社会科見学
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──社会科見学
「八重野、出かけるぞ」
「ああ」
翌日、東雲が声をかけるのに八重野が表に出てきた。
八重野はやはりまだ刀がないのが不安なのか、腰の辺りを気にしている。
「今日はあんたの情緒の成長のためにいろいろと見て回る」
「私の情緒は未成熟などではない!」
「ほら、そういうところだ。情緒の育った人間ならばこう言われても笑って流すのに、あんたは噛みつくだろ?」
まあ、俺もそこまで人のこと言えないけどと言いつつ東雲はアパートを出る。
「八重野君。今日は私も同行するから」
「分かった」
ベリアも外に出るのに、八重野が頷く。
「具体的には何を?」
「まずはホームレス支援事業だ」
「ふむ」
東雲はTMCセクター13/6にあるホームレスのためのシェルターに向かった。
シェルターには300名あまりのホームレスが収容されていた。ベッドが並び、食料として合成食品のおにぎりや味噌汁が提供されていた。
「このセクター13/6のホームレス問題は深刻でな。ホームレスがこれまで収入源にしていた空き缶集めによる金属回収が、ヤクザとチャイニーズマフィア、コリアンギャングの利権になって、本当に収入がないんだ」
東雲が説明するのを八重野は黙って聞いていた。
「やあ。今日は見学だ。調子はどうだい……」
東雲が支援事業に当たっている人間のひとりに声をかける。
「東雲さん。いつもありがとうございます。順調とはとても言えませんが、住居を借りられるようになった人たちも徐々にですが増えています。職業訓練のおかげですね」
「そいつは何よりだ。少ないが受け取ってくれ」
「助かります、東雲さん」
東雲は1000新円程度を寄付しておいた。
「やっぱり、未だにヤクザたちからの圧力はあるかい?」
「ありますね。彼らにとってはホームレスは利用できる駒ですから。我々がこうしてホームレスの方々を支援しているのは気に入らないのでしょう。彼らの下部組織による嫌がらせは度々受けていますよ」
「まあ、何かあったら連絡してくれ。可能な限り力になるよ」
「ええ。お願いします」
東雲はそう言い、一行はシェルターを出た。
「ああしてシェルターに入れる人も幸運な方ではあるよ。世の中にはずっとストリートで暮らさざるを得ない人もいる。だけど、彼らを助けようとする試みは皆無じゃない」
あそこ以外にもいくつかシェルターはあるとベリアが語る。
「……本当のストリート育ちにあんなに頼れる場所はない」
「確かにな。ストリート育ちは犯罪組織の食い物にされる。盗みや殺しをやらされて、そして六大多国籍企業と癒着して腐敗した司法に取っ捕まり、死ぬまで刑務所に叩き込まれる」
民営化された刑務所なんて地獄だぜと東雲は言う。
民営化された私営刑務所は国から金を得るために、囚人をとにかく叩き込み、腐敗した司法が囚人の刑期を長くする。
「それでも少しでもストリートの人々を救おうとする動きはあるんだよ。皆無じゃないんだ。彼らが犯罪組織に利用される前に救おうって」
「一部の、ほんの一部の幸運な人間だけがそれを得られる、か」
八重野はそう言ったきり、何も言わなかった。
「確かに全員は救えていない。だが、何もしないよりいいだろう?」
そう言って東雲たちは次の場所に向かった。
「ここは……」
「ボランティアで経営されている電子ドラッグ中毒者の治療施設だ」
東雲はそう言って古い公民館跡を利用した建物に入る。
「やあ。今日は見学だが、いいかい?」
「ああ。東雲さん。どうぞ、どうぞ。ただ、患者は刺激しないように」
「分かっているよ、先生」
東雲たちは公民館跡の多目的ホールを外から覗く。
「電子ドラッグ中毒者も犯罪組織にいいように使われやすい。稼いだ金を全て電子ドラッグに変え、そのせいで職をどんどん追われていき、待っているのは犯罪組織の使い走りというわけだ」
「ヤクザやチャイニーズマフィア、コリアンギャングの下っ端は下っ端になる前から電子ドラッグジャンキーであることが多いんだ」
「そして、次第に電子ドラッグでは刺激が足りなくなり、本物のドラッグをキメて、その記憶が電子ドラッグとして売買される。本人はオーバードーズでくたばってもな」
まさに負の連鎖だと東雲とベリアは言う。
「電子ドラッグジャンキーは嫌いだ。奴らは電子ドラッグを買うために私たちのなけなしの金を盗んだり、奪ったりした。奴らは人間のクズだ」
「本人たちだって生まれ持ってそうだったわけじゃない。だから、やり直す機会が必要なんだ。そのための治療をここではやっている。基本的に無償だ。ボランティアが経営しているからな」
それでも精神科医はいるし、カウンセラーもいると東雲は語る。
「治療してもどうせすぐにまた電子ドラッグに手を出すに決まっている。そして、弱者から金を奪うんだ。私は知っている。この身で体験してきたんだ。連中に奪われるのを」
だが、八重野は嫌悪感を隠そうとはしなかった。
東雲とベリアは顔を見合わせて、こいつは重症だなと認識した。
「患者を刺激するとよくないよ。一度出よう」
「ああ。先生にいつものように寄付してくるから先に出ていてくれ」
東雲はまた1000新円を寄付するとベリアたちと合流した。
「どうだ? 少しは考えも変わったか?」
「何も変わりはしない」
アパートに帰る途中に八重野がそう言う。
「結局、あなたたちは持てるものだからこそ、余裕があるだけだ。貧しいものには余裕なんてない。私はジョン・ドウについてから貧困から解放されてつくづくそう思った」
八重野は拳を握り締めてそう言う。
「これまで生きるために覚えてきたことは全て意味がなかった。そう、金があれば余裕が生まれる。だから、過去の自分を思い出すほど惨めな気分になった。もっともジョン・ドウについてからも裕福とは言えなかったが」
貧困から多少抜け出ても余裕はない。仕事をしなければ、生きていけないと八重野は語った。
「それに私のときは誰も助けてなどくれなかった。誰も、誰も、私たちなどいないかのように扱った。臭い物に蓋をするように見て見ぬ振りをしてきた。それなのにこんなものを見せて何が変わると思ったんだ?」
「だが、世の中は別に舐められたら終わりって訳じゃないってことをだな」
「ストリートは舐められたら終わりだ。あなたたちは知らないのだろう。いや、富めるものになったから忘れたのかもしれない。ストリートはハイエナたちの群がる地獄であることを」
「分かったよ。悪かった。だが、ストリートの育ちなら分かるだろう。ヤクザなんかとトラブルを起こしても碌なことにならないことぐらい」
「だが、舐められるわけにはいかない」
「そうかい」
こいつは本当に重症だと東雲とベリアは思った。
「でさ、君はこれからどうしたいの? 私たちはフリーの仕事をしてくれるなら、家賃なしでもあのアパートに暮らしてもらってていいけど」
「今は払えないが、家賃は払う。フリーの仕事なりなんなりを受ける。しかし、今の私がしたいことはただひとつだ」
八重野が言う。
「復讐。ジョン・ドウに復讐する。私を使い捨てにしたジョン・ドウに必ず復讐する。それだけだ」
八重野は決意を秘めた表情でそう言った。
「だが、あんたのジョン・ドウはどこの企業の所属なのかも分からんのだろう? どうやって復讐するつもりだい……」
「それは。考える。ジェーン・ドウも今回の企業亡命を狙った犯人を探しているはずだ。そこのジョン・ドウを消す機会があれば、私を使うだろう」
「そして、それが終わった途端、ジェーン・ドウがあんたを使い捨てにする可能性もあるんだぜ?」
「……では、何もするな、と?」
「そうは言ってない。この世界ではどんな人間だって使い捨てになる可能性がある。だが、そのことで復讐だのなんだのに拘ると、碌な結果にならないってことだけだ」
もっとも確かにあんたのジョン・ドウを突き止めないと背中の魔法陣については分からないがと東雲が言う。
「そうだ。呪いの件もある。どうにかしてこれを解呪しなければならない」
「あんたのジョン・ドウは探すだろう。ジェーン・ドウがな。企業亡命が成功していたら、大損害を受けるところだったんだ。だが、ジェーン・ドウは次の仕事はメティスが相手になるだろうと言っていたな」
「メティスが私のジョン・ドウの所属していた企業なのか?」
「いいや。単純に前に被害を受けたからだ。白鯨事件について聞いたことは?」
「ある。マトリクスではどこでも聞いた話だ」
「その白鯨って自律AIを作ったのがメティスなんだよ。だから、ジェーン・ドウが所属している企業も損害を受けている。その報復だ」
だから、あんたのジョン・ドウとは関係ないと東雲は言った。
「……もし、関係があるとしたら? ジェーン・ドウは全ての情報を私たちに渡さないだろう。仮に何かしらの繋がりがあるとすれば」
「その時はその時だな。だが、今は期待しない方がいいぜ」
下手にジェーン・ドウに期待すると裏切られたときがっかりすることになると東雲はこれまでの経験から語った。
保護を依頼された三浦は殺されたし、ギルマン・セキュリティの連中は使い捨てにされた。
ジェーン・ドウに期待などしない方がいい。
「しかし、私はこのままでは2年後に死ぬことになる」
「どうにかするさ。幸いその手のことに詳しい人間がふたりもいるし、今はすげえ演算能力のあるマシンもある。解析して、特定できれば、解呪もできるだろう」
東雲もそこまで上手くいくとは思っていなかった。
ただ、八重野がジェーン・ドウに過剰に期待したり、ひとりで勝手に行動しないようにしておくためだった。
ジェーン・ドウからちゃんと首輪をつけておけとくぎを刺されている。
「分かった。今はフリーの仕事をやる。家賃は必ず払うから少し待ってくれ。刀の代金も必ず返す」
「あいよ。気長に待ってるからあんまり急ぐなよ」
急ぎすぎて足元がお留守になると痛い目見ることになるからなと東雲は言った。
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