企業亡命//その理由
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──企業亡命//その理由
「流石にホテルの飯は大丈夫だよな?」
「おいおい、東雲。あんたトロントで散々飲み食いしただろ?」
東雲がホテルのレストランで出されるステーキをまじまじと見て、呉が呆れたようにそう言った。
「このホテルは天然ものを使ってるぞ。トロントとは違う」
「へえ。ジェーン・ドウも随分と羽振りがいいな」
「死刑囚に与える最後の食事じゃないといいけどな」
「勘弁してくれよ。飯ぐらい穏やかに食わせてくれ」
セイレムが冷やかすのに東雲が肉を口に運んだ。美味い。
「まあ、下手な天然ものより合成品の方が安心ではあるんだがな」
「文句言いつつも食ってるじゃないか」
「俺はテクノフォビアじゃないから循環型ナノマシンが解毒してくれる」
「俺たちは、な」
暁がステーキを口に運ぶのに呉が東雲を見た。
「はいはい。悪うございましたよ。全く、胃腸薬持ってきてるからいいもんね」
「拗ねるなよ」
東雲が鼻を鳴らし、呉が苦笑する。
「東雲。これからも仕事を続けるならBCI手術を受けて、ナノマシンを入れた方がいい。命に係わることもあるぞ」
「俺は俺なりのやり方でやるから心配ご無用。死にはしないし、迷惑もかけない。ワインも天然ものか?」
「天然ものと合成品の区別がつくのか……」
「言ってくれるぜ」
東雲はそう言って赤ワインのグラスを口に運んだ。
『東雲。今大丈夫?』
そこで東雲のARデバイスにベリアから連絡が来た。
「今食事中」
『じゃあ、大丈夫だね』
「飯食ってるって言っただろ」
『じゃあ、食べながら聞いて』
東雲の抗議を無視してベリアが喋り続ける。
『今回の仕事に当たる人間を調査した。佐伯陽太、アダム・クリシュナン、リアム・アイアンサイド』
「結果は?」
『佐伯陽太は元日本陸軍対特殊武器衛生隊の大佐。第三次湾岸戦争後の国連大量破壊兵器無力化活動に参加して、イスラエル、イラン、イラク、シリアで生物化学兵器の確保と中和に当たっている。怪しい点はなし』
「医者は大丈夫。他は?」
『アダム・クリシュナン。第三次世界大戦後のマレーシア・タイ戦争で空軍の輸送部隊で前線との輸送任務に従事。一度機体が撃墜されて、雇われていて太平洋保安公司の捜索救難部隊に救出されてる』
「怪しい点は?」
『ギャンブル依存症気味でいつも素寒貧。借金にも手を出してる。この仕事の報酬で返済しようって気なのかも』
「ある意味信頼できる人間だな。金が欲しい人間は金のために忠実に働く」
東雲がそう言ってステーキを口に運び、赤ワインを味わった。
『で、リアム・アイアンサイド。この男は元アメリカ情報軍の大佐。従軍中は第六次中東戦争、第三次湾岸戦争、第二次ロシア内戦に関与している。目的はイスラエルやロシアから優秀な技術者をアメリカに連れ帰ること』
「ペーパークリップ作戦か」
『そ。アメリカ情報軍は有能な技術者を引き抜いて連れ帰った。その後、リアムは軍を退役し、ジェーン・ドウの駒になってる』
「裏切る可能性は?」
『これまでいくつもの引き抜きに関わってる。今さら他の六大多国籍企業に雇ってもらえるとは思えないね。報復の対象になってると思う』
「これで人員は白と判明。他には?」
『ルーカス・J・バックマンの企業亡命の理由が分かったかも』
ベリアが真剣な表情をする。
「理由は? 金? 女? 昇進?」
『我らが旧友と接触した可能性がある。研究所のネットワークの中のルーカス・J・バックマンの個人端末を調べた』
「すげえな。何が分かった?」
『雪風に接触したかもしれない』
「何だって?」
東雲が思わず声を大きくする。
『落ち着いて。まだ可能性。雪風は痕跡を残さない。だけど。ルーカスは違う。彼の個人端末のバイオグラフィを調べたら『私はマトリクスの幽霊に出会った。そして、知った。アトランティスがなんと恐ろしいことを考えているのか』』
「ビンゴ。雪風はルーカスにアトランティスから離れなければならない情報を渡した。そして、ルーカスは企業亡命を決意した」
東雲がパンを千切りながらそう言う。
『ビンゴじゃない。可能性だよ。雪風が何を伝えたらルーカスがこれまでキャリアを積み上げてきたアトランティスから亡命する? それほど恐ろしいことって何?』
「分からん」
東雲はそう言ってステーキをさらに口に運ぶ。
『ルーカスは生物情報学者って点に注目かな』
「生物情報学ってDNAやタンパク質の解析だろ? どうも雪風に繋がる情報には思えないな。雪風はそういうことが専門じゃない」
『生物情報学では人間の記憶や思考というデータを分子生物学的に解析する分野も含んでいる。プロジェクト“タナトス”っていう人間のバックアップを作ろうとしたプロジェクトにも彼らは参加している』
ベリアがそう説明した。
「生物の情報に関するものは全て関わるってことか」
『生物の記憶や思考がどこまでDNAの配列による先天的なものか、そしてどこからが教育や環境などの後天的なものかを確かめる。そういう研究も彼らはしてるってことだよ』
「そんな研究をしている学者に雪風が接触した。マトリクスの魔導書。あれがヘレナの脳の記憶が基になっていることを考えると、そこら辺の情報が関係してくるのかね」
『私もそう見てる。暁とヘレナの言うことを信じるなら、マトリクスの魔導書を生み出したのはアトランティス・バイオテック。そして、ルーカスはアトランティス・バイオテックの研究者だ』
「ふうむ。白鯨のことを連想したのかもしれないな。どういうわけかマトリクスの魔導書は自律AIのように行動し、そして電子戦兵器として作用する。第二の白鯨事件を恐れたってことか?」
『そうかもね。あるいは生と死がごちゃまぜになるのを恐れたのかも』
「生と死がごちゃまぜになる?」
『ルーカスはプロジェクト“タナトス”の中止後に行われたマサチューセッツ工科大学のプロジェクト“パラダイス”に参加していた。そこからアトランティスが彼を大学から引き抜いた』
「プロジェクト“パラダイス”? 随分と景気のよさそうな代物だな」
『君が想像しているのとは全然違うよ。これは絶滅危惧種、あるいは絶滅種のコンピューター上でのシミュレーション。まずDNAの情報、そこからシミュレーションされるDNAの発現、DNAからのタンパク質の構成』
「そして、生物がどう生きるかまでをシミュレーションするってわけか?」
『その通り。事実上の生命のバックアップ。だけど、これも成功しなかった。複雑すぎたんだよ。デジタルな空間で有機的で、ランダム性の高い生命というものをシミュレーションするのは当時の技術では困難だった』
「ま、だろうね。生物ってのは凄い神秘だぜ。原初のアミノ酸が偶然生まれたRNAによってタンパク質を構築するようになり、RNAの組み合わせがいくつも生まれることによって初期の単細胞生物が生まれた」
『いつから生物学者になったの、東雲? 言っておくけど2050年の生物学はもっと進歩していろいろと通説は変わっているからね』
「どーせ俺は高卒ですよーだ。で、それでどうして生死があいまいになるんだ?」
『もし、プロジェクト“パラダイス”が成功していたら、絶滅危惧種と絶滅種だけじゃなくて、人間のバックアップも取れる。そうなったらどうなる? 死んだはずの人間のバックアップに人権を与えるのか?』
「ただのデジタルデータに人権はやれないって思うけど、完全な人間のバックアップだったらそうも言えないな」
『そういうこと。もし、六大多国籍企業の重役がバックアップされて、死後も職権を振るうことができるとしたら? 永遠に富を独占することができる。死者が支配し続け、富は循環しない』
「あまり理想的な世界とは言えないな。どうにも特権階級が得するだけのように思える。死んだら大人しく引退してほしいね」
東雲はそう言って赤ワインのお替わりを頼んだ。美味いのだ。
「ルーカスの企業亡命の理由は後で本人に聞けばいい。それより他に情報は?」
『オデッサ・サークルについても調べておいた。ニューヨークにおける最大の東欧マフィアだね。東欧はウクライナ戦争と第二次ロシア内戦、第二次欧州通貨危機でガタガタ。東欧からは亡命者が相次いだ』
「オデッサ・サークルもそのひとつ?」
『イエス。ニキータ・レノフ元ロシア空挺軍大佐。ロシア軍によるオデッサ上陸作戦に参加。オデッサに橋頭保を作るもすぐにウクライナ軍の反撃を受けて、瞬く間に追い込まれた。で、そのまま彼は部下を率いて脱走』
「そのまま夢の国アメリカへ、と」
『そう。ロシアの脱走兵たちはあちこちに逃げた。ウクライナ戦争と第二次ロシア内戦で亡命者は続出。人道的配慮から各国が亡命を受け入れたけど、ウクライナだけは戦争犯罪者が亡命したと国際刑事裁判所に訴えている』
「ニキータも戦争犯罪者か?」
『いいや。彼はただの野戦指揮官だよ。彼の部隊は潔白。何もしてない。負けたのが犯罪だとするならば犯罪だし、統一ロシアは脱走兵に重罰を科すと言っている』
「信頼は?」
『少なくともジェーン・ドウ以外の六大多国籍企業とは取引してない。非合法な取引については山ほどしてるけど。旧ロシアの元ロシア連邦保安庁の捜査官たちの癒着も指摘されてる』
「ロシアにはトートが関与してるんじゃなかったか?」
『統一ロシアにはね。旧ロシア政府関係者は今の政権から鬱陶しがられているし、旧ロシア政府を支えていたオリガルヒは六大多国籍企業にとっても邪魔。で、ニキータの取引相手はその疎まれながらも存続してる連中』
「なるほどね。日陰者同士仲良くやっているわけだ」
東雲が納得したように肩をすくめる。
『それから仕事の上で重要になるのはALESSとハンター・インターナショナルの動きだよね? それについても調べてある。今のALESSのニューヨーク管轄の司令官はイザック・アルグー』
「そいつはどういう人間だ?」
『元フランス陸軍中将。第六次中東戦に伴って勃発した第二次アルジェリア紛争を戦っている。戦後の対テロを重視した治安回復の成功を評価されて、ALESSに雇われた。結構珍しいよ。フランス軍人がアトランティス系列に雇われるの』
「ふうん。軍人がやる治安維持ね」
『ま、君が想像している通りだよ。力尽くで言うことを聞かせる。大井統合安全保障とやることは変わらない。質問は撃ってからで、暴徒鎮圧に機関銃と戦車。軍人上がりはこれだから』
「どいつもこいつも」
ベリアの言葉に東雲はそう言いつつ、パンを口に運んだ。
『それでもニューヨーク市自治政府との関係は良好。ニューヨーク市自治政府がアトランティスの傀儡だから当然と言えば当然だけど』
「やれやれ。で、そいつのやり方は?」
『ゲート戦略。ニューヨーク市はいくつかのエリアにゲートで分けられている。ALESSは優先度をつけて治安維持に重点を置く場所と放置する場所に分けてる。ゲートの通過はALESSのコントラクターと生体認証スキャナーがチェック』
「TMCのセクター制度のようなものか」
『それを10倍酷くした感じ。TMCではセクターを跨いでも大井統合安全保障のコントラクターに睨まれるだけだけど、ここでは絶対に通行禁止。許可証がなければALESSのコントラクターは絶対に通さない』
社会の分断を促進しているとベリアが言う。
「金持ちは金持ちだけで暮らしましょう。金持ちの暮らす場所は守りますが、それ以外は知りませんってか。そりゃ社会も分断されるわな」
『そう。貧しい環境に生まれたら碌な教育は受けられないし、治安も最悪で衛生環境も最悪。平均寿命は10歳も違うらしい』
「へえ。ところで、俺たちの身分はどうなっているんだ?」
『大井の用意したペーパーカンパニーの社員。ドレイク・ロジスティクスって会社。一応企業格付けAAの会社だよ。今の君たちは金持ちのビジネスマンってわけだ』
「嬉しいね。天然もののステーキにもありつけたし」
『羨ましいよ。私は今日も中華のテイクアウト。お土産よろしく』
「はいはい」
そう言って東雲はベリアとの連絡を切った。
「ハッカーからの連絡か?」
「ああ。いろいろと調べてもらった。今のところ問題なしだ」
「そいつは結構」
東雲が言うのに呉が頷いた。
「ところで、ニューヨーク土産ってのは何が定番なのかね?」
デザートの前に東雲は呉たちにそう尋ねた。
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