トロント//ストレンジャーズ・ジャム
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──トロント//ストレンジャーズ・ジャム
「東雲。飲みに行かないか……」
呉がそう話を持ち掛けてきたのはホテルのレストランでの夕食──流石はメティスのお膝元なだけあって上質の合成品──を済ませて30分ほどが経ったときだった。
「おいおい。誘うのは俺でいいのか? セイレムは?」
「あいつは仕事の前には飲まない。仕事に積極的になるための条件付けにβエンドルフィン促進作用のあるインプラントをしていて、酒が入るとそれと競合しちまう」
「難儀なもんだな。じゃあ、一緒に飲むか」
「いい店を知っている。天然の酒を出す店だ」
「そいつはいいな」
東雲は呉に誘われるままにホテルを出てトロントの街をタクシーで走り、呉がいい店だと紹介したバーを訪れた。
「ストレンジャーズ・ジャム、ね。余所者の苦境とはちょっと縁起が悪くないか?」
「気にするな。別にこの店は余所者ばかり集まっているわけじゃない。ただ店を始めたのが元アメリカ中央情報局の工作担当者ってだけだ」
「きな臭え」
「そういう肩書の方が店が有名になって金が入るんだよ」
バーの外装と内装はヴィクトリア朝時代のイギリスのパブを模したものだが、この店にそんな歴史はない。
「何だってアメリカ中央情報局の工作担当者がバーを?」
「元々は中東で情報活動を行なっていた人間なんだが、あそこは第三次世界大戦後の2030年代に第六次中東戦争で滅茶苦茶。で、アメリカは歴史的にイスラエルを支持してきた。連中が核爆弾を他の国にぶち込み始めるまでは」
「ああ。あのジャクソン・“ヘル”・ウォーカーの話だな」
「そう、それだ。アメリカはイスラエルの暴走を止めるためにイスラエルを支持することを止めて、軍を介入させた。民間軍事会社に支援された軍隊をな」
「そういう時こそアメリカ中央情報局の出番じゃないのか。戦争は情報が命だろう……」
「2020年代からアメリカは文民情報機関のお粗末さに呆れて、軍事情報機関に予算を投じていた。アメリカ中央情報局がアメリカ政府の介入決定時にイスラエルに配置していた要員はここのオーナーひとりだけ」
「どういうザマだよ。悲惨じゃねーか」
「悲惨だよ。だから、オーナーは本来ならば準軍事作戦要員のやるべき仕事が回ってきた。イスラエルが核爆弾を周辺国に叩き込むことを決定した陸軍上がりの首相の位置を特定して誘導装置を仕掛けるって任務だ」
「そいつが失敗してアメリカ中央情報局から追い出された?」
「逆だ。見事にその任務に成功しちまったんだよ。アメリカ海軍はその地点に地中貫通型巡航ミサイルを叩き込みバンカーごとふっ飛ばした。ドカン」
「それならなんだってバーのオーナーになるんだ? 出世するんじゃないのか?」
「ところがどっこい。当時のアメリカ中央情報局のボスはユダヤ系だった。失敗すると思って任務を割り当てたんだ。本当はその首相と秘密裏に戦争の落としどころを探るつもりだった」
準軍事作戦要員を含めた増援の準備はできていたんだと呉が語る。
「で、クビになったと」
「ただクビになったなら不幸中の幸いだったんだが、こいつのおかげでイスラエルという国は姿を消した。今は国連パレスチナ活動が暫定統治する民間軍事会社の天国さ」
国土全土がTMCセクター13/6になっちまったようなものだと呉が言う。
「読めてきたぞ。その件で恨みを買ったって訳だ」
「その通り。元イスラエル諜報特務庁と元イスラエル国防軍の連中は殺したがっている。そして、アメリカ中央情報局はこいつを保護することを放棄した」
「で、カナダに逃げた」
「アメリカに反発していたカナダ政府だけが保護を約束したからな。こいつはカナダに亡命。そして、今のこのバーをやっとこさ始めたってわけだ」
「まさに余所者の苦境ってわけだ」
まさか自分が国ひとつ滅ぼす羽目になるとは思ってもみなかっただろうなと東雲は少しばかり同情した。
「で、そんな無駄話を仕事の前にしようってわけじゃないだろ?」
「そうだ。まあ、待っていろ」
呉がそう言うとカウンター席に座っているふたりの前に不満そうな顔をしたアングロサクソン系の男が姿を見せた。バーテン服だ。
「そろそろ酒を頼んでもらえないかね? うちは公園じゃないんだ。ここはバーだ。談笑するなら酒を飲みながらにしてくれ」
「あんたを待ってたんだよ。イーサン・ルービンだろ?」
「そうだよ。で、酒は?」
「テスラ・タワーを」
「あいよ。あんたは?」
イーサン・ルービンと呼ばれた男が東雲に尋ねる。
「あー。ジョニー・ザ・ブレイクってあるか?」
「あるにはある。しかし、酔う気がないのか? 今日は素面でいようってわけかい」
「分かったよ。強くてそこそこ高い酒をくれ。あんたに任せる」
「オーケー」
イーサンはカウンターの後ろにある酒瓶や冷蔵庫の酒瓶を取って洒落たグラスにカクテルを入れて東雲と呉の前に置いた。
「テスラ・タワーとアングリィ・デッドマンだ」
東雲はオレンジの切り身が添えられたカクテルに口をつけた。
最初は甘いと思ったがすぐに喉を焼くようなアルコールの強さが襲う。
「なあ、昔話をしてくれないか。チップは弾む」
「はあ。俺はもうアメリカ中央情報局の工作員じゃないんだぜ。カナダ政府からはそういう行為をしないことと引き換えに守ってもらってるんだ。ほら、あそこに王立カナダ騎馬警察の捜査官だ」
連中は俺を見張っているとイーサンが愚痴る。
「昔話だ。あんたが経験したことを聞かせてほしい。第六次中東戦争のときイスラエルにいたんだろう。で、ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーにも会った」
「会ったよ。イスラエルで特殊作戦部隊の受け入れ準備ができていたのは俺とアメリカ情報軍の連中だけだったからね」
「奴はどんな男だった……」
「ネイビー・SEALsチーム13のオペレーターらしい格好をした男だったよ。アメリカ特殊作戦軍標準仕様の軍用ボディを拘りを感じられるカスタムにしていた。機械化率はあのとき既に80%を超えていたな」
それから同じく銃火器はアメリカ特殊作戦軍標準仕様の電磁ライフルにオプションを付けまくったものを二丁と昔ながらの45口径──コルト・ガバメントだったとイーサンが言う。
「奴が戦うところを見たかい?」
「見たよ。俺があの哀れな陸軍上がりの首相をふっ飛ばすのに手を貸してパレスチナ自治区に逃げ込んでいたときにね。奴ともうひとりのオペレーターをパレスチナ自治区経由でイスラエル本土に送り込もうとしていた」
そこでイスラエル国防軍の第35空挺旅団が第401機甲旅団の部隊と一緒にパレスチナ自治区に殴り込んできたとイーサンは言う。
「イスラエル諜報特務庁が網を張っていたんだろう。連中の襲撃は明らかにこっちを狙っていた。で、我らがジャクソン・“ヘル”・ウォーカーがこともなげに電磁ライフルを手にした」
「どうなったんだ?」
話のオチ──ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーが結局はイスラエルに侵入しミサイルサイロを制圧すること──を知ってる東雲としても興味が湧いた。
「虐殺だ。ジャクソン・“ヘル”・ウォーカーはまずは電磁ライフルで戦車をふっ飛ばした。機械化された人間らしい正確な射撃で戦車の砲弾が発射される瞬間に砲口に徹甲炸裂焼夷弾をぶち込んだ。ドカン」
アメリカ特殊作戦軍標準仕様の電磁ライフルの威力は凄まじいとイーサンは語る。
「一瞬で戦車6台がスクラップになった。哀れな戦車兵は炎上する戦車から逃げようとしたところで奴に頭をふっ飛ばされた。電磁ライフルの射撃は普通のライフルの射撃とは違う。文字通り、頭が吹っ飛ぶ。消滅する」
嫌なものを思い出したという顔でイーサンは語った。
「イスラエル国防軍は反撃しなかったのか?」
「したさ。強化外骨格を装備したエリート空挺兵たちが奴を止めようとあらゆる銃火器を射撃していた。小型対戦車ミサイルどころか運動エネルギーミサイルすら使用された」
「それでも奴は止まらなかった、と」
「ああ。アメリカ特殊作戦軍標準仕様の軍用ボディは12.7ミリにも耐えられる。それに奴は攻撃を躱していた。奴はライフル弾より速く動く。そして、そんな高速移動しながら正確に空挺兵たちの頭をふっ飛ばした」
脳みそに突っ込んでいる強化脳のインプラントのおかげとイーサン。
「二丁の電磁ライフルを振り回して奴は撃ちまくった。辺りにいる連中全てを。パレスチナの一般市民も巻き添えだ。パレスチナのイスラム過激派も同様に。電磁ライフルの甲高い発砲音と同時に人間がミンチになる」
「ひでえな」
「戦車と空挺兵が全滅したときには辺り一面死体の山だ。イスラエル国防軍が爆撃して廃墟になっているパレスチナ自治区の通りは血の海だった。誇張じゃない。血がどっぷりと溜まっていた」
あの時からジャクソン・“ヘル”・ウォーカーは地獄を歩く者だったとイーサンは肩をすくめる。
「それから奴をパレスチナ自治区からイスラエル本土に送り込んだ。奴がイスラエル本土で何をしたかなんて知らないが、想像はつく。殺しまくったのさ。奴は機械化されて、人間の心を失っていた」
「最後に奴に会ったのは?」
「イスラエルという国家が消滅し、国連軍が派遣されてきたときだ。国連軍と言っても全部民間軍事会社が引き受けていたんだがね。で、奴はイスラエル本土で暴れまわって帰国するときに会った」
「どうだった? 奴も少しは疲弊していたか?」
「全然。殺し足りないって顔だったよ。奴は死んだイスラエル国防軍の兵士の写真をデバイスに集めていて、俺にもそれを見せてきた。電磁ライフルで上半身がなくなった兵士や手足だけ残った兵士の写真」
吐きそうになったとイーサンがぼやく。
「奴はサイコパスだ。確かに特殊作戦部隊のオペレーターにはサイコパスの傾向があるというが、奴はマジだ。人殺しを楽しんでる。機械化率を上げ続けているのも…もっと殺すためさ。決まってる」
「だが、今はアメリカ海軍を除隊し、ベータ・セキュリティに移籍した。ベータ・セキュリティに引き抜かれた」
「やることは変わらん。メティスに逆らう連中を皆殺しだ。メティス内の権力闘争に失脚した連中も始末してる。アメリカ特殊作戦軍の電磁ライフルより大口径、高射撃レート、そして凄まじい威力ので」
「機械化はさらに進んでいるのか?」
「メティスが開発したヘカトンケイル・コンバット・システムを扱って、今や四本の腕で四丁の電磁ライフルを振り回している。普通の人間が扱ったら反動で腕が千切れるような代物を」
「そいつは」
「奴は今、トロントの特殊執行部隊に所属している。悪いことは言わんから、奴の相手をするようなことはするな。奴とベータ・セキュリティの特殊執行部隊は化け物だ」
イーサンはそう言って空になった東雲と呉のグラスを見る。
「ついでに注文してくれると助かる」
「じゃあ、一杯だけ。さっきと同じものを。これはあんたの昔話に対するチップだ」
「ありがとう。正直、もう思い出したくもなかったがね」
イーサンはそう言うとさっきと同じカクテルを東雲たちに出し、東雲たちはそれを飲み終えると支払いを済ませてストレンジャーズ・ジャムを出た。
「どうやら本当に不味い奴が相手にいるらしいな」
「ああ。クソ不味い。ヘカトンケイル・コンバット・システムは噂には聞いていたが、機関砲の射撃にも耐える頑丈さと電磁ライフルを自在に振り回せる出力がある。その上、話を聞く限り強化脳のインプラントが強力だ」
「銃弾より速く動いて、それでいて狙いは外さないとかどうなっているんだ。もう化け物だよ、化け物。ただ、いくら機械化しようと奴も人間だ。そして、人間は殺せる」
「自信あるのかい……」
「出てきたらぶっ潰してやるよ。スライスしてやる。伝説が何だ。英雄が何だ。ただの大量殺人鬼じゃねえか。そいつをぶっ殺しても良心は痛まないのはいいことだぜ」
「あんた、殺しで良心が痛んだことはあるのかい……」
「ないね。だが、俺は殺しを楽しんだり、人の死を面白がったりはしない」
東雲はそう言ってタクシーを捕まえ、ホテルに戻った。
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