勇者だったんだよ
本日1回目の更新です。
……………………
──勇者だったんだよ
「まあ、先生は他言するような人じゃないし、どうせ信じないだろうから事情を話しておいてもいいか」
東雲が語り始める。
「俺は2012年に異世界に召喚された。勇者として。そこで様々な技術を教わった。身体能力強化もそのひとつだ。俺は弾丸のような速度で放たれる弓矢や攻撃魔法の中を駆け抜け、戦う術を教わった」
東雲は王蘭玲の反応を見るが彼女は動じていない。
「だから、俺は生身の身体で民間軍事会社だろうが、犯罪組織だろうが“相手にしようと思えばできる”ってことだ」
「ファンタジー小説のような話だね」
「信じられないだろう?」
東雲が冗談めかしてそう言う。
「いや。君のテクノフォビアを説明するのにはもっともな話だと思うがね。それにBCI手術を受けていないサイバーサムライの方がよほどファンタジーだ」
王蘭玲は真面目にそう受け取っていた。
「君が勇者ならば、あの子は聖女か何かかい?」
「いいや。魔王だ。もっとも俺と同じで召喚されて魔王をやらされてただけみたいだけどな。訳あって一緒にこの世界に来ることになった。この世界に戻ってくるまで俺は死にかけてたんだぜ……」
「それは君が血を失うのと関係があるのか?」
「いいや。魂の座標が合っていなかったってそういう話だよ。魂の座標がずれていたから、俺は衰弱していき、死にかけることになったんだ」
そういう意味ではベリアは命の恩人だと東雲は言う。
「それは因果が間違っているだろう。魔王がいるから君が召喚されたのだろう? 魔王がいなければ君は時代の変化においていかれることも、死にかかることもなかったはずだ。違うかね?」
「まあ、理屈としてはそうかもしれないけど、お互いに好きで勇者と魔王をやっていたわけでもないし、今はなんだかんだで一番の友人だ。友情を理屈で壊したくはない」
東雲はベリアに親しい感情を抱いていたし、ベリアもまた東雲に親しい感情を抱いていた。ふたりは親友だと言える。
「ふうむ。しかし、異世界帰りか。いろいろと検査してみたくなるね。今度、筋力テストや反射神経のテストを受けてみないかい? もちろん、検査代は私が負担するよ」
「いや。遠慮しておく。下手に数字に残さない方がお互いのためだ」
「それはジョン・ドウかジェーン・ドウからの警告かな?」
「俺なりの考えだよ、先生」
この世界に有らざるものを、この世界に有ってはならないものを、記録してしまうのはトラブルの種になりかねない。
王蘭玲にとっても、東雲にとってもそうだ。
最初からなかったことにしておくのが最適解。
少なくとも東雲はそう思っている。
「それにしても先生は俺のことを頭がおかしいとは思わないんだな」
「頭のおかしい電子ドラッグジャンキーを何人も診てきたが、彼らの妄想には一貫性がない。脳がランダムに選んだ要素を拾い上げて、無理やりつじつまを合わせようとするからそうなるんだ」
そう言えばここは精神科でもあったよなと東雲は思い出した。
「その点、君の話は整合性がある。今置かれている状態の説明にも、これまでの状態にも筋が──ファンタジーではあるが、通るものだ。君は狂ってはいないよ」
本当の電子ドラッグジャンキーを何十人と見て来た私が言うんだからと王蘭玲は言った。
「そいつは嬉しいね。まあ、先生なら軽く受け流してくれるだろうと思って話したんだが。先生は何事にも淡白じゃないか」
「まあ、情熱を燃やすようなことがそうそうあるわけでもない。君も仕事に情熱を注いでるわけではないだろう。ただ、ジョン・ドウかジェーン・ドウから斡旋されてきた仕事を淡々とこなす」
世の中は仕事で回っていて、私たちは消費するために仕事をし、仕事をするために消費すると王蘭玲は言う。
「結局のところ、情熱なんてものがそこから生まれ得るとは私は思えないのだよ」
「確かに」
「だが、君は勇者という立場には情熱を注いだんじゃないのか?」
王蘭玲がそう尋ねる。
「いいや。最初はもてはやされたからいい気になっていただけ。力もあったしな。だが、体が衰弱し始めると、冒険心も、名誉欲もどうでもよくなった。ただ、助かりたかった。ただ、生き残りたかった。それだけさ」
「勇者というのも存外虚しいものだ」
東雲の答えに王蘭玲はそう言って肩をすくめた。
「その点、ベリアは今生き生きしている。マトリクスこそが定められた居場所だったとでもいうように。なあ、先生。マトリクスで電子ドラッグに引っかかることってのはないよな?」
「ないわけじゃないが、君の相棒はちゃんと氷を使っているのだろう。それなら心配することはない」
そこで王蘭玲が尋ねる。
「君たちは魔法は使えるのか?」
「ベリアは使える。俺のはエレメンタルマジックだから無理だ。この土地の精霊は弱っている。魔力を与えれば活動するかもしれないが、あっと驚くような劇的な変化を起こすのは難しい」
「興味深い話だ」
王蘭玲はそうとだけ言って、ナイチンゲールに点滴を外すように命じた。もう血液パックは空っぽになっている。
「気分はよくなったかい?」
「おかげさまで。ありがとう、先生──」
そこで東雲がぎょっとした。
東雲の視界の先。診察室の扉の前に和服の少女が立っていたのだ。
10、11歳程度で、きっちりと帯を締めた和服を着こなしている。和服の柄は雪の結晶を描いており、白に青の柄。
容姿は非常に整っており、くりくりとした青色の目に、真っ白な髪をシニヨンにして纏め、雪の結晶をかたどった意匠の飾りが付いた簪を刺している。
だが、その存在はこの非合法なクリニックからは見事に浮いており、東雲はまるで幽霊でも見たような気分になった。
「先生。あの子は……」
「あの子?」
東雲が指さすのに、王蘭玲が怪訝そうな顔をする。
「ほら。そこにいるだろう。10歳ぐらいの女の子だ」
「ふむ? 君、首の後ろを見せてくれ」
「電子ドラッグはやってない。BCI手術を受けてないんだ」
「では、ARコンタクトレンズは?」
「付けてる」
「外してみてくれ」
東雲はARコンタクトレンズを外すと、少女の姿は消えた。
「ARだったのか……」
「マトリクスの幽霊の話を知ってるかい?」
東雲が瞬きするのに王蘭玲が言う。
「マトリクスに不思議な子供のアバターが現れるそうだ。場所は厳重な氷で守られたサーバー内だったり、あるいはかなり閉鎖的な電子掲示板であったり。そして、AR上にも彼女の姿が見えるときがあるそうだ」
「幽霊か。アンデッドの相手をしたことはあるが、こっちの世界にまでそういうのがいるとは思わなかったな」
「どうしてだい? こっちの世界でも人は死ぬんだ。そして、魂はある」
「それもそうだな」
だが、ゾンビはいないだろうと東雲は笑っていった。
「ゾンビは今のところハリウッドの特権だね」
「デジタルゾンビなんて出てこられたら困るぜ」
東雲はそう言ってARコンタクトレンズを付け直す。
既に少女の姿は消えていた。
「なあ、先生。幽霊に会うと呪われるとかそういう噂はあるのかい……」
「いいや。聞いたことがない。ただ、じっと見つめられると気味が悪くないかい?」
「そうだな。もう少し先生みたいな大人の女性だったらよかったんだが」
「お誘いにしては芸がないね」
王蘭玲はそう言って肩をすくめた。
「まあ、下の中華料理屋でよければ付き合うが。意外と美味いラーメンを出してくれる。合成品だが分析したところ有害物質は含まれていない」
「それほど食欲をなくす食事のお誘いも滅多にないぜ、先生」
東雲はそう言って靴を履いた。
「機会があったらよろしく頼むよ。ベリアは最近はマトリクスに籠り切りで話し相手がいないんだ。そのうち壁に向かって話しだしそうだ」
「君もBCI手術を受ければ孤独から解放されるだろうに」
今の人々はマトリクスで繋がれるものだよと王蘭玲は言った。
「遠慮するよ。BCI手術を受けるくらいなら孤独でいた方がマシだ」
「君は本当にテクノフォビアだね」
「仕方ないだろう」
俺は2012年の人間なんだと東雲はそう言ってチップで診察代を払って王蘭玲のクリニックを出た。
……………………
 




