09 菓子
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その年が終わる頃になると、身体に不調のあるジョルダン国民が、辺境へと押しかけていた。一気に忙しくなったが、皆が手分けをして、滞りなく仕事をこなしていった。
そんな中、厄介な案件が持ち上がった。
「レーヌ様、ちょっと困った事が…」
頭痛薬に使う大豆と胡桃を粉末にしていたルネの元へ、ジゼルが息を切らしてやって来た。淡々と仕事を遂行する彼女しか見た事がないルネは、暫し面食らった。
「ジゼル、そんなに慌てて、どうしたのかしら?」
「薬師受付けに、王都から到着した方がいらしたのですが…。その…順番を早めろと騒ぎ始めまして、現在手が付けられない状況です」
「わかったわ、すぐ行きます」
ルネの手から乳棒を受け取ると、ジゼルは小さく頷いた。
「頭痛薬ですね、こちらは代わりに私がやっておきます」
「えぇ、お願いね」
近くの椅子に掛けてあったストールを羽織ると、冷え冷えとした廊下を足早に進んだ。受付けに近づくにつれ、女性が喚く声がキンキンと響いていた。それを聞いた途端に、ルネの歩幅が狭くなり、遂には足を止めてしまった。
この声には覚えがある。
こっそりと近づき、衝立の影から声のする方を覗けば、予感が的中した事に肩を落とす。辺境に隠れ住むルネにとって、出会いたくない人の筆頭であるラシュレー男爵令嬢、ジャクリーヌ・ラシュレーその人だった。ルネ自身、学園での接点は何一つ無かったが、元婚約者とは親密な関係だったと聞いており、ある程度の為人は知っていた。
「だ・か・ら!私は男爵令嬢、貴族よ?あなた達のような、平民とは違うのよ。順番?馬鹿馬鹿しい、あなたじゃ話にならないわ。さっさと責任者に代わりなさい」
「そう言われましても、決まりですので、あちらでお待ち下さい」
受付けに居るのはウラリー、ユーグの妻でもある彼女は、経験豊富で正義感も強く、割り込みを許す事は無かった。診察は基本受付け順だが、急患や重篤な者が優先されるというのが、ここでの決まり事だ。ジャクリーヌが、それに該当するかと言えば、明らかに除外されるだろう。このまま彼女の番まで、放っておくのも一つの手だが、徐々に声が大きくなっていて、そろそろ周りも限界だろう。
意を決したルネが、受付けへと向かった。
「どうかなさいましたか?少々、お声が大きいようですが…」
「あなたが責任者?…ちょっと、あなた…!」
瞠目して、こちらを見つめるジャクリーヌに、やはり気付かれたかとルネは腹を括った。
「ねぇ、私は男爵令嬢なの。さっさと薬を用立ててちょうだい」
気付かれていないと安堵したのも束の間、理不尽な理屈を掲げ、規則を捻じ曲げるよう詰め寄ってきた。
「申し訳ありませんが、身分で優遇する事はございません。お待ち頂けないのであれば、受付けせずにお求め頂ける、此方などは如何ですか?免疫力を上げる胡桃のクッキーに、冷え防止が期待出来る蜂蜜と生姜の飴もあります。味にも、こだわってまして…、お一つどうぞ」
ルネはクッキーを一つ、油紙に挟んでジャクリーヌへと差し出した。
「皆さんも如何です?蜂蜜と檸檬で作ったシロップのお湯割りもあります。お好きな物をどうぞ」
我儘なジャクリーヌの所為で、ギスギスしていた雰囲気が一瞬で変わる。周りの人々が楽しそうに菓子を選ぶ姿を見ながら、ジャクリーヌは渡されたクッキーを一口齧った。
「…美味しい」
思わず口元が緩み、もう一口食べ進める。
「甘い物を食べると、心が穏やかになりますから」
フワリとルネは笑い、そうジャクリーヌに言うと、更に言葉を続けた。
「今しばらくお待ち下さいね」
ジャクリーヌは小さく頷いて、クッキーに齧り付く。
「こ、これが食べ終わるまでは、待ってもいいわっ」
そっぽを向いたジャクリーヌは先ほどより、ゆっくりとクッキーを味わっていた。
宜しければ、次回もご覧ください。
作中に出て来る薬の材料や食品の効果等は、実際と異なる場合がございます。
あくまでも、物語のなかの設定としてお考え下さい。