04 変身
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ジョルダン国は王家を中心とした、王立国家にして魔法大国である。人々は生まれながらに、何かしらの魔法属性を持ち、自身の魔力量と合わさり派生する魔法を使う事が出来た。中でも大がかりな攻撃魔法や治癒魔法は、一握りの優れた才能を持つ者のみが使用できる特殊な魔法であり、その大半が魔導師団に所属していた。普段役立つような気軽な生活魔法は、大半の貴族が使用出来た。
かく言うルネも、同年代の中で群を抜く豊富な魔力を持っている。エルランジェ公爵家から政略的な婚約が打診されたのも、その魔力量の所為もあった。公爵夫人としての厳しい教育にも、何とかしがみ付き、最近では及第点を取るまでになっていた。だがルネの死を以って婚約は既に解消され、血の滲む努力も水の泡となったが、今となっては正直どうでもよかった。
何故なら、許嫁のダニエルは、ラシュレー男爵令嬢であるジャクリーヌと恋仲だと、学園中に知れ渡っており、ルネも諦めていたから。婚約を結んで凡そ3年半、最初のうちは其れなりに仲良く過ごしていた。だが、淑女教育が厳しくなるにつれ、徐々に二人は擦れ違うようになっていった。ルネはダニエルを好ましく思っていたからこそ、彼に相応しくなるためにと、無我夢中で勉強に励んだ。皮肉な事に、それが原因で彼の心は別の女性へと移ってしまった。
だが、後悔はしていない。ダニエルとは縁が無かったのだろう。それより、今は前を向いて進んで行くと決めた。
ヴェルレーヌ辺境伯領はジョルダン国の北方に位置し、緑濃く豊かな土地である。幼い頃育った、この森が、草原が、川がルネは大好きだった。というのも、そこは薬草や香草、香辛料の宝庫であり、付近を駆け回り遊ぶうちに見聞きし自然と覚え、生活に取り入れるようになっていたからだった。
森で採ってきた肉桂の乾燥樹皮は、体の血の巡りを良くすると教わった。それで香り付けした林檎のパイは、甘酸っぱくて美味しい上に、身体を温める効果も期待できる、寒がりのルネにとって最高の焼き菓子だった。
瑞々しい香りのローズマリーは、虫除けにもなるし、抽出した成分をオイルで希釈すれば、美容効果も期待できると母が喜んでいた。実際、笑いながら、採りたてのローズマリーを圧搾する母は、弾ける素肌の持ち主であった。
そんな生活が続くうちに、いつしか無いなんて考えられないほど、自然の恩恵が自分の生活に入り込んでいた。その頃だった。ゆくゆくは、薬師になりたいと漠然と考えるようになったのは。病気を予防できるような効能のある、焼き菓子や飴なんかも一緒に揃えた薬屋なんて素敵だなと、心を躍らせていた。
そんな幼い頃の淡い夢は、寒空に舞う雪の様に、儚く舞い上がり一瞬で立ち消えた。
ルネが12歳になる直前、10月の事だった。翌年に控えた王立学園入学に向けて、兄に案内され学園内を見学していた時に、偶然ダニエルと出会ってしまった。それを切っ掛けに三大公爵であるエルランジェ家から、ルネに婚約の打診があった。始めは何の間違いかと訝しんだが、遥かに高い権力を持つ公爵家を断れるはずもなく、とんとん拍子に話は進んでいった。
そこからは公爵夫人になるべく、凄まじい淑女教育が始まった。本を読んだり学ぶ事が好きだったルネでさえも、時に辟易する程であった為、厳しい指導に食らい付き、何とか付いて行くのがやっとだった。笑いの絶えなかった顔から表情は消え、活発に走り回っていたのが嘘の様に、いつしか慎ましく美しい所作を身に付けていた。
だがここへ来て、思わぬ誤算が起こり、ルネは柵から解放された。今まで我慢してきた、思い描く将来の自分や青春を謳歌する事を、これから始まる第二の生で全て挑戦してやろうと心に決めた。
此処が辺境とはいえ、人前に姿を現せば、ルネの生存が遅かれ早かれ皆の知るところとなってしまう。そこで、ルネは珍しいと言われていた己の持つ生まれ持った色を、魔法で変える事にした。勿忘草の青を一般的な黄褐色の髪に、冷たい金色の瞳を地味な松葉色にしてみると、きついと言われ続けた顔が何だか優しくなった気さえして、思わず顔が緩む。
「…ん、いいんじゃないかしら?あとは…髪も緩く一つに結んで…」
別人としか思えないほど、華麗なる変身を遂げたルネが、鏡に向かって微笑んでいた。装飾を極力省いたドレスを摘まんで、淑女の礼をする。
「…そうね、あなたは今からレーヌ、レーヌ・レヴェイヨンという名前はどうかしら」
その質問に答えるかのように、鏡の中の少女は満足げに頷いていた。