクスと同じく構造物があり、そこには情報通信科学的なコードが存在する。ただし、いるのは人間だけではなく、地球上の全ての生き物がいる」
「そいつは。死者の世界はマトリクスを模して造られたってことなのか?」
ディーの説明にメガネウサギのアバターが目を見開いて尋ねる。
「違う。死者の世界は遥か昔から存在した。それこそ紀元前の時代から。恐らくは収斂進化的なものだと考えている。死者とマトリクスのアバターは似た存在であり、そのような存在を収容する空間は類似したものになるのが必然」
「死者とマトリクスのアバターが似てるって? どういうことだ?」
「どちらも現実の存在じゃない。そして死者の世界における死者の動きは実にマトリクス的だ。構造物から構造物にジャンプし、好きな場所に侵入する。物理な距離の概念はない」
ハッカーの質問にディーが説明を続ける。
「あるハッカーが仮説を立ててる。この世界──現実、マトリクス、死者の世界全てだ──はリンクしている。現実からマトリクスにダイブするのと、現実で死んで死者の世界に行くのは同じだと」
「つまり、死者の世界はマトリクスのような情報の世界に近いということ?」
「ああ。そうだ、アーちゃん。だから、ハッカーたちが活躍できる。俺たち死んだハッカーは死者の世界の構造解析と死者の世界における死者の存在の解析に挑んでいる。大馬鹿ハッカーたちにとっては死者の世界も存外悪くないぞ?」
ベリアが尋ねるとディーがにやりと笑った。
「“ネクストワールド”がマトリクスの理を現実に上書きすることで現実と死者の世界を繋げた。これは実際に起きた事実。だから、死者の世界とマトリクスの類似点はあると思う」
「そして、それが意味するのは“ネクストワールド”による死者の世界との接続は情報通信科学的に切断できるということだ。今繋がっている死者の世界は地獄の釜の蓋が開いたわけじゃない。実に科学的な現象」
ロスヴィータとベリアがそう発言した。
「その通りだ。だから、俺たちのような死者の世界が現実に繋がることに懸念を示したハッカーや研究者たちは接続を断つためのプログラムを開発し始めている。開発中のプログラムはDusk-of-The-Deadって呼ばれている」
「死者の夕暮れ。死者の夜明けの逆か」
ディーはそう言い、トピックにプログラムをアップロードした。
「おい。これは本当に私たちが知っているコードだぞ。マトリクスの純粋な科学的コード。魔法使いでも、超知能でもなく、普通のハッカーが理解できるコードだ。これが死者の世界で機能するのか……」
アップロードされたDusk-of-The-Deadのプログラムを見てアニメキャラのアバターが思わずうなりを上げた。
そう、死者の世界で機能するというコードはマトリクスで氷やアイスブレイカーなどとして機能するプログラムを記述する言語と同じだ。
「する。マトリクスと死者の世界の理には互換性があるんだ。マトリクスで機能するものは死者の世界でも機能し、死者の世界で機能するものはマトリクスで機能する」
ディーはそう言ってDusk-of-The-Deadの構造解析データもアップロードする。
「だが、これはまだ完成してない。今の状況ではこのプログラムで繋がっちまった死者の世界と現実の接続は切断できない。恐らくは“ネクストワールド”に関する要素が不足しているんだ」
「そうか。雪風。このDusk-of-The-Deadと“ネクストワールド”を解析して、“ネクストワールド”を止めるためのプログラムは作れると思う?」
ディーが言うのにベリアが雪風に尋ねた。
「私は死者の世界についての知識が不足しているので、まだ断言はできません。ですが、ディー様が御説明なさったことが事実であるならば、私はマトリクスで動作するものとしてプログラムを記述し、それが意味を成すかもしれません」
「雪風。あんたに頼みたい。死者の世界に超知能の死者はいない。白鯨という超知能に対抗できるのは同じ超知能である、あんただ」
雪風が述べるのにディーがそう断言した。
「そうだな。超知能ってのは人間という知的生命体を超越した存在だ。いわば今の状況は神様を相手に戦争をするようなものだ。そして、数多くの神話で人間が神に挑んで勝てたことはない」
「神じゃない。確かに神話の神はメタ的に言えばゼウスもオーディンもヤハウェも人間が作ったものだが、神話の中においては人間が神を作ることはない。だが白鯨は人間に作られた人間の技術によるものだ」
アニメキャラのアバターが言い、メガネウサギのアバターが返す。
「そうだよ。これは無謀な戦いに見えるけど勝ち目はある。あるんだ」
ベリアがそう力強く発言した。
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